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取材その9ー男が女に信じられたなら

 家に戻って軽く仮眠を取ったカーズは、カップを片手に椅子に腰掛けていた。


「ただいま……あら」

 玄関の戸を開けた、南国特有の浅黒い肌と黒髪の妻ケイトが、大きな黒い瞳を細めた。


「一体いつからそうしているの?」

 笑いを含んだ声に、自分が随分と長くこうしていたらしいことに気付いた。カップの中になみなみと残る琥珀色の液体は、すっかり冷たくなってしまっている。窓から入る光にはオレンジが混ざっていた。


「お帰り。君が戻ったということは、もう夕刻か」

「ええ。そうよ」

 殆ど口をつけていないカップをケイトにやんわりと取りあげられ、カーズは大きく溜め息を吐いた。その様子にふふっと声を立てたケイトが、コンロにケトルをかける。


「ご飯は? あ、食べてないわね」

 鍋の蓋を開け、減っていないスープを確認してから、鍋のコンロにも火を点ける。鼻歌まじりに作り置きの料理を温め、テーブルに並べた。


「お腹が空いていたら、いざという時に動けませんよ。暗ーい考えにとり憑かれてしまうのだから」

 肩を竦めて片目を瞑るケイトに、カーズはふっと鼻から空気を抜いた。有りがたく、湯気のたつ食事をいただく。


 ケイトと共に料理を胃の腑に収めながら、カーズは新聞社を訪れてからの出来事を語った。

 ケイトもギルバートのことは聞いていたようで、ケイトの病院に入院したリーガルのことは言わずもがなだった。


「カーズ」

 大きな黒い瞳の目元が少し上がっていた。カーズは黙して次の言葉を待つ。

 カーズの予想に反して彼女は何も言わなかった。


「ほら、貴方も手伝って」

「あ? ああ」

 テーブルの上の食器をざざっと片してしまうケイトに促され、カーズも器を下げた。


「はい、手を出して」

 カーズは戸惑いながらも、腰に手を当て蠱惑的な笑みを浮かべたケイトの言う通りに片手を出すと、ぐいと引っ張られた。

 軽くたたらを踏むと、その勢いを利用してケイトが木床を踏み鳴らした。ケイトの靴底がコココン、と軽快なリズムを刻み、カーズは強制的にダンスに巻き込まれる。


 ケイトの両親は南国出身で、ケイト自身も南国の血が色濃い。南国では音楽や舞踊が生活の一部のように在るそうで、時おりこうして付き合わされることがある。が、今回は唐突過ぎた。


「ほら、もっと楽しそうに。そんなんじゃ、だめだめ!」

「ああ、糞! こうか?」

 なし崩しに始めさせられたダンスだが、持ち前の負けん気も手伝って次第に熱が入る。


「まだ固いですよ。そうそう、その調子!」

 ダンスには決まったステップも、上手いも下手もないのだとケイトもケイトの両親も言っていた。初めて挨拶に行った日、同じように強制的なダンスの輪に加えられた事を思い出す。

 当然上手く踊れなかったカーズに、ケイトの両親は言ったのだ。「この輪に入った君は、これで家族の一員だ」と。


 その時の胸がつまるような感動を、カーズは上手く表現出来なかった。ただ黙ってケイトの両親に頭を下げた。


 それまでカーズは、第二部隊に所属していることを負い目に思ったことはなかった。

 だがケイトとの結婚を意識した時、初めて負の感情を持った。第二部隊の己がケイトを不幸にしてしまうのではないかと。

 結果的にカーズの懸念はケイトに笑い飛ばされ、杞憂に終わったのだが。


 ケイトの黒髪が跳ね、白く骨張った手を握る、褐色のたおやかな手を支点にくるりと回れば、緋色のスカートが広って閉じる。二人の距離がゼロになり、離れ、また戻る。弾む息と楽しそうなケイトに引きずられて、カーズは沈んでいた気分をしばし忘れていた。


