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第7話 接触

 皆に最弱と呼ばれる男、豊田庸平はその呼び名に相応しく、四つん這いになって音楽室へと侵入する。

 彼の上半身が薄暗い音楽室に入った途端に、ふわっと石鹸の香りがしたかと思ったら、次の瞬間には急に視界が暗転した。

 彼の上半身は何者かによっては強く床に押さえつけられていた。


「どうしてあなたがここに?」

 それは坂本佳乃の声だった。

「さては私を殺しに来たのね。でも、最弱であるあなたにはどのみち助かる道はないわ。諦めなさい!」


 庸平はようやく自分の身に起きていることを理解した。クラスメートであり、いじめられっ子だった坂本佳乃のお尻が自分の背中に乗っており、彼女の太ももが自分の頭をギュッと締め付けている。視界が暗転した様に見えたのは、彼女のスカートが頭を覆っているからに他ならない。


「お、お願いです。どいて下さい。何も危害は加えませんので……」


 緊張感というものが全く感じられない彼の言葉を聞いて、佳乃は戸惑った。


(何なのこの人? 先程までの私の緊張で擦り切れた心を返して欲しい……)


 佳乃はフッと安堵の息を吐き、足の力を抜いた。

 その瞬間、庸平は腕立て伏せのように上体を起こしにかかる。

 彼の上に(またが)っていた佳乃はバランスを崩し、後ろへ倒れ尻もちをつく。

 すぐさま、庸平は通気用ドアを閉め、彼女へ覆い被さる。

 そして、彼女の両手と口を押さえつけた。


「――ッ!」


 一瞬のうちに形勢は逆転し、佳乃は動き完全に封じ込まれていたのである。 

 佳乃は後悔した。

 最弱と呼ばれる豊田庸平とはいえ、仮にも相手は男子である。

 力では到底敵うはずがなかったのに――


 死の恐怖から一転しての安堵感。その代償が更なる恐怖であろうとは――


(でも、このまま抵抗もせずに終わるのは嫌だ!)


 佳乃はエビぞりのように首を反らし抵抗する。

 すると、庸平の手が口からわずかに離れた。

 その隙を突いてがぶりと庸平の右手小指付け根付近を思い切り噛んだ。


「いっ――――!!」


 庸平は叫び声を上げそうになるのを寸前のところで我慢し、佳乃の口を押さえたまま上から覆い被さる。

 彼の顔が間近に迫り、佳乃は最悪の結末を想像した――

 

 佳乃の脳裏に幼い頃に亡くした母の優しい笑顔が思い浮かび、涙があふれた。

 それは佳乃が小学校に入学した頃の記憶――

 母は佳乃の髪を優しく解かしながら、綺麗な髪ねとよく褒めてくれていた。母譲りの黒髪が彼女の自慢だった。それから間もなく母は他界し、佳乃の不運は山水村に引っ越してきてもなお続いている。自慢の黒髪を褒めてくれる人はもういない。 


「静かにしろ! ドアの向こうに人がいる」

 佳乃の耳元で庸平は告げた。 

「――――!?」

 耳を澄ませると、廊下から音楽室の中をのぞいている3年男子の声が聞こえた。


「うーん…… 人の気配はないか……」

『ガチャガチャ……』

「……ドアに鍵が掛かっているからここにはいないだろう」

「そうだな…… 隣の準備室は?」

「……こっちも鍵が掛かっている」

「よし、次の教室へ行こう……」


 足音が遠ざかっていく。


「ふう-っ、危なかったな。危うく追っ手に見つかるところだったな!」


 庸平は安堵の表情を浮かべ、佳乃に話しかける。

 佳乃の目からは涙があふれ、恨めしそうな表情で庸平を睨みつけていた。


「うわっ! ……ご、ごめん痛かった?」


 庸平は慌てて佳乃の上から離れた。

 佳乃は上体を起こし、髪と服装の乱れを直しながら、


「痛いに決まってるでしょ! 女の子に馬乗りになって口を押さえつけて何をしようとしたの? ヘンタイー!!」

「先に馬乗りになって押さえつけたのはそっちじゃないか。それに……うわっ、ほら見ろよ、血が滲んできているー!」

 庸平は佳乃に噛まれた右手小指付け根付近を左手で押さえて痛がる。

「何よそれくらいの傷、すぐに直るわよ! 私なんて……私なんてねぇ……ううっ、どうすればいいのかもう何にも分からない……」


 佳乃が泣き崩れた。しかし庸平はそんな彼女の姿を冷静に観察していた。彼には一切の同情心は起きなかったのだ。自分をいじめている仲間の1人が、その仲間達に裏切られ心に傷を負った。ただそれだけのことなのだから――


 しかし庸平は『はっ!』と何かを思い出したように、


「おい、腹を見せろ!」

「えっ?」

「お前の腹を見せろと言っている!」

「な……なんで?」

「お前のお腹が見たいんだ! さあ、上着をまくって俺に見せてみろ!」

「あ、あんた……本物のヘンタイなの?」

「俺は変態じゃない!」

「じゃあ……どうして……」

「ただ、お前のお腹が見たいんだよ!」



『バチィィィ――――ンッ!』



 音楽室にビンタの音が鳴り響いた。


 庸平は頬に手を当て、今のは自分の言い方がまずかったかもしれないと素直に反省していた。彼にはどうしても確認したいことがあるのである。


 そんな庸平の考えを知る由もない佳乃は、ゆらりと立ち上がり――


「どうしても私のお腹が見たいなら『お腹を見せてくださいませ女王様』とでも言いなさいなっ!」


 佳乃は口の端を吊り上げヤケクソ気味に言った。


「お前ってドSキャラだったんだな。悪いが俺はドMではないのでそんなプレイには付き合えないぞ?」


「――ッ!」


 佳乃は顔を真っ赤にして、八つ当たりのパンチとキックを繰り出した。

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