203日目 悪性魔法生物学:クチナシの生態について
203日目
ギルの涙がシャボン液になっているっぽい。あいつが瞬きするたびに小さなシャボン玉が飛んでくる。小さい子供にウケそうって思った。
ギルを起こして食堂へ。ギルのおかげで食堂中にシャボン玉が舞っていてどことなく幻想的な雰囲気。いつもに比べたら割とまっとうな変化だからか、他のクラスの連中からもおおむね好意的に受け取られていた。アエルノのラフォイドルだけは『めぐらまったい』って文句を言ってたけど。
もちろん、うちのちゃっぴぃやグッドビール、ヒナたちにティキータのところのメリィちゃんなんかは大はしゃぎ。パタパタ駆け回って突っついて壊して遊んでいた。特にちゃっぴぃは空を飛べるという特性上、他の連中が届かない天井付近のシャボン玉も『きゅーっ!』って得意げに壊しまくっていた。やはりうちの子が一番である。
『うめえうめえ!』ってギルはジャガイモをいつも通り貪りまくる。貪るたびにシャボン玉生成速度が加速。『それって結局石鹸水でしょ? 目ぇ染みないの?』っておこちゃまなポポルが純粋に疑問をぶつけてみれば、『いや、実は結構染みる』って意外な答えが返ってきた。
『でも、目の筋トレとして最高だぜ!』って続くあたり、ギルらしいって思った。あいつの頭の中身ホントどうなってんだろう?
今日の授業はグレートな兄貴グレイベル先生とスウィートなエンジェルピアナ先生による悪性魔法生物学。魔法生物学は中間試験を行わないため、今日も普通に授業。とはいえ、中間前のこの時期だからそんなヤバいやつでもなかろう、いやいや、最近は妙にひねった(?)奴が多かったから、ここらでストレートにヤバい奴がくるかしらん……なんて思って現場に赴いてみれば。
『おっはよう!』ってにっこり笑うピアナ先生の隣で、『………………』って沈黙を守るグレイベル先生がいた。
いや、グレイベル先生は元々割と寡黙な兄貴的に無口だ。無駄なことを言わず、必要なことだけを話すような……ちょっぴりハードボイルドな感じさえする。それでいて、普通に話しかけたらユーモアもあって頼れる感じもするという、まさにグレートな兄貴だ。
が、今日のグレイベル先生はガチで沈黙。不愛想とかぶっきらぼうとか、そんなレベルを通り越して、マジに朝の挨拶の一つもない。文字通り、一言たりとも言葉を漏らさない。
というか、そもそもとして口が無かった。びっくり。
『…………』って、グレイベル先生は視線だけで唖然としている俺たちに挨拶。口が無いから当然だけど、『…………んー』って、喉の奥から絞り出すような声を出す。声って言うよりかは、唸っているだけって表現するべきか。
いやはやしかし、本当にびっくりしたよね。本来口があるべき場所に何もない……顎とかほっぺとかがそのまま地続きになっているんだもの。見た目の違和感的なものが凄まじくて、頭が混乱するというか……同じ人間を見ているようには思えなかったっていう。
『グレイベル先生本人ですか?』ってピアナ先生に聞いてみる。『そうだよ? グレイベル先生はねぇ、鈍感すぎて自分のお口をどこかに落としてきちゃったの!』ってケラケラ笑うピアナ先生。『…………』って無言で放たれるデコピン。
『あ、あうあう……!』って涙目になっておでこを押さえるピアナ先生が最高に可愛かったです。
さて、グレイベル先生が本物である……魔法生物の擬態で無いならば、口のない状態は魔法生物によって引き起こされた現象であることは確定的に明らか。相も変わらず対象のそれが見当たらないのは不気味だけど、その正体を探るためにもまずはグレイベル先生を調べてみましょうってことに。
『えっ……好きに調べて良いんですか? 本当に?』、『それ、魔法倫理的にどこまで大丈夫な奴です? 胸板くらいは問題ないですよね?』って一部の女子の鼻息が荒くなっていたことをここに記す。
で、さっそくポポルがグレイベル先生によじ登る。『登り心地はいつもと同じじゃね?』とのこと。なぜあいつは登り心地を評価できるほどグレイベル先生によじ登っているのか、まずはそこが疑問だ。
