293日目 魔導工学:釣り合わせについて
293日目
角砂糖が丸い砂糖になっている。それだけ。
ギルを起こして食堂へ。昨日が昨日だったからか、ティキータやアエルノの連中の表情がいつもとちょっと違ったのが印象的。ぐったり疲れ切っている奴もいれば、憑き物が落ちたかのようにさっぱりした顔をしているのもいる。疲れ切っているのはたぶん、リーダーとして頑張ってきたやつらだろう。
朝食はビーンズサラダをチョイス。なんかよくわからんけど赤、緑、黄、紫……の、色とりどりの豆をサラダにした一品。見た目はたいそう華やかで、見ているだけで楽しくなってくるほどに食卓に彩を与えてくれるんだけど、まぁ所詮豆は豆。どこまで行っても豆の味しかしない。
最初は機嫌のよかった俺のお膝の上のちゃっぴぃも、三回目の『あーん♪』くらいから露骨に顔をしかめるようになった。『きゅ……』ってそっぽを向いて抵抗してきたりも。普通に無理矢理食わせたけどね。ガキが好き嫌いするとか百年早いっていう。
あと、なぜかエッグ婦人がのそのそやってきて俺の皿のビーンズサラダをつまんでいた。ヒナたちみたいにがっつくってわけじゃないんだけど、ちょっと目を離したすきにひょいぱくひょいぱくって食べてやがる。
『やるならフィルラドのところでやれ』って言ったら、なんか普通に乳首のあたりを突かれた。しかもちゃっぴぃのやつ、ちょうどいい塩梅に俺の乳首を守るポジションにいたのに、さっと避けちゃうし。あいつには身を挺して主人を守るという、使い魔として当たり前の意識がないのだろうか。
ギルは今日も『うめえうめえ!』ってジャガイモ食ってた。今日はヒナたちもその大皿の前に位置取ってヘドバンしながらジャガイモを食いまくっていた。俺は未だかつて、あの勢いでジャガイモを貪る鳥のヒナを見たことが無い。ギルに似てきたのだろうか。
さて、今日の授業はテオキマ先生の魔導工学。授業開始前にふと思い出したので、『そういえば、学会のお土産ってどうなりました?』って聞いてみる。冬休み前に約束したそれ、なんだかんだで先週貰ってなかったから確認した次第。
『まさか、テオキマ先生ともあろう方が、一度交わした約束を反故にするなんて真似……するはずがありませんよね?』って微笑んでみれば、『お前、マジで将来大物になるだろうな。俺に対して強請りをしてきたの、お前が初めてだよ』って褒められた。やったね。
ちなみに貰えたのはどこにでも売っているような普通の飴玉。最近乾燥しているのと、アホな学生を怒鳴ったりアホな業者にブチ切れたりする機会が多くて喉を痛めがちとのことで、そのケアのために買いだめしたものらしい。
『ホントの話、忘れていたわけじゃないんだ。ただ、開催地がとんでもないド田舎の僻地で、土産になりそうなものが全然なかったんだよ』とのこと。逆に、人はいないし周りに何もないから、バカでかい魔法のデモンストレーションをするにはうってつけだったらしい。いったい何をテーマにした学会だったのだろうか?
……そもそも、俺が言わなきゃ普通に自分用の飴として確保していたってことだよね? オトナって汚いよホント。
肝心の授業内容だけれども、今日は前回に引き続き不釣り合いについて学んだ。前回までに、不釣り合いがどういう現象で、どういうことに起因して発生するのか……ってのを学んだわけだけれども、当然ながらその発生した不釣り合いをそのままほったらかしにしていていいわけがない。当然のように、それを何とかうまく処理する方法があったりする。
その方法と言うのが【釣り合わせ】という文字通りそのまんまの意味のそれ。考え方としてはひどく単純で、不釣り合いによってバランスが崩れているのなら、それを打ち消すようにあえて魔法的負荷を取り付けてやればいいじゃない……ってやつ。
が、これがそう簡単にはいかなかったりする。
『いわゆる静的釣り合わせであれば、対称の場所に全く同じ大きさとなる負荷を取り付けるか、あるいはそれと等しくなるような距離と負荷の大きさの組み合わせで取り付けてやればよい。これは触媒反応学的な考えとして間違ってはいない』……と、テオキマ先生は続けたうえで、『動的釣り合わせとは、魔法体が発動している状態、ここでは特にこの手の回転魔法陣が作用している場合を示す。……回転しているのに、その対称となる場所ってどこだ?』とか言ってきた。
言われてみれば確かにそうだ。常に動いているのに対称的な場所に負荷をかけるとか無理な話である。そもそも概念的にありえないっていう。
もちろん、昔の偉い人たちが何とかしてこの問題をどうにかしようとしたらしい。以下に、釣り合わせ作業の概略を示す。
【釣り合わせ(バランス調整作業)】
1. まずはそのまま、すっぴんの状態で魔法体を発動(ここでは説明のため、わかりやすく回転魔法陣とする)。この時の不釣り合いの大きさと位相(どの角度に不釣り合いが働いているか)を、然るべき測定器を用いて計測する。
2. 適当な大きさの試し負荷を適当な位相に取り付け、この状態で魔法体を発動。すると、不釣り合いの大きさと位相がすっぴんの時より変化するので、これを記録する。
3. 対象によっては、2の状態のまま再び試し負荷を取り付け、同様に魔法体を発動。やっぱり不釣り合いの大きさと位相が変化するので、これを記録する。
4. 上記結果より、試し負荷を取り付けた時の位相と大きさの変化を逆算。すっぴん状態の時のそれに対し、どの位置にどれだけの負荷を取り付ければ不釣り合いが打ち消せるかを算出。計算結果に基づき、修正負荷(本番修正用のガチなやつ)を取り付け、その状態で魔法体を発動。
