第51話 草苅ガマをもつ老婆
長いスラッとしたストレートヘア。
肩に掛かる直前で内側にわずかにカールする髪型。
顔の輪郭は佳乃にそっくりなその女性は、優しい笑顔で佳乃を見つめている。
夢にまで見た母親との再会。
佳乃は両手で口元を押さえ、あふれ出る感情を抑え込む。
叫び声を上げ途端に、夢から覚めてしまう。
佳乃は何度も何度も悲しい経験をしてきた。
だから、今度こそは――
ゆっくりと、焦らず――
一歩、二歩と歩み寄る。
母は優しく包み込むような微笑みを浮かべ、両手を広げた。
その瞬間、佳乃の口から感情があふれ出す。
「ママぁー、会いたかったよぉぉぉ」
佳乃は幼い少女のように涙をこぼしながら母に抱きついた。
夢なら永遠に覚めないで欲しい。
彼女はそう願った。
部屋の扉が勢いよく開いた――
「佳乃ちゃん、大丈夫? 雷が落ちて停電に……」
現在の母、継母が部屋に入ってきた。
佳乃はゆっくりと振り返り……
「うん、だいじょうぶだよ……。ほら、本当のママが来てくれたんだぁ……やっと私……ママに会えたんだよ」
佳乃は母に抱きついたまま、幸せそうな表情を浮かべてそう答えた。
稲妻の光が窓から差し込み、雷鳴が轟く。
佳乃の継母は表情を強ばらせ、目を見開き、声を上げる。
「あなたは誰!? どこから入ってきたの? 私の娘から離れなさい!」
「えっ? 何言っているのあんた、この人が私の本当のママだよ? ねぇ、私とママの邪魔をしないでよ!」
佳乃は母を守るように、継母と正面から向き合い、訴えかけた。
夢にまで見た母との再会。
それがようやく現実になったのだ。
目の前の女がたとえ父が愛する女だとしても、もう遠慮はしない。
もう……
佳乃は息を吸い込み、
「絶対に邪魔はさせないから! 私はもう遠慮なんてしないからぁぁぁ――ッ!」
佳乃は力の限り叫んだ。
父にこの女を紹介されたときからそりが合わないと感じた。吹けば飛んでいきそうなか弱い存在。生まれつきの喘息もちで周囲に守られて生きてきたであろうその存在が、佳乃にはたまらなく嫌なものに見えた。父はこの女の前では死んだ母の話題には一切触れない。それが分かっていて、この女も母の話はしない。2人とも母を無かったものにしようとしているのだ――
母が死んだこの世界に、自分を理解してくれる味方はもういない。佳乃は世界をそう捉えていた。
「佳乃ちゃん、危ない――!!」
女が自分の名を叫び、佳乃はふと我に返る。
喘息もちの継母が声を張り上げるを初めて見た。
継母に右腕を強く引っ張られて、佳乃は前によろめく。
同時に継母は佳乃がいた場所に向かっていく。
二人がすれ違う瞬間、佳乃は継母の鋭い表情の横顔を見た。
継母の視線の先には――佳乃の母が――いるはず――だった。
佳乃は床に格好に倒れ込み、振り向く。
「あなたは……ママじゃない……!?」
母がいたはずのそこには、白髪の老婆がいた。それは鬼のような形相で佳乃を睨み付けている。振り上げられた右手には草苅ガマ。継母は両手で老婆の左腕を押さえている。
顔に刻まれた無数のしわが、邪悪な黒い瞳から放射線状に広がっている。くわっと開かれた口の中は漆黒の暗闇、放射線状に広がる白髪はまるで蛇のようにゆらゆらと揺れていた。
老婆の草苅ガマは佳乃の背後を狙っていた。それを継母が防いでくれていたのだ。
老婆は継母の手を振り切り、肘で胸を突き飛ばす。
継母はよろけ、壁に背中を激しくぶつける。
老婆はよろっと体重を移動させつつ、佳乃に歩み寄る。右手の草苅ガマに稲妻が反射して異様な輝きを放った。
「ひぃぃぃ――――!」
佳乃は言葉にならない悲鳴を上げ、腰を抜かしたような姿勢で手と足をもがいて逃げようとするも、恐怖で身体が思うように動かない。
草鞋を履いた老婆の足がずり……ずり……と床を滑らしながら近づいてくる。
老婆の真っ黒な目がカッと見開き、右手を振り上げた――
「佳乃ちゃん、逃げてぇぇぇ――――!!」
再び継母が声を上げ、老婆の背後から腰に手を回しタックルした。
老婆は肘で継母の頭を強く叩くが、老婆の白い着物を掴んだまま離さない。
老婆はその手首を狙ってカマを振り下ろす――
「やめてぇぇぇ――――!!」
佳乃が叫び、ようやく動いた身体で老婆に体当たりをする。
老婆は後ろへよろけ、ベッドの上へ勢いよく倒れ込んだ。
「大丈夫!? 早く立って、逃げるのよ!」
「よ、佳乃ちゃん……?」
佳乃は母の腕を引っ張り、共に逃げようとする。母はその佳乃の行動に戸惑いの表情を浮かべるも、廊下へ向かって歩き出す。
扉を閉める際に、佳乃は室内側のドアノブを外して廊下へ放り出す。部屋で一人きりになりたいとき、佳乃は時々こうしてドアノブを外し、金具をねじ込んでロックをかけていた。室内ロックのかからない扉でも、こうすれば家族をシャットアウトできる。その知識が役に立った。これで老婆はすぐには追ってくれないだろう。
階段を母と2人で手を取り合って降りる。
階段の先には玄関扉が見える。
あの向こうへ出られれば助けを呼ぶことができる。
佳乃は震える手でドアノブに手をかけ、回す……
しかし……
ドアノブは頑なに動くことを拒絶した。
まるで扉に何者かの意志が宿っているかのように。
そうしている間に――
2階の部屋からドアを蹴破る音がした。
続いて『ドドドド……』と鬼気迫る勢いで階段を降りる音がした。
「ひぃぃぃ――――!」
佳乃と母の2人はどちらからともなく手を取り合い、リビングへと向かう。
もうその方向にしか逃げ道が残されていなかった。
リビングの奥で親子が抱き合って震えている。
死の恐怖を感じる状況に至って、皮肉にも母と子の距離が縮まっていた。




