第29話 浴衣
他の生徒達が反省部屋に連行されてから数分後、豊田庸平は男風呂の暖簾をめくる。すると同時に女風呂の暖簾をめくる坂本佳乃と目が合った。
「豊田も隠れていたの? さてはあなた、トイレの個室に身を隠したんでしょう?」
「坂本も同じ手口を使っていたとはな……まあ、そんなことはどうでもいい。白虎の話によると旅館内に侵入者がいるらしいんだよ」
「侵入者!? じゃあ旅館の人に伝えた方がいいんじゃないの」
「いや、白虎がそういうからには相手は人間ではない可能性が高い。騒ぎが広がる前に俺たちで何とかしよう!」
「うっ……またもやその『たち』に私も入っているのね……」
「当たり前だろう、だって俺たちは――」
庸平は暖簾から出てきた佳乃の浴衣姿に気づいて息を飲んだ。
「えへへ、この格好なら一般の温泉客に紛れていられると思っているんだけど……おかしい……かな? 」
彼女は白地にピンク色の花柄が刺繍された華やかな浴衣を着て、黒髪を結い上げている。そのような風呂上がりに女子に上目遣いに言われて何も感じないほど庸平は変わり者ではないわけで……
「い、いや似合っている……ぞ」
しかし、彼による数々のセクハラ被害を被ってきた佳乃はにはその言葉を簡単には信じられなかった。
「あの……それって、お前にはその安物の浴衣が似合ってるぞという意味……かな?」
「お前な、人を疑うのもいい加減にしろよ! 俺はそんな回りくどい嫌がらせをする男ではないぞ」
「そ、そう……かな?」
佳乃は再び数々のセクハラ被害のことを回想してみた。すると同時に学校裏の山林での口づけの場面まで思い出してしまい、
「あっ……」
佳乃が声をもらし、顔を赤らめる。
頬に手を当てて赤らむ佳乃の様子を見て、
「可愛い……」
「えっ? 可愛い……ねえ今、私を可愛いって言ったの?」
聞き返されて初めて自分が声に出していたことに気付いた庸平は、
「うそうそ、今のは特に深い意味はないからな!」
照れ隠しでそう言ってしまう。
しかし、それは佳乃もお見通しのようで、
「私も……陰陽師をやっているときの豊田は格好良いと思っているよ!」
「うっ……そうか? 本当に!?」
庸平は咄嗟に口を押さえた。思わずにやけてしまう口元を隠している。
そんな彼の様子をじっと見ながら、
「ねえ豊田、今度から私たち下の名で呼び合わない?」
「ん? ああ……そうだ……な」
佳乃としては勇気を出して提案したに違いない。しかしどういうつもりか、庸平は素っ気ない返事をした。
「佳乃!」
「へっ!? な、なあに、庸平?」
「後ろの窓の外、見てみろ」
廊下の突き当たりの掃き出し窓の外側に人影――伏見稲荷大社で出会った桜木翔太が、ガラス窓にへばり付くように2人を見ていたのである。
*****
露天風呂のある地下階には、幅20メートル、奥行き5メートルほどの中庭スペースがある。建物と壁のすき間には庭園風の樹木が植えられ、壁は石垣風に作られたおしゃれな中庭スペースに、桜木翔太は学生服姿で立っている。
庸平は掃き出し窓を開け、スリッパのまま表へ出る。
翔太は後ろに引き、5メートルの間をとって2人は対峙する。
「豊田と言ったな、おい、あの白い獣はどうした? どこかに隠しているのか?」
「白い獣? ひょっとして白猫のことか? お前にはただの猫に見えていたんじゃなかったのか?」
「ふんっ、あれだけ強い妖気を俺が見逃すはずはないだろう。俺は物心ついた頃から悪霊や魔物の姿を見て育ってきたんだ。ただ、伏見稲荷大社の境内では地の利がなかったんでな、見逃してやったんだ! ありがたいと思え、豊田庸平!」
「それで、我々をずっと追跡してきたのか。ストーカーみたいに……」
「うっ、この子、ストーカーだったの?」
変なタイミングで佳乃が話に割って入ってきた。自分が置いてけぼりにされそうで焦っていたのだろうか。
「お、俺はストーカーじゃない! ほら、この『修学旅行のしおり』が現場に落ちていたんだ。ここに記載されている地図を頼りに来たんだよ。長谷川智恵子って書いてあるが、これ、あの破廉恥女の名前か?」
「それは確かにあの破廉恥女、Eカップの胸をもつ女の名前だ!」
「はぁ? 庸平、どうして智恵子の胸のサイズを知っているの? み、み、見たの? お風呂で覗いていたの? ももも、もしや私のも見た……?」
「見てねーから!」
「智恵子のは見て私のは見ないってのー!?」
「おい! 話の観点がおかしな方向にズレっぱなしで収拾がつかないぞ! まずは落ち着こう」
浴衣の袖をぶんぶん振り回し、暴走気味な佳乃を庸平はなだめる。
「わ、わかった…… 深呼吸するからちょっと待ってて……」
若干オーバーアクション気味に深呼吸を5回繰り返す。
「落ち着いた?」
「う、うん……」
「では結論から言う。俺はどちらも見ていない。そもそも男女を隔てる壁が高くて覗けるものではなかった。分かったか?」
「う、うん……分かったような、分からないような。じゃあ白虎を使って覗いたのは庸平の指図じゃなかったのね?」
「白虎がそんな協力するわけないだろ。頼むなら赤鬼にするよ。奴ならカメラとかも扱えそうだし――って、おい、例えばの話だ。絶対に俺はそんなことしないからな!」
ジト目で見てくる佳乃に懸命に言い訳する庸平。
その2人を遠目に見ていた桜木翔太がしびれを切らす。
「おいお前ら、俺を無視するんじゃない! 赤鬼って、あのちっこい魔物のことか? それなら俺がすでに成敗してやったぞ。この神器の扇でな!」
扇子を開き得意げに笑う翔太であった。