「はい、フィニッシュ!」

 胸に飛び込んできたケイトをカーズは受け止め、始まりと同じく唐突にダンスが終わる。


 軽く上がった息を整えながら、見上げてくる黒曜石の瞳を覗きこんだ。ケイトはいたずらっぽい光を浮かべ、腕の中から手を伸ばしてカーズの頬を撫でてくる。


「しようのない人。時々、迷子の子供みたいな顔をしますね、貴方って」

「そうか?」

 可笑しそうにくすくすと頬を撫でてくる手を、カーズは握って苦く笑った。


「あの時の貴方も出会った時もそうでしたよ。病院の廊下に座り込んでる貴方は、今にも泣きそうに見えたの。迷子になって走り回った挙げ句、転んで怪我をしちゃった小さな子供みたい」

「酷いな、それは」

 ケイトとの出会いは病院だった。四年前、レイブンを病院に担ぎ込んだ時のことを口にされ、カーズは眉尻を下げてくくくと喉を鳴らす。カーズの自嘲気味な笑みを咎めるように、黒い瞳の光が強くなった。


「そんなに情けない顔をしてたか、俺は」

「ええ。可哀想で放っておけませんでした」

 ケイトは眼差しをふっと緩め、肩を竦めて茶目っ気たっぷりにウィンクして見せる。


「レイブンさんのお見舞いに来ては、病院の前で立ち止まっていた時もそう」

「見てたのか」

 カーズは驚きに軽く目を見張ったが、病院の窓は廊下一面に大きく取られているのだから、よくよく考えれば当然だ。


「ええ。廊下の窓からは丸見えだったもの。他の看護師の娘たちはそんな貴方を見て、格好いいだのきゃあきゃあ言っていたけれど、私はそうは思わなかったわ」


「よくそれで俺と一緒になったな」

 思えばケイトには、情けないところしか見せてはいないのではないだろうか。小さく瞳を揺らしたカーズの手が、強く握り返された。

 男の自分の手よりも、小さく柔らかくて細いその手の力強さに、カーズはいつも呑まれる。黒い瞳が宿す光に釘付けになるのだ。


「あの時の貴方は、転んで怪我をして泣きそうな顔だったけれど、必ず真っ直ぐ前を向いて帰っていったわ。涙を堪えて立ち上がる男の顔に、私は惚れたの」


 今の黒瞳が宿すのは優しい慈愛であったが、単なる赦しでも慰めでも励ましでもないと思った。カーズの背筋が自然と伸びる。


 柔らかな微笑みで、容赦なくカーズの背中を叩く。

 それがケイトであり、カーズはそんな女に惚れたのだ。


現在いまの貴方を作っているものは何? 意地かしら? どうでもいい矜持かしら? 違うわよね?」

「ああ。それは違うな」

 きっぱりと断言すると、ケイトは満足そうに頷いた。


「私は貴方の仕事を見たことないし、世間一般と同じくらいしか知らないわ。私が見てるのは第二部隊隊長カーズではなく、ただのカーズよ。私が信じているのも、今ここにいるカーズという一人の人間よ」


 カーズの手を握る小さな手から、腕の中の華奢な体から伝わる熱がカーズの心の芯へ火を点す。


「信じています。カーズ。貴方という人が、簡単に投げ出さない人で、最後までやり遂げる人だと」


 男が女に信じられたなら、応えずになんとしよう。男の顔を見せずしてなんとしようか。


 迷いは消えていた。否、最初から迷う選択肢などないのに、ぐだぐだと不甲斐なく躊躇っていただけだ。


「転んで怪我をしたら手当てしてあげましょう。泣きたくなったら慰めてあげる。だから、安心して突っ走ってきなさい。だから立ち上がって。前を向いて。男の顔を私に見せて」


「ああ。当然だ」

 後悔することになろうとも、世間が否定しようとも、傷つこうとも進み続けてみせようではないか。


 カーズは握った手を引き、ケイトの腰を抱き寄せる。柔らかな体と甘やかな香りを強く己に刻みこんだ。

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本編
「琥珀の夢は甘く香る ~アンバーの魔女と瞳に眠る妖魔の物語~」
本作のプレストーリー。単独でも楽しめますが、こちらを先に読んだ方が分かりやすいです。
「治安維持警備隊第二部隊~ナナガ国の嫌われ部隊の実情~」
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