第86話 かわいい魔性の女
山水中学校の生徒たちの補習授業は、その後はとくに大きな事件もなく順調に進んでいった。授業の合間には佳乃と智恵子の二人は足繁く図書室へ通っていた。佳乃のお目当ては図書室その物ではなく、可愛い後輩に会って話をするためである。
8月に入り、夏の補習授業も中盤に差し掛かった頃――
「すごいじゃないの詩織ちゃん。もうほとんどの英単語、すらすら書けるようになったよね」
「はい、これもすべて佳乃先輩のお陰です!」
佳乃の可愛い後輩、神崎詩織は小動物のようにくるっと顔を向けて満面の笑顔を向けた。すでに二人は互いに下の名前で呼び合う仲になっていた。
「ううん、それは違うよ詩織ちゃん。私は覚え方を教えただけ。覚えられたのは詩織ちゃんの実力だよ?」
「いえいえ、佳乃先輩は先生に見捨てられそうになっていた私にも、ちゃんと分かるように教えてくださいました。だからぜんぶ佳乃先輩のお陰ですから!」
「えー、そんなことないよー、詩織ちゃんは――」
「はいはい、互いに褒めあっても何も出てきませんよ!」
となりで聞いていた智恵子が、読んでいた分厚い本を閉じ、パンパンと手をたたいて、呆れ顔で口を挟んでいった。
先程から智恵子はややご機嫌斜めなのである。相変わらずいちゃいちゃしている二人をジト目で見ながら智恵子はふと疑問を口にする。
「ねえ詩織ちゃん。もう再テスト受ければ受かるんじゃないのかな? 詩織ちゃんにとっての夏休みの補習は、再テストで90点取れればおしまいなんでしょう?」
すると詩織は小動物のような落ち着かない仕草で、少し困ったような表情を浮かべる。
「あれ……? うち変なこと言っちゃったかな?」
「あっ、違うんです長谷川先輩! 何というか……確かにそれはそうなんですけど……」
「けど……?」
「あの……」
今度は熟れたトマトのように顔を真っ赤にして――
「このままずっと補習が続けば良いなって思って……私、佳乃先輩に勉強を教えてもらうのが楽しくなっちゃって!」
――両手で顔を覆った。
それを目の当たりにした佳乃は、まるで可愛い子猫を見つけたような光悦の笑みで詩織の頭をなでなでした。
可愛いものに目がないはずの智恵子は意外にも冷静に――というよりも冷酷な表情で、その様子を眺めていた。
そして、口を開く――
「詩織ちゃん、どうやらあなたも友達がいないタイプのようね! 佳乃ちゃんと同じように!」
「なっ、なな、何を言い出すのよ智恵子!?」
佳乃も顔を真っ赤にして取り乱す。
しかしその後、ポツリと返した詩織の言葉は意外なものだった。
「私、友達はクラスにも近所にも沢山いますよ? 園芸部の先輩方にも仲良くしてもらっていますし、友達に困ったことはありませんけど? あっ、でも佳乃先輩のようなタイプの人は初めてなので出会えてとっても嬉しいですっ!」
キラキラとした満面の笑みが眩しい!
どうやら智恵子の見立ては間違っていたようだ。
神崎詩織という少女は初対面の相手でもその純朴な仕草と言動で垣根は作らない。
もしその相手が男であったら放ってはおけないだろう。
それはもう、ある意味、魔性の女といっても過言ではない特性――
「じゃあ、詩織ちゃんと佳乃ちゃんの立場は正反対ということね?」
「はあっ? 何を言ってるの智恵子! それではまるで私がボッチみたいな言い方になっているけれど?」
「そうですよ長谷川先輩! ひどいじゃないですか。佳乃先輩の親友であるはずの先輩が誤解してどうするんですか? 佳乃先輩にはカレシさんだっていらっしゃるし、こんなに優しい佳乃先輩は学校でも人気者のはずです!」
「あ、ありがとう詩織ちゃん……全人類の中であなただけが私の理解者よ……」
「先輩……」
二人は手を取り合ってきらきらした瞳で見つめ合う。
もう放っておくしかない。智恵子はそう思った。