そしておこちゃま第二波としてミーシャちゃんもグレイベル先生によじ登る。そればかりか、グレイベル先生の口のあたりを遠慮なくぺちぺち。怖いもの知らずだなって思った。
ぺちぺち連打しながら、ミーシャちゃんは『ほっぺとおんなじ感覚なの』って呟く。おでことかも派手にぺちぺちやってたけど、特に顔に何かが引っ付いていたりって感じはしないらしい。が、『あんまりおもしろくもない……んみゅっ!?』っていきなり悲鳴。
ミーシャちゃんの口が消えていた。わーぉ。
『…………ふぅ』ってグレイベル先生は息をつく。肩の上で『んー! んー!』って暴れるミーシャちゃんの首根っこをひっつかみ、『…不用意に触るのは、良くなかったな』ってゆっくりと降ろした。
当然、焦りまくったミーシャちゃんがそのまま大人しくするわけがない。『んー!』って身近にいたポポルに顔面から体当たり。全く迷いのないキレのありすぎる動き。さすがは勇猛たるミーシャちゃんと言えよう。
ある意味予想通り、今度はポポルが『んぅぅぅ!』って唸り声。あいつのお口もきれいさっぱり無くなっている。一方でミーシャちゃんは、『……すっきりしたの!』ってちょう笑顔。
そこからはもう酷かったね。ポポルがジオルドに体当たりして口無い状態を移し、ジオルドがフィルラドに体をぶつけて口無い状態を移し、フィルラドはこれ幸いとばかりにアルテアちゃんの手にキスして口無い状態を移し、そしてアルテアちゃんは秒でフィルラドにケツビンタ。口無い状態は移らず。
『ん゛ん゛ん゛ッ!!』って唸るアルテアちゃんがマジに怖かったことをここに記す。視線と眉間の皺だけであそこまで怒りを表現できることを、俺は初めて知った。
盛り上がってきたところで『じゃあ、そろそろネタ晴らしをしようか!』ってピアナ先生はアルテアちゃんにウィンクし、自分のほっぺをつんつんした。何かを察したアルテアちゃんは、軽く先生に頭を下げてからほっぺにキス。『きゃあ……!』って黄色い声が上がったのはどういうこっちゃ?
『ん!』ってピアナ先生の天使なお口が消失。アルテアちゃんは『……空気が美味い』ってすっきり笑顔。『やっぱアティは口のあるほうがいいな』ってフィルラドは言ってたけど、そもそもアルテアちゃんの口を消したのはお前じゃないかって思った。
喋れないピアナ先生に代わり、グレイベル先生が解説を始める。なんでもこいつはクチナシと呼ばれる魔物が起こす現象であるとのこと。じゃあそのクチナシはどこにいるのかと聞いてみれば、ピアナ先生が『んーっ!』って自分の口(があるはずの場所)を指さした。
『…口を塞いでいる肉そのものが、クチナシだ』ってグレイベル先生。が、ポポルほか体験者は『普通に触られてる感覚はあった』と証言する。
とりあえず、以下に概要を示す。
・クチナシはほぼ実体を持たない、どちらかと言えば悪霊に近い性質を持つ魔法生物である。実体を持たないため、往々にしてクチナシは何らかの生物に憑依した状態で発見される。
・クチナシに憑依された生物は口が無くなる。より正確に言えば、顎や頬などの肉がそのまま地続きとなり、口というパーツそのものが元からついていなかったようになる。
・クチナシに憑依されると口が無くなるため、クチナシ憑きの人間はまともに喋ったり物を飲み食いできなくなる。
・クチナシに憑かれていても口そのものの感覚はあり、口のあった部分に触れると触られた感触が伝わってくる。また、少なくとも自分の感覚上では口を大きく開けたり、舌を突き出したりすることも可能である。ただし、実際は口が完全に塞がっているように見える。
・上述のクチナシの性質より、クチナシ憑きは一切の補給活動ができなくなるため、日に日に衰弱していく。刃物などで無理やり口をこじ開けようとしても、感覚が丸々あるので類稀なる痛みを伴うことになる。また、仮にこじ開けられたとしても、すぐにまた口は塞がる。
・そうして衰弱死した獲物をクチナシは時間をかけて捕食する。
