依頼その13ー敷かれた道筋
聞き覚えのある笛の音に、ドネシクを始め議会メンバーたちの顔色が青くなる。
「馬鹿な! 今はまだ昼間だぞ! 妖魔の動く時間ではないではないか」
三大商会の会頭の一人、バルミット商会のゼルスが椅子から腰を浮き上がらせた。
ざわつく周囲を余所に、きたか、と静かに独りごちてカーズは数日前、ラナイガの屋敷に呼び出された時の事を思い返していた。
「お呼び立てして申し訳なかったですねぇ。ええ、ええ。はじめまして、ではありませんから私のことはご存知でしょう。第二部隊隊長カーズ君」
如何にも好好爺という風情の小柄な老人は、にこやかにカーズを迎えた。柔らかな動作でカーズに椅子を勧めてから自身も座る。
「して、ギルバート元隊長ですが」
適度に体が沈みこむ椅子にちょこんと体を納めた三大商会の会頭ラナイガから、ハヤミとはまた違う空気を感じてカーズは腹に力を入れた。
「彼は何故自らの中へ妖魔を生んだのでしょう。宿主となった彼はどういう行動を取るでしょう?」
柔和な笑みで聞くラナイガへ、カーズは自分の見解を返す。
「ギルバート隊長は戦って死にたかったと言っていました。右半身麻痺の自分に絶望して、酒を飲んでは消えたいと。あの能力はそこからきています」
酒に溺れたギルバートの姿が脳裏に甦った。不自由な体を小さく丸めたあの背中のやるせなさを思い出す。
「なるほど。では、これから彼がとる行動は?」
「戦って死ぬ。それも俺たち第二部隊と、いや、自惚れでなければ俺と殺し合いたい筈です」
これには確信があった。三十年以上第二部隊に席を置き、隊長として荒くれ者の第二部隊を統率したギルバートは、隊長となっても嬉々として前線へ身を投じるような男だった。彼なら戦闘そのものを楽しみたいと願う筈だ。ならば相手は強者である方が好ましい。
ギルバートがカーズを認めてくれているならば、カーズと殺り合う舞台を整えるだろう。
「それだけなら、とっくにやれていたことでしょう。しかし数日間動きがありませんねぇ。何故ですか?」
腹の探り合いというのは、また違った緊張感を伴うものだ。にこにこと笑うラナイガの瞳は、シワに埋没してしまって読み辛い。刺々しい雰囲気など皆無な老人が隠し持つ刃が、見えないながらカーズへ圧力をかけてくる。
この老人がカーズを呼んだのは、ギルバートの目的を聞きたいが為ではない筈だ。まぶたの奥に細く見える灰色の目が、カーズを観察している。
カーズにはラナイガの思惑を読み、自分に有利なように動くなど出来はしない。下手な小細工もはったりも無用と判断した。
「ギルバート隊長は高位妖魔になる気はない。なれば俺たちが隊長を殺せなくなる。これが一つです」
高位妖魔になってしまえば、カーズたち第二部隊の持つ武器は効かなくなり、ミズホ国の妖魔狩りの力を借りなければならなくなる。
「もう一つは……俺ならもし宿主になったなら、腹の立つ連中を叩きのめしに行きます。妖魔というものは欲望に忠実なものですからね。しかし隊長はそれをやっていない」
ギルバートは議会メンバーの元に現れては、姿だけを見せて恐怖を煽っている。議会メンバーを殺すでも殴るわけでも罵るでもなく、その際に第一部隊だけを叩きのめしてだ。
『ここまで上がってこい、カーズ。ここまで来て初めて上の奴らには文句を言える土俵に立てる。それより先はお前次第だ。変えたければお前が変えろ』
四年前、理不尽に歯噛みしたカーズへ当時隊長であったギルバートがかけた言葉だ。
「隊長は道を敷いてくれているんです。俺たちの為に」
「君にとってギルバート元隊長は今でも隊長なのですねえ」
ラナイガに指摘されて、自分がギルバートのことを隊長と呼んでいたことに気が付いた。老人の笑みが更に深くなり、奥に見えていた目が完全に埋没する。これが老人の本当の笑みなのだろうと、カーズは直感した。
「成る程。ええ、ええ。これで確定しましたねえ。彼らを追い詰める策が」
ラナイガのほっほっほっという朗らかな笑い声が、やけに耳へ残った。
「どういうことか私にも分かるようにご説明願えますか?」
駒として動くのならば知る権利もあるだろうと、ラナイガを促した。老人は楽しそうに何度も頷いてから口を開く。
「議会長としては、国民の関心を全て第二部隊に向けておきたいがギルバートは始末してほしい。先にギルバートを殺させてから、カーズ君に責任を擦り付け、辞任させれば万事解決です。それをさせないために、ギルバートは第一部隊を虚仮にしているといったところでしょうよ」
そこでシワだらけの手を伸ばし、先に淹れてあった茶で喉を潤した。一呼吸置いて続ける。
「元第二部隊隊長ギルバートが宿主になれば、高位妖魔になる可能性が高い。そのギルバートが議会メンバーにいつでも殺せるぞと脅しをかけているのです。ええ、ええ。ドネシク議会長も内心は焦っているでしょうよ。なにせ昨夜は議会長のところに現れたらしいですからねえ」
報せを受けて第二部隊が駆け付けた時、腰を抜かしていたドネシク議会長はカンカンに怒っていた。
「しかもこれだけ第一部隊がいいようにやられていると、第二部隊にばかり世論の意識を逸らせておけませんからね。カーズ君に、早くギルバートを始末してもらうための圧力をかけることと、責任の追及、この二つの目的からまず間違いなく査問会を開くでしょうよ」
カーズはぐっと眉間にシワが寄るのを抑えられなかった。どこまでも第二部隊を馬鹿にしている。
「ほっほっほ。しかしねえ。慌てて査問会など開くこと自体が、第二部隊の重要性を証明しているのですよ」
またラナイガが、分かるような分からないようなことを言う。
「言ってやりなさい、カーズ君。第二部隊が一体どういう存在なのかを。君たちを軽んじる浅はかな考えが、どういう結果をもたらすのかを突き付けてやりなさい」
後のことは任せておきなさいと太鼓判を押して、話を締めくくった。




