第85話 小さな恋の行方
夕方、いつもの時間に自宅マンションの鍵を開ける。
ベランダでは羽がぼさぼさになり、ひどくやつれたカラスの彼が私の帰りをじっと待っていた。ふらふらと体を揺らしている。もう意識がもうろうとしているようだ。私は慌てて窓を開け、彼を家に招き入れる。
「ごめん……そんなになってまで私を訪ねてこなくても……」
私は言葉に詰まる。
来てほしいと願っていたのは私。
彼はその私の願いを叶えてくれている。
一年半の間、一人暮らしを寂しいと思ったことはなかった。でも、彼と出会って、私は一人に戻ることが怖くなっていた。
彼はガラステーブルに一人で上がれないほど弱っていた。
私が手を貸してあげると、『カー』と鳴いた。
ありがとうって言ったのかな?
ゆらゆらして頼りなさげに立つカラスの彼……
こんなになるまで私の帰りを待っていてくれた。
『お願いを1つだけ叶えてあげる』という約束を果たすために?
――私は決意した。
「あなたは恋愛成就の神様。私の願いを1つだけ叶えてくれる。そうよね?」
カラスの彼は……こくりと頷いた。
「私の願いは……」
彼の目をじっと見つめて私は告げる。私の願いを。
「あなたとずっと――」
そう言いかけた瞬間、カラスはやつれた顔のイケメン男性に変化する。
やはり、あれは夢の中の出来事ではなかったみたい。
「それは駄目だ! それを言っては――」
彼は大きな声で私の声を遮ろうとしたが、私の心はもう揺るがない。
「あなたとずっと一緒にいたい! それが私の願いよ! あなた神様なんでしょう? 神様らしく私のお願いを叶えてちょうだい! 私は……あなたを……愛しています」
イケメン男性の彼は、私の肩を握った手の力を抜いて、うつむいた。
「君は馬鹿だ。もっと人間としての……女としての幸せを願えばいいものを……なぜワタシを選んだ? ワタシは人々から忘れられた神のなれの果てだ。君の願いを叶えたら消えて無くなる運命だった……」
「神様……たとえ全人類があなたを忘れても私だけはあなたを忘れない。それにこの数日間、あなたと暮らして私はとても幸せでした。だから、これからもよろしくお願いします」
私は三つ指をついて頭を下げた。それから私たちは抱きしめ合った。私たちの身体は神々しいばかりの光に包まれ、彼はみるみるうちに生気を取り戻していった。
そして私たちは結ばれた。
朝、目が覚めると、そこには彼の姿がなかった。
彼は私の体の中に入り込み、私自身は不思議な力を使えるようになっていた。神通力と言うらしい。
変身して背中に羽を生やせることを知った時の感動は今でも忘れない。
最初のころは夜空を優雅に飛び回っていたけど、ある時近所のお婆さんに目撃されて騒動になりかけた。それ以来は自粛した。あれは最大のピンチだったわ。
この体になって一番困ったことといえば、鴉天狗が時々私を襲いに来ること。その度に返り討ちに遭わせて、学校の屋上に作ったほこらに封印するのだ。
そして今日も二羽の鴉天狗を退治してこの石の中に封印していた。
「ほこらの中にも整理しないと駄目ね。もう石ころで満員になっちゃったわ」
大小さまざまな石を積み上げて作ったほこらも大分手狭になってきたのだ。鴉天狗は毎日のようにやってくるけれど、一体あと何羽ぐらいいるんだろうか。
カァ――……
夕陽が差し込む屋上から、山へ戻っていくカラスの群れが見えた。
私はぼうっとそれを見送っている。
カラスの群れにまぎれて一際大きな鴉天狗まで見えてしまう私の目は、便利なようでいて時には呪いたくなることもあるのだ。




