第50話 雷鳴の中の黒魔術
辺りはすっかり暗くなり、山水村の新興住宅地のオレンジ色の街灯が煌々と誰も通らない道路を照らしている。
吉岡建設により立てられた建て売り住宅は、そのほとんどが買い手が付かずに空き家となっている。そんな中、カーテン越しの明かりが漏れて見える家がある。坂本佳乃の家族が住む家である。
「ごちそうさま……」
佳乃はわずかにおかずを口に運んだだけで席を立つ。
「あ、佳乃ちゃん……今日遊びに来た……えっと……豊田くん? なかなか礼儀正しい男の子じゃない。お父さんは反対していたけれど、お母さんは――」
「だから何? 私に媚びを売っているつもりなの? もう私の事は放っておいて!」
佳乃は階段を駆け上がり、自室へ向かう。
背中越しに喘息もちの母が咳き込む声が耳に届く。
父は今日も仕事が長引いているのだろうか。まだ帰っていない。
一瞬、胸にちくりと痛みが走るが、それを振り切るようにして扉を勢いよく閉めた。
部屋の中央に油性マジックで描き上げた渾身の魔法陣。
学校の屋上に描いたものよりも精巧で気持ちのこもった会心の出来映え。
実の母が死んだとき、もう一度だけ会って話をしたいと思った。
あと一度……
頭を撫でて欲しかった。
がんばったねと褒めて欲しかった。
ほんの一言、母に謝りたかった。
だから小学生の佳乃は死者の霊と交信する力を求めて黒魔術を始めた。
しかし今は違う……
――佳乃ちゃんて気晴らしのために黒魔術をやっているの?――
日中に聞いた智恵子の言葉が胸に刺さる。
そう、自分は気晴らしのためにやっている。
学校で『最弱』と言われイジメられていた時に……
学校で嫌なことがあったときに……
そして今、自分は家族関係でむしゃくしゃしているから……
でもなぜ? どうして自分はむしゃくしゃしている?
佳乃の思考はそこでつまずいた。
新しい母とうまくいっていないことは自覚している。
しかしそれは昨日今日に始まったことではない。
ではなぜ?
結論が出ないまま、佳乃は両手を魔法陣に向けて突き出した。
そんな佳乃を先程からじっと見つめている小さなモノがあった。
それはゆっくりと魔法陣の中心部ににじり寄り、静止する。
あたかも最初からそこに寝転がっていたかのように――
*****
佳乃が黒魔術の呪文の詠唱をはじめると、白いけむりが魔法陣の中心から漂いはじめる。
「あれ……? 庸平からもらった紙人形……私、あそこに置いたっけ?」
佳乃は魔法陣の中心に転がる紙人形にようやく気付いた。
しかし、呪文の詠唱は術者のトランス状態を引き起こす手段。
今の佳乃には些細なことに思えた。
「何かが……召喚される。魔物が……くる……?」
白いけむりが部屋中に立ち込め、視界が悪くなる。
紙人形が『ぐぐぐ…』と立ち上がり、床へ沈んでいった。
「この感じは……屋上の時とは違う……何か別の力を……感じる」
次の瞬間、稲妻が坂本家を直撃し、辺り一帯が閃光と落雷音が轟いた。
屋根から伝わる衝撃で天井から吊られた照明が大きく揺れる。
家のブレーカーが落ち、部屋が真っ暗になる。
そこでようやく佳乃は黒魔術の詠唱から我に返った。
激しい雨が降り出し、横なぐりになって窓に当たる。
続いて雷鳴が二度、三度と鳴り響く。
佳乃は雷が嫌いである。
いつもなら、カーテンを閉めて耳を塞ぐところである。
しかし――
佳乃は魔法陣の中心に立つ人物を見て固まっていた。
床に沈んだ紙人形の代わりに新たに出現したその人物は――
「……ま……ママ……? ほ、本当に……ママなの?」
それは死に別れた実の母の姿であった――




