210日目 悪性魔法生物学:ネクタイについて
210日目
ギルからすごいチーズ臭。なんかクセになりそうでならない。
ギルを起こして食堂へ。奴のチーズ臭はすさまじく、食堂へ入るなり『……なんか変な匂いしない?』、『えっ、良い匂いじゃない?』、『クセになりそうだけどやっぱ臭い』といった会話がそこかしこで行われていた。
中でもアルテアちゃんの動揺は大きく、『普通に良い匂いだと思ってたんだけど……!?』ってオロオロ。お鼻の敏感なロザリィちゃんがちょっと涙目になっていただけに、自分の感覚がちょっとおかしいのでは、と思い当たってしまったらしい。『感性はともかく、こいつの鼻だけは信じられるから』ってアルテアちゃんは言っていた。
……もしかしたらアルテアちゃん、味の強いものや匂いの強いものが好みなのかもしれない。考えてみればホビットレモンも酸味としてはかなり強いほうだ。面と向かって言ったらブチギレられそうだけど、味覚が……というか好みが冒険者の男に近いのだろう。
あと、ちゃっぴぃも割とこの手の匂いは大丈夫っぽい。『……きゅ?』って不思議そうにギルによじ登って、奴の首元辺りをすんすん嗅ぎまわっていたよ。
ちゃっぴぃによじ登られながらもギルは『うめえうめえ!』ってジャガイモを食っていた。チーズ大好きグッドビールに体中をレロレロにされても気にせず『うめえうめえ!』って美味そうにジャガイモを食っていた。
そんな奴を見ていたらポテトのチーズ焼きを食いたくなってきた。今度の飲み会にでも作ろうと思う。
さて、今日の授業は俺たちの兄貴グレイベル先生と俺たちの天使ピアナ先生による悪性魔法生物学。生物学は中間試験はないし、先生たちのことだから通常授業と言っても軽めの面白生物をやるんだな……と思っていたら。
『…やること、ないんだよな』、『あ、あはは……休講にしようって思ってて、そのまま言うの忘れちゃってた……』とのこと。マジかよ。
というのも、本来はこの日を予備日に充てるつもりだったらしい。が、思いのほか事故とか起きずに授業が進んだため、その必要もなくなってしまったのだとか。
しかもそのうえで、『…例のカチコミの準備があるからな』、『色々受け入れ態勢を整えたり手配をしたり……若手って辛いよね』とのこと。ピアナ先生のおつかれエンジェルスマイルもとてもかわいかったです。
ともかくそんなわけで、今日の授業は事実上の休講。『…どのみち今日はみんな気合も入らないだろうしな』って兄貴の公認。さすがよくわかってらっしゃるって思った。ギルだけは『何でもいいから殴りたかったなァ』ってヤバい発言をしていたけれども。
クラスルームに戻った後はひたすらダラダラ……したかったんだけど、女子のたっての希望でドレス類の最終調整を行うことに。俺とクーラスでこの前全部調整したのに、『万が一があるから』、『女の子は……その、ストレスとかの影響を受けやすいから……』って女子のみんなが魔法のトルソーを回収。それも、全員がそれぞれ別の人のを回収して誰が誰のだかわからなくするって言う徹底っぷり。
最終的に、女子を代表してアルテアちゃんが六つほど仕立て直し品を持ってきた。『テスト勉強のための夜更かしとストレス……いいか、これが普通なんだ。変な幻想を抱いているなら今すぐここで壊してやる』とのこと。体にぴっちりしているものも多いから、ちょっと体形が変わるだけでかなり見た目がダサくなるとかならないとか。
あと、せっかくなので男子のほうにもネクタイの練習をさせておく。相も変わらずクソ下手くそだけど、まあ一人で何とか付けられるくらいにはなっていてうれしい。どうやら連中も地味に練習していたっぽい。俺からすればまだまだだけれども。
男子がネクタイをつけるのが珍しかったのか、意外にも女子が興味津々でその様子を眺めていた。『……けっこう、イイ』、『男の日常って感じ……”クる”よね』って顔を赤らめてきゃあきゃあ言ってたりも。なぜ彼女らにはネクタイを振り回して遊ぶ連中の姿が見えていなかったのか、問い詰めてみたいものである。
