取材その10ーブン屋の役割
新聞社のデスクに向かったウェルドは、何本目かの煙草に火を点けた。灰皿のなかには吸い殻が積もり、煙草を咥えたウェルドは、キーボードを打つ格好で手を置いたまま、メモ書きだらけの手帳を机に開いている。
打ち込まれる気配のない記事は真っ白だ。ウェルドがこうして机にかじりついて、既に小一時間になる。
あれから数日、事態は進展しなかった。ギルバートに動きがないわけではない。ナナガ国国議会メンバーの官邸に姿を現しては、護衛の第一部隊隊員を蹴散らし、また姿を消すということを繰り返している。
「昨夜も現れたらしいですね。やっこさん」
まだ年若いどこか眠たげな男が、初老の男へ話しかけた。
愛想のない机には書類が山と積まれ、紙に埋もれるように初老の男が、辞書を片手に出来た記事をチェックしている。
「全く、何をしたいやら。宿主ってやつの行動は分からねえやなあ」
頷いた男が、すっかり白く染まった頭をカリカリと掻いてぼやく。辞書をぱらりと捲り、赤いペンで線を引いてから正しく書き直した。
「宿主は普通、人間を殺したがるもんでしょ? それが護衛を叩きのめして脅しをかけるだけってんだから。ま、俺たちにとっては話題に困らなくていいですけどね」
年若い男、ジェイクがそう言って飴玉を口に放り込む。
「お前らなんぞ何時でも殺せるぞってんだろ。なんせ元第二部隊隊長だ。それが妖魔の身体能力と、何時でも姿を消せる能力を手に入れたんだ。エリートさんの第一部隊じゃ相手にならねえわな」
学校で試験を突破し、一応は厳しい訓練を受けた部隊だが、実戦経験は皆無に近い。有名どころな商会の身内や、三大公爵家に連なる者たちに、肩書きや箔をつける為のエリート部隊なのだ。
「ああー、やだやだ。頼りにならない第一部隊」
「同感だが記事には書けねぇぞ」
「書きませんよ。長いものには巻かれた方がいいですからね」
第一部隊を叩くということは、彼らの背後にいる商会やら貴族連中やらを敵に回すことになる。特にナナガ国で絶大な力を持つ商人たちに楯突くのは頂けない。
今朝も紙面を賑わせているのは元第二部隊隊長の醜聞だ。どの新聞社もこぞって第二部隊を叩き、ウェルドたちのいるタイラー新聞社も例に漏れていなかった。
「ウェルド、聞いてるか? 妙な考えをおこすんじゃねえぞ」
「……聞いてるし、分かってますよ。妙な考え? 糞食らえですよ、んなもんは」
初老の男の呼び掛けに、ウェルドは一文字も書かれていない画面を睨み、唸るように答えた。
「どうだかなあ。お前のことだから、何だかんだでほだされたんじゃねえか?」
「……」
「おおい、聞いてるか?」
聞いていない訳ではなかったが、意識の外に追いやったためウェルドの脳は雑音として処理してしまっている。
気だるげな目をした若い男とくたびれた老新聞記者が、互いに目配せをしてからお手上げとばかりに肩を竦めたのも、背景の一部だった。
ここぞとばかりにウェルドも第二部隊を叩くべきだ。民衆の不満の矛先を第二部隊に向ければいい。今までも散々やってきたことなのだから簡単な事だ。
上からは「第一部隊の失態を、第二部隊を叩くことで民衆の目を逸らせ、目立たなくしろ」との指示が出ていた。
宿主や妖魔の被害者の家族へ寄り添うのが、ウェルドの信条だった。彼らの心情を思えば、第二部隊をボロカスになじることに躊躇いはない。
「……気に入らねぇ」
ぼそりと低く吐き出されたウェルドの呟きは、誰に届くこともなく消える。あの青い目が見せた揺らぎと隠しきれなかった憤り、今までウェルドが見てきた現場の惨状と、遺された者たちの慟哭が思考を埋める。
咥えた煙草がゆっくりと燃えて灰になっていき、脆くなったそれはやがて静かに折れて手帳の上に落ちた。画面から視線を剥がし、手帳を汚す灰をウェルドは見るともなしに眺める。
間もなくしてまだ長さを残す煙草を灰皿の中で揉み消し、ウェルドの手は淀みなくキーボードを叩き始めた。
記事に没頭し、忙しなくキーボードを打つ指先が最後の文字を結ぶ。大きく息を吐いて、ウェルドは強張った肩を回した。
集中力が切れると、途端に腹の虫が鳴る。ウェルドは苦笑して昼飯でも買いに出掛けるかと、机を漁り財布を取り出し、くたびれたシャツのポケットへ捩じ込んだ。
その前に一服しようと新しい煙草に火を点ける。煙で肺を満たせば空腹も薄まったが、食べないわけにもいかないだろう。ウェルドは仕方なく重い腰を上げた。
「はい。タイラー新聞社。ああ、はい、はい、ちょっとお待ちを」
電話を取ったジェイクが受話器に手で蓋をして、ウェルドの名を呼ぶ。
面倒そうに顔だけをジェイクへ向けたウェルドへ、受話器を振ってみせる。ウェルドに掛かってきたということだろう。
ものぐさに手だけを伸ばして受話器を受け取り、耳に当てた。くるくると巻いた電話線が限界まで引っ張られて伸びる。
『ウェルド・カーギスさんですかねィ? アタシはハヤミ。ミズホ国のデンキってやつでさァ』
受話器からは独特の喋り方をする男の声が響いた。




