第89話 餡子を頭に乗せる猫
山ノ神村が〝神の住む村〟と呼ばれる由来となった下加美神社は、村を一望できる山の麓に境内がある。
石造りの大きな鳥居をくぐり、石の階段を二百段ほど上ると、社務所が見えてくる。
社務所は年期の入った平屋建ての建物で、どうやら詩織の家族が住む住居にもなっているらしい。
庸平と佳乃が通された部屋は、い草の香りが漂う10畳程度の大きさの和室であり、中には折りたたみ式の長机が置かれていた。
元は神社の氏子さんたちの会合や軽作業用に用意されている場所だそうだが、使われていない時間には詩織と翔太の遊び部屋となっているらしい。
「せっかく先輩たちが来てくれたのだから、本当は私の部屋にご案内したいんですけど……翔太が私の部屋に入るのを父が許してくれないんですよ」
「詩織の父ちゃん、すっげー怖いからなー! 鬼の形相で睨んでくるもんなー!」
「えっ、そうなのか!?」
二人の会話を聞いて、庸平は思わず部屋の入口に視線を送った。
本物の鬼を見ても動じない翔太が怖がる詩織の父親とは、一体どんな人物なのだろうか。
そんな恐ろしい人物が住む家に、挨拶もなく入って来てしまったことを、彼はすこし後悔しはじめていた。
奥の長机には座布団が四つ敷かれている。
庸平と佳乃は奥側の障子を背に座らされた。
長机の上には、おはぎが大皿に山盛りに積まれている。
「これ、母の手作りなんです。先輩たちが来るからって、朝から張り切って作っていました。今、麦茶を持ってきますから、食べて待っていてくださいね」
そう言いながら、詩織は二人に濡れタオルを差し出した。
ひんやりと冷えていて、とても気持ちよい。
庸平がゴシゴシと手を拭いていると、
「うわぁー、美味しそう! いただきます」
佳乃はすでにおはぎに手を伸ばし、口に入れた。
「うわ、うまっ! 庸平も食べてごらんよ!」
後輩の家に遊びに来たことで、いつもよりテンション高めの佳乃に対して、男二人のテンションは一向に上がらない。
「ねえ、どうしたのさっきから様子が変だよ? あ、もしかして、庸平は甘い物が嫌いだった?」
「いや、おはぎは大好物だけど……」
「なら、ほら! ぱくっといっちゃいなさいよ!」
と言いながら、佳乃は自分の食べかけを庸平の口元に運ぼうとする。
庸平は慌てておはぎの山から掴み、一息で口に入れてもぐもぐと頬ばった。
「おお、確かに旨い! うちの祖父ちゃんが作るやつより数段旨いな!」
赤くなった顔を誤魔化すように、庸平はテンション高めの自分を演じ始めた。
「桜木翔太、お前も食べてみろ! 美味しいぞ?」
「いいえ結構です。俺は先輩たちが帰った後でゆっくり食いますから!」
二人からは離れた場所に座ったまま、翔太はつっけんどんに返してきた。
丁寧な言葉遣いなところが、妙にしゃくにさわる。
「お前なー、いい加減に京都での一件は水に流せよ! そもそもの話し、お前の方から突っかかって来たんだろうが!」
それは修学旅行の初日、京都の伏見稲荷大社の敷地内で起こした騒動の話である。佳乃の黒魔術により魔物を召喚していたとき、突然現れた黒装束の男が、魔物を斬ったのだ。
「そうよ翔太君! 私たちの出会いは最悪だったけれど、それはあなたの勘違いから生まれた、すれ違いが原因だよ?」
佳乃も庸平に加勢した。
だが、翔太はうつむいたまま、ぷるぷると拳を振るわせ、勢いよくその場で立ち上がる。
「はあーっ? 白い魔物がずっと俺を睨んでいるこの状況で、お前らが何を言っても、俺は一切信じねーからな!」
佳乃に向けて人差し指を差す翔太。
その先には、佳乃の膝の上から白猫姿の白虎がじっと翔太を見つめていた。
「白虎さん! 話がややこしくなるから余計なことしないで!」
佳乃が白虎を窘める。
ちょうどそのとき、手に持っていたおはぎの食べかけから、餡子がぱらっとはがれ落ち、白虎の頭の上にぼたりと落ちた。
「あ……ごめん……」
慌てる佳乃をよそに、白虎が長机の上にのそりと上がる。
「その小僧は我が相棒を殺めようとした。その罪は未来永劫消えることはないぞ――」
白虎がバリトンボイスの低い声で言った。
「白虎、お前は頭が固いんだよ! それに頭に餡子を乗せた姿で言っても、ギャグにしか見えないぞ?」
「ご、ごめんね白虎さん、今取ってあげるから――ひっ」
佳乃が白虎の頭に手を伸ばしたとき、黒猫がピョーンとジャンプして、頭の上の餡子をパクッと平らげた。
一瞬の出来事に佳乃は短い悲鳴をあげて固まった。
もぐもぐと口を動かし、ゴクンと飲み込み、ペロリと舌舐めずりをする黒猫。
「あ、あなたたちも食べたかったの? ごめんね気が利かなくて……」
佳乃はおはぎを両手に持ち、茶猫と黒猫に差し出すと『キュルキュル』と鳴きながらぱくつき始める。
この2匹の猫は黄龍と黒龍の変化した姿である。
「やあ皆さんいらっしゃい。おやおや、可愛い猫ちゃんたちも来ていたのかー」
作務衣を着た、白髪交じりの中年男が入って来た。
どうやらこの男が詩織の父親らしい。
「あ、お邪魔しています。私たちは山水村の中学3年生、坂本佳乃と――」
「豊田庸平です」
「うんうん、娘から二人の話はよく聞いているよ。あれ? もう一人いたんじゃなかったかな?」
「あ、智恵子のことですね。彼女は家の用事があるそうで、今日は来なかったんです」
「そうか。それは残念だった。いや、それにしてもさすが3年生だね! うちの娘に英語の手ほどきをしていただいたら、あっという間に英語が話せるようになったそうじゃないか!」
あごに手を当てて、うんうんと頷きながら嬉しそうに話す詩織の父は、どこからどう見ても子煩悩で、人の良さそうな男だった。
「まったく、どこぞのぼんくら息子には、いくら教わってもできるようにならなかったのだがねえー」
そんな余計な一言を口走りながら、翔太に鋭い視線を送る詩織の父。
口の端がニヤリと上がった。
「もう、お父さん余計なこと言っていないでそこをどいてよ! 先輩方に麦茶をお出しするんだから!」
後ろに控えていた詩織が、しびれを切らして父の脇をすり抜けるように戻って来た。
「じゃあ、ゆっくりしていってくれ、2人とも!」
父は佳乃と庸平の2人に目配せをして、去って行く。
呆気にとられた2人は翔太の様子を見る。
翔太は苦笑いを浮かべながらも特別な反応は示してはいない。
「なかなか面白い親父さんじゃないか。いつもあんな調子なのか?」
庸平が詩織と翔太を交互に見ながら尋ねた。
「あっ、はい! 父と翔太はとても仲良しなんですよ!」
「「えっ!?」」
庸平と佳乃は顔を見合わせた。