そんなこんなをしていたところ、『ね、ちょっと……』ってロザリィちゃんが。『──くんのネクタイ、ある?』とのことだったので快く渡しておく。ああ、何だロザリィちゃんもやっぱり気になるのかしらん……って思っていたら。
ロザリィちゃんってば、俺のネクタイをもってにこーって笑って。
『……ん♪』って、顎を上げるように示してきた。うっひょう。
『……その、今のうちに練習しておいても、損はないよね?』って照れるロザリィちゃん。もうこの瞬間に、毎日ネクタイをつけようと心に固く誓ってしまった。
ともかくロザリィちゃんにネクタイを結んでもらう。『……あ、意外と難しい』ってロザリィちゃんってばすごく夢中になっちゃって、なんか俺の胸元に食らいつくような感じ。『……むう。練習したのと全然違う』ってむきになったらしく、揺れる髪の毛がすごくこそばゆいしなんかめっちゃ良い匂いする。
そんなロザリィちゃんの顔を見ていたら、上目遣いでぱちぱちされた。『やりかたはいくつかあるけど、俺はこれかな?』ってロザリィちゃんの手取り指取り腰取りイチャイチャしながらレクチャー。教える内容が内容だけに、すごい密着していてたいそう幸せ。すんごい新婚さん気分。世の中の夫婦はいつもこんな幸せをかみしめているとか、世の中もまだ捨てたもんじゃない。
なんだかんだでレクチャー終了。ネクタイの結び目もばっちり。立体感のある見事な三角形。形に崩れなんてあるわけがない。ネクタイがきれいに結べていない男は舐められるってマデラさんも言ってた。これなら誰にも舐められない。完璧。強い。最強。
……ただちょっと、一つだけよくわかんないことが。ロザリィちゃん、完成したネクタイを満足げに眺めた後、何を思ったかクイってひっぱった。しかも一回じゃなくて十回くらい。そのたびに首が引っ張られてロザリィちゃんとキスしそう……なのにお預け。なんて残酷なのだろう。
『なんかちょっと……イケナイ遊びを覚えちゃった気分』ってロザリィちゃんは恥ずかしがっていた。よくわからんけど、俺のネクタイをひっぱることで支配欲(?)というか、言葉にできない達成感のようなものを覚えたのだとか。その程度でいいのなら、いくらでも引っ張ってくれていいのにね。
『本格的に危ない道に行くな。お前それは学生じゃやっちゃダメだろ』って珍しくパレッタちゃんが真剣な表情&口調でロザリィちゃんを諫めていたのを覚えている。『何がどう危ねーの?』 ってポポルの問いに真っ赤になり、『体でわからせてやろうかぁっ!?』ってすげえ勢いでポポルのネクタイを引っ張っていた。ポポルが床をタップするまでそれが続いていたことを一応ここに記す。
今更だけど、本当にパレッタちゃんのキャラがよくわからん。それこそがパレッタちゃんであり、ヴィヴィディナの導きと思うしかない。
夕飯食って風呂入って雑談していたところ、ステラ先生が遊びに来てくれた。うっひょう。
先生、クラスルームに来るなり『つかれたー!』ってソファにダイブ。ぼふんっ! って勢いよくクッションが弾む。それを見て堪えきれなくなったのか、『きゅーっ!』、『くぉん!』ってちゃっぴぃとグッドビールもステラ先生にダイブ。止めとばかりにヒナたちも連続ダイブ。
『もぉ……! くすぐったいってばぁ……!』ってソファで使い魔たちと幸せそうに戯れるステラ先生が本当に可愛かった。俺も使い魔になりたかった。
『テストもそうだし、明日のお出迎えもそうだし……もう、本当にいろいろやることがあったんだけど、なんとか目途がついてね……』ってステラ先生。聞けば今日一日、ずっと最後の仕上げとして関係各所と連絡を取りつつ調整を行っていたのだとか。本当にお疲れ様です。
ともあれ、あったかホットミルクと(ホントはいけないけど)とっておきのジャムクッキーでステラ先生をおもてなしする。『あっ……じゃむくっきぃ……!』って目をキラキラ輝かせるステラ先生のなんと可愛らしいことか。これで少しでも疲れを取ってくれるといいのだけれど。