5. (理論通り進んだのなら)4の状態で不釣り合いは打ち消せているのでおしまい。まだ微妙に打ち消せていなかったら、これを1のすっぴん状態として再度調整作業を実施。繰り返していけばいつか必ず打ち消せると信じて作業を続ける。
・MDB
いわゆるマジックダイナミックバランスと呼ばれる作業。やってること自体は普通の釣り合わせ作業だけれども、これは特に大型の儀式魔法陣などに対し、設置前の状態、例えば魔法陣の陣造作業行程中に行れる大掛かりな修正作業のことを指す。前回の授業の通り、不釣り合いと言うのはちょっとしたことですぐに発生・変化するため、ここでは「精度はともかくある程度それなりに動ける」ことを目的とした、粗仕上げ的な意味が強い。
・MFB
いわゆるマジックフィールドバランスと呼ばれる作業。やっぱりやってること自体は普通の釣り合わせ作業だけれども、特にこれは大型魔法陣などに対し、設置後の最終的な仕上げ調整として行われる軽微で厳密な修正作業のことを指す。MDBでどんなに頑張っても微小な複合要因の積み重ねで最終的にはやっぱりズレるし、そもそもとして全く同じ魔法陣とか魔道具なんて作れるわけないから、その環境、その個体ごとに対する最終調整って認識で問題なし。稀に、どう頑張ってもこのMFBが上手くいかないことがあるとかないとか。
厳密な計算とかはかなり複雑で厳しいけれども、概念自体はそこまで難しくない。普通に測定したり割り出したりすることは難しいから、まずはフェイクやダミーでトライして、データを集めてから逆算し、本命のそれを打ち消せるようなものを取り付けろってだけ。一発でクリアできなくても以前の状態よりかはマシになるから、それを繰り返していけばいずれは求めるオーダーをクリアできるって言う寸法。
『一口にバランス修正と言ってるが、これにももちろんノウハウがある。不釣り合いは試し負荷の回転中心からの距離でも変わるから、距離一定にして試し負荷の大きさを変えて計測するか、あるいは試し負荷の大きさを一定にし、距離だけを変えて計測するか……その位置にどれだけ試し負荷を乗せられるかでも変わってくるから、魔法的にどうしても理論で割り出された試し負荷を乗せられない場合、調整作業と同じ考えで、負荷の位置を二つにバラすこともある』……ってテオキマ先生は言っていた。都合のいい大きさの試し負荷が無いときは、本来の位置に大きめの試し負荷、その反対に小さめの試し負荷を取り付けて、実質的に【本来の位置に適切な大きさの試し負荷をつけた】状態にする……なんて小技もあるらしい。
いずれにせよ、対象の魔法体の形状や実際の手持ちの試し負荷の状況によって工夫しろってことなんだろう。逆算してほしい位相、ほしい量さえ割り出せば、あとはそれをどう再現するかはこっちの自由だ。
『MDBが上手くいってなければ、そもそもまともに魔道具が動かないし、そしてどう頑張ってもMFBが上手くできない。逆に、MDBがどんなに上手く終わっても、それはあくまで陣造行程中のものだから、実際に設置した作動直前ではどうしたって不釣り合いが生じる。故に、MFBも欠かせない。どっちも大事で手を抜けない工程だわな』ってテオキマ先生はしみじみ。ノートに書き記す計算式の複雑さと量がえげつなくてこっちはそれどころじゃなかったよね。
ともあれ、その後はいくつか例題をやって授業は終了。ジオルドは『何で回転していて取り付ける場所がわからないって話なのに、回転中のそれに位相とかでてくるんだ……?』って頭を抱えていた。『回転しているのに位相もクソもねえだろ……!?』って虚空に向かってブチ切れたりも。
『だからこそすっぴん状態のデータと、ダミーのデータを比べる必要があるんだろ?』ってクーラスが涼しげな顔で答える。『まさかとは思うがお前、ダミーの試し負荷を取り付けた場所、記録しないでいいとか思ってないか?』って俺が更なる突っ込みを入れれば、『えっ、なんで試しで付けたやつなのに記録すんの?』って答えが返ってきた。マジかよ。
そんなわけで、クーラスと二人で調整作業の神髄をジオルドに叩き込む。『わかったよーなわからんよーな……理論として何となく理解したけど、感覚として納得はできない』とのこと。それだけわかってれば上等である。ミーシャちゃんもポポルもパレッタちゃんも、もう完全に諦めて悟りを開いていたからね。
ロザリィちゃん? 『……欠点の一つや二つくらいあるほうが、お嫁さんとして魅力的だよね?』って俺に抱き着いてキスしてきた。全くもってその通りである。
夕飯食って風呂入って雑談して今に至る。今日はみんなガッツリ頭を使ったからか、雑談はあまり盛り上がらず。せいぜいが、『俺がもらった飴、はっかだった。ちくしょう』、『ベリーっぽいけど妙にすーすーするやつだった……なんだったんだろ?』って飴の味について語っていたくらい。アルテアちゃんは『貧弱な飴で歯ごたえが無かった』って言ってたし、ギルは『ジャガイモ味が良かったなァ……』って不満そうにポージングをしていたっけ。
そんなギルは今日も安らかにクソうるさいイビキをかいている。今日はちゃっぴぃが俺のベッドに。相も変わらず俺の枕を抱き枕にして、毛布を独り占めにするという地獄の魔王ですらチビるような極悪非道なふるまい。こいつほど自由な奴はいないと思う。
まぁいい。ギルの鼻には……渇いた涙を詰めておく。ちゃっぴぃには一晩俺の抱き枕になってもらうこととしよう。みすやお。