・クチナシの本体は口を塞いでいる肉壁そのものである。この肉壁は魔法的に生体親和性が非常に高く、またクチナシが悪霊の如き性質を持っているため、クチナシ憑きは口の位置にいるクチナシを触ると自分の体が触られているように感じるのである。
・クチナシ憑きは接触感染する。多くの場合、クチナシが憑依している口の接触によって他者に移るが、クチナシが活性化している場合、ごく短時間、口以外の場所での接触でも移る可能性はある。
・上述の感染は厳密には寄生先を変えるだけの移動であり、クチナシを移した側の口は元通りとなるが、クチナシ自身が十分に成熟していた場合、移動ではなく文字通りの感染となり、クチナシ憑きが二人となる。クチナシはこのようにして数を増やしていく。
・魔物は敵。慈悲は無い。
やっていること自体は割と地味とは言え、なかなかに厄介な魔法生物。いくら魔系でも自分の口にナイフを突き立てるのはちょっとやだ。だいぶ痛そうだし。
『…飲み食いできないのも驚異的だが、それ以上に喋れないのが恐ろしい。呪文の詠唱はもちろん、声で意思疎通ができなくなる。夜や洞窟の中……暗い場所でクチナシに憑かれたら、そいつから真っ先に死ぬだろうな』ってグレイベル先生はしみじみ。元から無口な人だったら割とその辺何とかなりそうだけど、そこはどうなんだろう?
あと、単純に口で呼吸ができなくなるから、激しい運動をするのもヤバくなるらしい。『…全力ダッシュしたら、そのまま気絶しかねない。そうでなくとも、意識が朦朧とするだろうな。魔物とやりあっているときにそんなことになったら……考えたくもない』とのこと。話だけなら魔系殺しな特性に思えるけど、その実バリバリの武系キラーなのだとか。
ここで、ちょっぴりの疑問が。『クチナシがどんな生き物なのかはわかりましたが、そもそも獲物に憑依する前のクチナシってどんな姿をしているんですか?』ってクーラスが鋭いところを突く。『対処方法も教えてほしいの! どうせギッタギタにできる方法があるに決まってるの!』ってミーシャちゃんも。よほど口を塞がれたのが堪えたのだろう。
グレイベル先生、あごでくいっとピアナ先生に合図。ピアナ先生、『ん!』ってロザリィちゃんをちょいちょい。『ん、んー?』ってちょっと申し訳なさそうに、近づいてきたロザリィちゃんのほっぺにキスをした。
『ん……!』ってロザリィちゃんのキュートなお口が消失。お口が無くてもロザリィちゃんはやっぱり可愛い。ぽかんとした表情がチャーミング。でもお口のあるロザリィちゃんのほうがもーっと素敵だ……って思っていたら。
『んっ……! んっ……!』ってロザリィちゃんが泣き出した。冗談じゃなくマジ泣き。そのぱっちりした目からポロポロと大粒の涙が止まらない。なんか俺まで泣きそう。
『ご、ごめん! すぐに何とかするから!』ってピアナ先生もかなり慌ててた。『──くん! ロザリィちゃんにキスして! 早く! 先生が許す!』って大きな声も。
言われるまでもなく、ロザリィちゃんにキス。泣いているロザリィちゃんを放っておくなんて真似、俺にできるはずがない。愛をしっかり込めて、ぎゅうって強めに抱きしめて、背中もトントンと叩いて……。
たとえ口なんて無くても、俺たちはキスしている……心と心でつながっているのだという確かな満足感。キスする度に沸き上がる、甘く幸せな気持ちと、ロザリィちゃんは俺の恋人であるというある種の優越感や独占欲にも似たそれ。それらが入り混じり、心が昂ってくる。
……ってのがいつもの流れなのに、なんか口の中が地獄。苦くて渋くてエグくて根性のひねくれ曲がったドブみたいな腐敗臭が。おまけになんかじゃりじゃりネトネトしていてたいそう不快。微妙にチクチクもしたし。
『…そろそろ、いいぞ』ってグレイベル先生。『……あっ!』ってロザリィちゃんが顔を離せば、そこにはいつも通りの可愛いお口が。さすが俺のロザリィちゃん。
一方で俺の方はお察し。なんかみんなが距離を取るレベルで臭い。露骨に顔をしかめて鼻をつまんでいるやつらがいっぱい。
