第81話 笑顔
3年1組の教室では、ようやく国語の補習授業が始まっていた。本来の開始時間から更に1時間遅れの補習授業。原因は図書室の片付け作業が思ったよりも手間取っていたからであるが、なぜか生徒たちから不満の声は上がらなかった。
教室のドアがガラリと開く。
豊田庸平が入ってきた。
「あら豊田君、もう大橋先生との用件は済んだのかしら?」
「ええ、まあ……」
国語担当の井上先生が言うように、庸平は大橋先生に呼ばれて屋上に行っていたのである。
「じゃあ、空いている席に座りなさい」
井上先生に促されて教室を見渡すと、広い教室に二十名弱の生徒が疎らに座っている。佳乃と智恵子は、一番後ろの席に座っていた。庸平と目が合うと、二人そろって自分たちの前の席を指差した。
席に座るなり、佳乃が小声で話しかけてくる。
「大橋先生と何の話をしていたの?」
「互いの村で起きている不思議な現象について、情報交換していた」
「ウチらの村の不思議って、豊田君の存在以上に不思議なことってないじゃん!」
智恵子が茶化してきた。
「俺の存在のどこが不思議なんだ?」
「自分でその自覚がないところが庸平の最大の弱点だよね!」
「それを言うなら佳乃も相当不思議な――」
「豊田君、それ以上言うと後が怖いよー、女の子はねー」
「はあ?」
そもそも智恵子が茶化してきたことが原因なのに……。そう言い返そうとしたが、庸平は言葉を飲み込み、ため息を吐いた。
どの道、いつかは話さなければならないことなのだけれど、それは補習授業が終わった後の方が良い。井上先生には私語をしている三人の姿がよく見えているようだから。
「ねえ庸平、なんか楽しそうだね?」
ようやく授業に集中し始めたころ、後ろから佳乃が声をかけてきた。
先生に気付かれないように後ろを振り向き、
「そうか?」
「うん。珍しく笑っていたよ」
「俺が笑っていた? 後ろから見て分かるのかよ?」
「私には分かるよ。だって私、ずっと庸平の背中を見ているんだから」
「うっ……」
なんか気持ち悪い。彼女がどうしてそんなことを言い出したのかも疑問だ。でも、確かに笑っていたかもしれない。庸平は改めて自分の口元を意識してそう思った。
「俺が笑うのは珍しいか?」
「庸平が教室で笑っているところ、初めて見たよ」
「そうか、確かにそうかも知れないな……」
山水村に引っ越してきて以来、学校は彼にとってつらい場所でしかなかった。しかし、赤鬼の襲来にあってからは少しずつ状況は好転してきた。とはいえ、思い返せば教室で笑ったことは一度たりともなかったかもしれない。皮肉にもその学校が廃校となり、彼の顔に笑顔が戻ってきたというわけである。
(しかし、あの校舎をこのまま野放しにしておく訳にはいかないな……)
大橋先生との情報交換で浮かび上がってきた、山水村が陰陽師の式神たちを封印するための場所であったというその事実のすべてを、今の彼にはまだ受け入れることができずにいた。




