第36話 暴れる龍
体長20メートル級の巨大な二匹の龍、黄龍と黒龍は、尻尾と後ろ足で上体を起こしている。S字状に曲げた上半身の途中には短い腕があり、その先には鋭いかぎ爪の5本の指が伸びている。ワニのように縦に長い瞳孔は赤鬼の足下にいる庸平に向けられていた。
庸平はゆらゆらと揺れている龍の長いひげを睨み付けながら、
「白虎、あれはお前の仲間なのにずいぶん好戦的に見えるのは、俺の目の錯覚だろうか?」
「いや、あれは小僧の錯覚ではない。あの者達は長年の封印から解かれ、我を忘れて興奮状態になっておるのだ」
「話し合いで何とか……は無理か……」
「フム……。そもそもあの者達は昔から無口でな。我との会話もほとんど一方通行であった。しかし、眠りから覚めた直後はまだ妖力が半減しておる。小僧が仕留めるには絶好の機会ぞ!」
「仕留めていいのか? あれはお前の仲間なんだろう?」
「小僧に付き従う魅力を感じたなら、自ら使役される道を選ぶだろう。さあ、存分に戦うがよい!」
庸平は覚悟を決め、2匹の龍に歩み寄る。瓦礫が転がる屋上の床は、歩く度にコンクリートの破片が擦れる音がする。
両手を後ろに回し、左右の尻ポケットから12枚の霊符を取り出し、それぞれの手に6枚ずつをトランプのように広げて――
「俺は豊田庸平、この学校で最弱にして最強の陰陽師だ。さあ、先にやられたいのはどちらだ!? 黄色か黒か?」
「かっ、格好いい――!」
庸平の言葉が中二病の琴線に触れたか、佳乃が興奮している。
「なにこのバカップル……もう嫉妬心しか感じないんだけど」
「最弱が調子に乗っている……もう悪い予感しかしない」
粉塵を被って髪が真っ白になった智恵子と吉岡はジト目で2人を見ている。
その直後、吉岡の予感は見事に的中する。
『ギェ――――!』
『ギィ――――!』
「うぉぉぉぉ……」
庸平が九字を切る間もなく、2匹の龍が同時に奇声を上げて威嚇し、彼の頭上すれすれに飛び立ち、校庭に降りていく。
やがて――生徒たちの悲鳴が校庭に響き渡る。
避難して集まっていた生徒たちのど真ん中に、二匹の龍が降り立つ
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う生徒たち。
2匹の龍は、生徒たちを弄ぶように、彼らの周囲をぐるぐる回っている。それを見た佳乃はが呟く――
「まるでクジラが泡のカーテンで小魚を閉じ込めて一気に仕留める漁のようね。連携のとれた美しい動きだわ」
智恵子と吉岡がぎょっとした顔で佳乃を見る。
その視線に気づいた佳乃は――
「あはは、ごめんごめん。でもほら、あの龍たちは人間を驚かすだけで危害を加えようとはしていな――」
タイミング悪く、黒龍が鼻っ面で1人の男子生徒をくいっと持ち上げる。そのまま5メートルの高さまで持ち上げられた生徒は、地面に落下する衝撃でそのまま動かなくなる。
「きゃぁぁぁぁぁー!」
男子生徒が倒れた先にいた女子生徒の悲鳴が高らかに響く。
「くそー! これ以上、奴らの思い通りにはさせない。赤鬼、俺を抱えて校庭へ飛び降りろ!」
「私も戦うわ。白虎さん、また私の身体を使って!」
「それはダメだ、危険すぎる。今度の相手は巨大な龍、しかも二匹だぜ!?」
「大丈夫。私は白虎さんの力を信じているし……それに庸平、私がピンチになったらまたあなたが助けてくれるでしょう?」
「……佳乃、俺がお前を助けたことって……あったか?」
「…………あれ?」
佳乃は首を傾げた。
「行くぞ若造よ」
赤鬼が大きな手で庸平の身体をグイッと持ち上げ、屋上から校庭へ降下する。
「では人間の女よ、我らも行くぞ!」
白い煙と化した白虎が佳乃の制服の裾から進入していく。
落下中、庸平は赤鬼の大きな手の中から校舎の状態を確認する。窓ガラスは全て粉々に割れ、建物自体にも相当の被害が出ているようだった。特に1階部分は損傷が酷く、崩落しているように見えた。
地響きのような音をさせて着地する赤鬼の巨体。足が深く地面にめり込み、地割れができた。それに対して、佳乃に憑依した白虎は、各階のベランダの手すりを足場にしてぴょんぴょんと軽快に降下していく。
