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第46話 白虎の失踪

 夕方、庸平が自宅に帰ると、まだ誰も家には戻っていなかった。いつも帰りの遅い父はともかくとして、祖父は地元の寄り合いにでも行っているのだろうか。

 もともと庸平の祖父は神出鬼没なところがある。陰陽師の継承者にはそのような人が多いのだろうか。


 夕食は祖父が育てた野菜を中心としたサラダと天ぷらの予定だ。庸平は台所に用意されている野菜類の下準備を始める。


 天ぷら粉を冷蔵庫から取り出そうとしたとき、玄関のドアが開く音がした。祖父が帰ってきたと思い、玄関をのぞくと……玄関の引き戸が20センチぐらい隙間が空いているが人の気配はない。


「…………?」


「よう、若造」


 突然足元から甲高い声がして、飛び上がって驚いた。


「何を驚いておるのだ」

「何だ赤鬼かぁ……薄暗いからお前のどす黒い姿が目に入らなかったぜ」

「そうか、人間の目は不便なものだな。ところであの女はどこかに置いてきたのか?」

「長谷川のことか? あいつは家に帰ったさ。ここに帰ってくるわけないだろう?」

「そう……なのか。部屋で抱き合っていたのでてっきり小僧の物になったのかと思っておったが……そうか、帰ったか……」


 赤鬼は顎に手を当てて見上げたままの姿勢で、静かに目を閉じる。


「おい……赤鬼! お前とんでもない勘違いをしているようだけど、俺と長谷川はなーんにもないから! 抱き合っていないし、好き合ってもいないからなっ!」

「そうか……若造もまた佳乃という名の女を好むか……白虎と同じか……ならば何も言うまい。しかし若造よ――」


 赤鬼は体長30センチ足らずの体をずいっと寄せてきて、


「お主ら人間の男は胸の大きな女を好むと聞いたが……若造は特別な性癖をもっておるようだな!」

「お、おまえ、何を言い出すかと思えば……ちがうから! 断じてそういうことではないから! それにお前そんなことを他の人の前では絶対言うなよ。女子全員を敵に回すことになるからなっ!」


 庸平が慌てた様子で赤鬼の言葉を否定していると、すっと玄関扉の隙間から二つの影が侵入してくる。


 黒猫と茶猫である。


 二匹の猫は『キュルキュル……』と不思議な声で鳴きながら、庸平の足へまとわりついてくる。白虎が話していたところによると、黒龍と黄龍の鳴き声は言葉ではなく感情を表しているに過ぎないという。長年連れ添ってきた白虎にはそれが雰囲気で分かるということだが――


「白虎がいてくれたら通訳してもらえるのに……そういえば白虎のやつの姿が見えないな。二匹を置いて一人で散歩にでも出かけたのか?」

「さあな。ワシが朝方戻ってきた時にはすでに出かけていたようだからな」

「俺が朝起きたときには三匹の猫たちがそろっていたから……その後すぐに出て行ったということか。そういえば長谷川が俺の部屋に来た時には茶猫と赤鬼しか居なかったよな。そのわずかな時間に白虎と黒猫が出かけたということか……」


 庸平があごに手を当てて状況の分析を試みていると、黒猫がズボンの裾を噛んで引っ張り始めた。どこかへ連れて行こうとしているのだろうか。


「こうなったら仕方あるまい。こやつらにまんまと乗せられついて行くしかあるまい」

「そうだな……晩飯の当番をすっぽかすことにはなるけれど……親父たちには後で事情を説明すれば許してくれるだろう」


 玄関から外へ出ると、2匹が付いてこいと言わんばかりに走り出す。

 庸平は赤鬼を前かごに乗せ、自転車で追いかける。


 朝方は智恵子と二人で下りた山道を、今は二匹の猫に先導されている――朝と今とでは状況は全く異なるのだが、どちらも庸平にとってはまるでファンタジーの世界にいるような感覚だ。猫の走りの早さに合わせてブレーキを操作しながら、そんな風にのんびりと構えていると――


「うおぉぉぉぉぉー!」


 二匹の猫が坂の途中で急に立ち止まり、庸平は急ブレーキをかける。


「ば、ばかやろう! 自転車は急には止まれないんだよ!」


 二匹の猫たちは自転車のタイヤの左右に飛び退き、庸平の顔を見上げて――


「キュルキュルル……」


 一鳴きし、山の斜面を駆け上っていった。偶然か必然か、そこは今朝白髪の老婆がうずくまっていたのと同じ場所だった。

 

 庸平は自転車を斜面に寝かせ、二匹について行こうとするが、細かな木の枝や下草が邪魔してままならない。黒龍と黄龍は猫の体形を生かして木々の間をぐんぐん進んでいく。


「おい、もう少しゆっくり進んでくれ! 人間はこういう場所を上るのが苦手なんだよ。ちょっとは俺に気を配れ!」

「キュルルル……」

「キュィィィ……」


 二匹はちらりと振り向き鳴いた。庸平の言葉はきちんと届いたようで、その後は時折振り向きながら、木々の比較的まばらな場所を選んで進んでいく。


「それにしても……さっきからいやな予感がするぞ。赤鬼、お前には足下に続いている白い物が何だかわかるか?」


 彼の肩に足をかけ、頭を抱え込むように掴まっている赤鬼に問いかける。


「ん? やはり若造にも見えておったのか?」

「ああ、ずっと見えているさ……」


 それは紙が複雑に絡み合った紐状のもの。今朝、道ばたで出会った白髪の老婆の足に絡みついていたその白いひもは、山の中まで延々と続いていたのだ。


「そうか……見えてしまったのか……」


 赤鬼はまるで何かを諦めたような口調でつぶやいた。


「若造はつくづく運のない……いや違うか。ワシら魔物からすると上得意様というべきところであろうか」

「なにそのありがた迷惑な呼称は! お前は商売人か? で……やはりこの白い紐は魔物や妖怪に関わる物なんだな? 今朝、この白い紐が足に絡んだ婆さんを助けてやったんだが……まずかった?」

「それはこやつらの案内する先に着いてから考えようぞ!」


 赤鬼は黒龍と黄龍の目指す方角を見て呟いた。

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