そして、俺の口は塞がっていない。
『口の中、なんか固まってきてない? いい感じのところでぺっ! ってやって』ってピアナ先生。言われてみればなんか固形物ちっくなものができてきた。
頃合いを見計らってぺっ! ってやったら、なんと大きめの飴玉サイズの変な宝玉(?)みたいなものが。
『この濁った珠がクチナシの本当の正体だよー! 表面の濁った透明な部分が実体化した霊体部分で、これに肉の部分が包まれている感じかな!』ってピアナ先生が言っていた。
なんでもこのクチナシ、生き物に憑く前は綺麗な飴玉みたいな見た目をしているらしい。そうやって獲物を油断させ、自らを食べさせることで最初の憑依を行うのだとか。獲物を食ってきたクチナシ(憑依しているだけでもガンガン魔力とか吸われているとのこと)ほど、正体であるこの珠が濁って形容しがたき悍ましさを発するようになるとのこと。
『…こうなってしまえば、あとは踏みつぶすだけで殺せる。ただ、正体を引きずり出すには口で直接やつを引きずり出すしかない。どういう仕組みかわからんが、口同士の移動ではクチナシは肉壁を保てず、口内で元の珠に戻るんだ』ってグレイベル先生が口直しの水をくれながら教えてくれた。
『だから、普通にキスしても問題ないロザリィちゃんに……危険だとわかっていても躊躇いなくキスしてくれる──くんがいるロザリィちゃんに移したの……ごめんね、最初に説明するべきだったね』ってピアナ先生はロザリィちゃんをぎゅうって抱きしめながら謝っていた。
ちなみにロザリィちゃん、口が無くなったら俺と二度とキスができない、ひいては俺がロザリィちゃんのことを嫌いになっちゃうと思って泣いちゃったらしい。俺がその程度のことでロザリィちゃんのことを嫌いになるはずがないのにね。
『たとえキミがグズグズに腐ったアンデッドになったとしても、俺はキミを愛しているし、いくらでもキスできる』って事実を告げたら、ロザリィちゃんってば真っ赤になって、『……だいすき』ってクチナシも溶けて消えてなくなりそうなくらいにあっついキスをしてくれた。うっひょう。
最終的に、『キスしてくれる人がいないと倒せないから、クチナシに絡まれたらいろんな覚悟をしてね! 案外、これがきっかけで進展することもある……かもね!』ってピアナ先生は締めくくる。シチュエーションとしては悪くない……いや、あのドブ臭さじゃロマンスなんて無理だな。
なお、当のクチナシは面白がったギルに憑けられ、『ちょれえちょれえ!』って魔法法則をぶち壊してギルが大口を開けたため、見るも無惨にズタズタの八つ裂きになった。
そもそもとして、ギルの肉体に憑けられた時点であいつの死は決まっていたんだけどさ……いや、ギルの方から受け入れたってことか? 寄生と憑依は似ているし、良い意味でも悪い意味でも相性が良かったのかもしれない。
夕飯食って風呂入って雑談して今に至る。何気にクチナシの後味がかなり残っていて気分は最悪。水を飲んでも拭えないし、夕飯も楽しめなかった。ちゃっぴぃのやつも露骨に俺を避けてロザリィちゃんのところ行っちゃうしさぁ。
でもでも、ロザリィちゃんは『……おやすみなさいのキス、しないの?』って甘えてきてくれた。『したいのはやまやまだけど、もっとコンディションを整えてからのほうが嬉しいかな?』って返してみれば、『そういうとこ、本当にだいすきだよ!』ってほっぺにキス。俺もロザリィのそういうところ本当に大好きだ。
ギルは今日も大きなイビキをかいて寝こけている。やったこと自体は大したことないし、生物学なのに体力的にかなり余裕がある……のに、なんか妙に疲れた。
思えば、今日の授業でダメージ受けたのって俺だけじゃね? クラスの半数近くはクチナシ憑きにすらなってなかったし。
まぁいいや。今日はさっさと寝る。ギルの鼻にはクチナシ(本体)の欠片でも入れておこう。クチナシの肉のほうが色々便利そうだったんだけど、あれはもうダメそうだったし。おやすみなさい。