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第52話 継母

 時刻は19時を過ぎると、山間部に位置する山水村は日照時間の長い7月といえども既に薄暗い時間帯である。それに加えて、外は嵐のような天候の上に、坂本家の中は停電中である。

 ほとんど光の差さない暗い坂本家のリビングの隅に、母娘が身を寄せ合って震えている。ダイニングキッチンと一体式の広い空間――その広さが返って恐怖を引き立てる。

 リビング入口のドアの向こう側は左が玄関、そして右が2階へ上る階段である。そのドアには格子状のガラスがはめ込まれていて、廊下に人がいればその気配が分かるようになっている。

 むろん、相手が人ではなく悪霊や魔物の類いでも――


 沈黙――


 キッチンの蛇口から滴り落ちる水滴の音。


 雷の青い光が窓から差し込む。


 雷鳴。


 佳乃と母は格子ガラスに透けて見えるドアの向こう側、廊下の様子を注視している。本当は見たくはない……しかし見なければ余計に怖い……


 廊下の右側、階段のある方から、不気味な足音が聞こえてくる。


 ずしり、ずしり、ずしり……


 足音がぴたっと止む。



 再び沈黙――


 ゆっくりと、音もなく黒い影が格子ガラス越しに写る。


 それは老婆の横顔。


 その視線の先には閉じられた玄関ドアが見えるはず。


「ゴホゴホッ!」


 母が咳き込んだ。

 彼女は喘息をクスリで抑えているものの、極度の緊張から咳が出てしまった。


 格子ガラスの向こうで老婆の視線が動いた。


「ひぃぃぃぃぃー……」


 母娘そろって悲鳴を上げる。

 老婆がその血走った目で格子ガラス越しに母娘を凝視していた。


 ドアノブがゆっくりと回され、ドアが開かれる。 


 老婆の白く長い髪はゆらりと広がる。

 大きく開かれた目は血走り、しわは益々深くなっていた。


「みーつーけーたーよ、おじょうさーん。ふひひひひひ」


 佳乃は老婆の声を初めて聞いた。

 しわがれた声は異様に高く、それが人の声でないことは容易に理解できた。


 老婆は一歩、一歩、母娘に近づいてくる。


 稲妻が光り、雷鳴が轟く――


 母はその瞬間、自分達の背後にガラス窓があることを思い出した。

 玄関からの脱出路が断たれていても、窓から逃げれば良かったのだ。

 母は混乱と恐怖の中、頭の回転が鈍っていた自分を恨んだ。

 

「佳乃ちゃん……ここはお母さんが何とかするから、あなたは後ろの窓から逃げなさい。もし玄関みたいに鍵が開かなくてもガラスを割ってでも逃げなさい!」


 老婆に聞こえないように小声で母は話した。

 せめて娘だけでも逃がしたい。

 自分のことは後回しにしなければ(・・・・・)

 そう考えた。


 佳乃から手を離そうとするが、その手を佳乃がつかみ返して反論する。


「ふざけないでよ! 私はあんたのその態度が気にくわないのよ……お母さんお母さんって……私のお母さんはもう死んだ! あなたは私の父のお嫁さんであって私のお母さんじゃないのに……なのにどうして」


 母は思った――佳乃の気持ちは充分に分かっているつもりだ。夫は前妻のことをあまり話してはくれない。きっと私に気を遣っているのだ。私が嫉妬深い女であることを知っているから。それほどまでに、前妻は素敵な(ひと)だったのだろう。でも今は私があの人の妻。そして佳乃の母は私だ。


 母は佳乃の頭にぽんと手を乗せて、


「ごめんね佳乃ちゃん……私がいろいろと出しゃばりすぎちゃったね……でも最後ぐらいは母親らしいことをさせてちょうだいね?」


 震える足に活を入れるように手で叩いて立ち上がる。

 そして両腕を広げて、


「あなたの相手は私がします……だから娘には手を出さないで!」


 震える声で老婆に言った。


「ねえ、殺されちゃうからやめてよぉ……」


「私のことは心配しないで! さあ、今すぐ逃げなさい佳乃ちゃん!」


 佳乃の背中を窓に向かって押し出す。そして両手を広げて老婆へ向かっていく。

 

 これで佳乃が窓の鍵を開けて逃げるための時間を稼ぐことができるはず。そう母は目論んでいた。


 しかし――


 目の前の老婆が草苅ガマを振り上げたとき、決心が揺らぐ。

 腕で頭をガードする。


 草苅ガマは左腕に突き刺さる。

 痛みが母を襲った。

 

「――ッ!」

「おかあさぁぁぁ――ん」


 痛みに顔を歪めて泣き叫ぶはずだった。

 しかし、その刹那に届いた佳乃の叫び声――


 母は開いた口を閉じ、歯を食いしばる。

 

 老婆は再びカマを振り上げる。


 母は老婆に抱きつくように押し出した。


「早く逃げなさぁぁぁい――」


 母は佳乃に最期のメッセージを送った。

 これでもう自分は死ぬかもしれない。

 

 でも――


 娘が生き残ってくれたらそれでいい。


 ――最期にそう思うことができた自分に安堵した――

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