明日に備えるってことでカードゲームはせず、そのままみんなで雑談。日中に男子がネクタイの練習をしていた……って話をすれば、ステラ先生は女子に向かって、『……やっぱり、ネクタイを結んであげる練習とか、するよね?』って問いかけた。マジかよ。
『いや、その……先生にはそういう相手いなかったけど、やっぱりいざって時はあると思うし……なんかこう、ちょっと憧れるというか』ってステラ先生ははにかみながら答える。
どうも、ステラ先生の学生時代にも似たような正装をするイベントがあり、その時に女子たちがこぞって男子のネクタイを結ぶ練習をしていたらしい。『練習に付き合ってって口実で二人きりになってたりとか、うまく結べたら恋の縁も結べるとか……あはは、そういうムードでいっぱいだったよね』とのこと。
『……先生は、どうだったの?』ってミーシャちゃんが問いかける。男子がその質問をしなかったのは、あり得ないとは思いつつもそのあってはならない悪夢をステラ先生の口から言わせたくなかったためである。
ステラ先生、悲しそうに笑った。『ちょっとだれか、ネクタイ貸してくれる?』ってネクタイを受け取り、おもむろにミーシャちゃんの前へ。『んーって、して?』ってネクタイを片手ににっこり。
ややあって、ネクタイ姿ミーシャちゃんの爆誕。さすがに俺レベルじゃないけれど、クーラスに迫る勢いで完璧な結び目。嘘でしょって思ったよね。
『そういう相手、いなかったって言ってませんでした?』ってアルテアちゃん。『恋仲はいなかったけど、結んであげる相手はいたの?』ってパレッタちゃん。ステラ先生、悲しそうに笑いながら首を横に振った。
『先生も女の子だったし、万が一があるかもって……お人形さんで、練習したんだよね。……今の今まで一度も、機会はなかったけど』って言われたときはもう、男子も女子も涙を隠せなかったよ。
お人形さんだぜ? ちょっと声をかければ男子はおろか女子だって相手になってくれるというのに、なのにお人形さんを相手にするしかなかったんだぜ?
しかも、あれだけの腕前ってことは、一人でずっと……何度もお人形さん相手にネクタイを結んであげていたんだぜ? これで泣かずに何を泣けって言うんだ?
しかもたぶん……というか、間違いなくステラ先生のことだ。その練習用のネクタイだって、クラスメイトから借りたってわけじゃないだろう。想像するのすら苦痛だけど、もしかしたらってことでルンルン気分で雑貨屋で見繕ったのかもしれない。頼むからお義父さんのそれであってほしいけど、それすら悲しいとかこの世はあまりにもあんまりだ。
その後はみんな、全力でステラ先生を慰めたのは書くまでもない。男子はみんな『当日はネクタイお願いしますッ! 俺がやると引きちぎっちゃうんで!』、『綺麗な年上の女性からネクタイを結んでもらったって家族に自慢したいんです! 哀れだと思うならどうかご慈悲を!』って懇願していたし、女子は女子で『練習相手になるから、いつでも呼んで!』、『みんなでネクタイを結びっこさせたほうが、ぜったい練習になるから!』って先生を抱きしめていたっけ。
ステラ先生、『えへへ……ありがとぉ……! 先生、みんなのこと大好きだよぉ……!』って目元をキラキラさせながら笑っていたっけ。ホントもう、俺先生のことこの後ずっと幸せにしなきゃって思ったよ。
……ふう。長くなったけどこんなもんにしておこう。なんだかんだで明日はやることがいっぱいだ。詳しいスケジュールは聞いていないけど、たしか午後の遅めの時間に相手方がこっちに来て、夕飯の時に軽く挨拶があるとかなんとか。開会宣言も兼ねたダンスパーティは明後日って話。まぁ、なるようにしかならんだろう。
ギルは今日も大きなイビキをかいている。適当な切れ端でも鼻に詰めておこう。なんで俺の手元にそんなものがあったのかはしらない。おやすみなさい。