庸平は赤鬼の手から降りるなり、9枚の霊符をポケットから取り出す。
それを地面に円形に並べ、
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」
九字を唱えながら手刀で格子を描くように九字を切る。
9枚の霊符は庸平の周りをぐるぐると衛星のように回りはじめる。
「さあ白虎、お前はどっちをやる?」
「黒龍とは150年来の因縁があってな。この際きっちりと決着を付けさせてもらおうではないか!」
「……一応聞いておくが勝算はあるんだな? 佳乃の体を使ってお前がやられては困るのだけど……」
「フム、黒龍とワシでは互角の戦いになるであろうな」
「おい、やめてくれ! じゃあお前は黄色い方とやれ、それなら勝てるか?」
「ん? 黄龍は黒龍よりずっと強いぞ。何しろ奴は黒龍の兄貴分だからな!」
「うそ、マジ? じゃあそのずっと強い奴と俺戦うの?」
佳乃に憑依した白虎はやれやれと呆れたような仕草をしながら言う。
「お主が飛ばしておるその9枚の紙切れは、我ら十二天将の力を模した物。それは小僧の力そのものだ。しかも我が白虎の力はすでに小僧の手中にあるではないか。何を怖れる必要があるか?」
「若造、ワシはどうする。どっちに加勢すればよい?」
赤鬼が庸平に指示を請う。
「赤鬼は白虎と協力して黒龍を倒してくれ。白虎、それなら勝率は上がるか?」
「言わずもがなだ! まさに鬼に金棒だな、フフフフ……」
「ん? 金棒が必要か? ならば出そうか?」
冗談の通じない赤鬼が金棒を出現させてすべての準備は整った。一方、黄龍と黒龍の2匹は、彼らをそっちのけで生徒たちをもてあそんでいる。2匹が逃げ惑う生徒たちから距離をとった瞬間に、赤鬼が佳乃に憑依した白虎を手の平に乗せて勢いよく放り投げる。
白虎は佳乃の体を安定させるように手足を広げ、
『シャアァァァァァー!』
ネコ科の猛獣特有の威嚇をしながら黒龍に迫る。
黒龍はようやく白虎の気配を感じて動きを止める。
『キュルキュルキュル?』
白虎の気配と思ったそれが、見た目が人間の女であることに疑問を感じたように声を上げ、それでも鋭い牙で食らいつこうと首を伸ばす。
白虎は足を抱え丸くなり、勢いよく体を回転させて放物線を描く軌道をぐっと下方に逸らし、黒龍の首もとに『ガッ!』と手足ですがりつく。龍のウロコがちょうどつかみやすい凹凸になっていた。
「さあ黒龍よ、150年来の決着をつけようぞ!」
佳乃の口から白虎の唸るような低い声が発せられる。
黒龍は白虎を振り落とそうと首を激しく振るが離れない。
尻尾で払いのけようと体をくねらそうとしたとき、赤鬼がジャンプして黒龍の尻尾に馬乗りになった。
赤鬼が着地した衝撃で、校庭の地面はめくれ上がり、周囲の生徒たちは土をかぶったり、あわや地割れの隙間に落ちそうになる。
「バ、バカヤロウ! それ以上被害を拡大させるなぁー!」
庸平は叫ぶが、戦闘モードに入っている赤鬼には届くことはなかった。
「最弱、またお前が関わっているのかっ!」
「私達をこれ以上巻き込まないでよっ!」
3年生の生徒たちが庸平の周りに集まってくる。
「豊田先輩、わたし、先輩達と一緒に意地悪なこといっぱいしてしまいました。ごめんなさい。反省していますからこれ以上復讐しないでください。お願いします!」
2年生の女子が涙目で庸平に迫ってきた。どうやら生徒達は、庸平がいじめられていたことへの復讐として二匹の龍をけしかけたように思っているようだ。
「豊田すまん! 先生からも謝らせてくれ。お前が皆に無視されていたことをうすうす感じていたのだが、なにもしてやれなかった!」
「ええーっ!? 山田先生は気づいていたんですか?」
「実は私もなの豊田君。ごめんなさい!」
「鈴木先生まで!?」
庸平のほんのわずかに残っていた正義感がぐらっと揺れた。
本当に自分はこの人たちを助ける義務があるのだろうか。
庸平の脳裏には『助ける?/放っておく?』の選択肢が浮かんでいた。




