第28話 説教部屋と露天風呂
吉岡率いる4人班が宿泊場所の旅館に到着するなり、引率の先生達が総出で出迎えてくれた。と言うよりも、待ち構えていたと言うべきか。
「お前らこっちへ来い!」
生徒指導担当の先生の一声で4人は連行されていく。
12畳のがらんとした和室。そこで吉岡、智恵子、佳乃、庸平の順に横一列に正座をさせられている。どうやら、伏見稲荷大社の管理担当から学校へ苦情が寄せられていたらしい。
「くそっ! こんなに早く連絡が来るとは想定外だったぜ!」
吉岡が眉間に皺を寄せ、舌打ちをする。
「先生-、地面に落書きして怒られたのは女子2人です。俺とさいじゃ……ゴホン、豊田はやめろって止めたんですが、勝手にやってしまったんですよ!」
「ちょっ……吉岡君、あなた班長でしょう? 最後まで責任を持ちなさいよぉー!」
「うるせー! 俺にとっては班なんてどうでも良いんだよ!」
「し……信じらんない……吉岡君が修学旅行は班行動ってルールを決めたんでしょう? ねえ、そうだよね佳乃ちゃん」
「う、うん……そう……ですよ?」
佳乃はなぜかこういう改まった場所では萎縮してしまう。男の先生が苦手なのかも知れない。とは言え、生徒指導担当の先生は、襖越しに他の先生と何やら話し込んでおり、少し離れた場所にいるのだが。
「豊田君、あなたは裏切らないよね? あなたからも班長に言ってやってよ!」
そんな智恵子からの無理難題に庸平はため息を吐き、首を横に振る。
「豊田君、ここであなたが男気を見せないと、佳乃ちゃんが離れて行っちゃうよ?」
「いや、俺たち付き合っている訳じゃないから!」
「そうよ智恵子! この際だからはっきり言わせてもらうけ――」
「お前ら黙っていろ! 俺らが反省した風に見せねーと先生も引っ込みがつかねーんだよ! こういうときは大人しく黙っていれば良い!」
吉岡が語気を強めて言い放つ。
それが運悪く話を終えたばかりの生徒指導の先生の耳に入り――
「きぃーさぁーまぁーらぁー、反省文を10枚書き終えるまで一歩も部屋から出さないからなぁぁぁ――!」
静かな旅館に怒号が響き渡った。
ちょうどその頃――
明るい表通りに対して、薄暗い裏通りにある旅館の裏口に、1人の少年が立っていた。少年の手には『愉しい修学旅行』と書かれたA5サイズの紙ファイル。氏名欄には『長谷川智恵子』と書かれていた。
「ここがあいつららの宿泊場所か……ふっふっふ……」
その人物は、伏見稲荷大社の境内で庸平と対峙した桜木翔太である。あの騒動の直後、神社の警備員が駆けつけてきて慌てて散開した彼らであったが、智恵子がバックからしおりを落としていたのだ。それを彼が届けてくれたという訳だが――
「あの白猫、かなり強そうな魔物だったな。今度こそ神器の扇で成敗してやる!」
少年は、つま先でちょこんと路面を叩く。すると足下に黄金色の光の輪が出現し、ポンとジャンプして塀を乗り越えていった。
旅館の敷地内に潜入した翔太は、建物の周りをぐるっと一回りしようと試みる。すると、窓の向こう側に庸平達4人組の姿が見えた。強面の教師らしき男が正座する4人に向かって何かを言っている。
部屋の隅にはスポーツバッグが置かれている。やがてチャックがひとりでに開き、中からもそっと2体の魔物が顔を出す。
「わっ!」
魔物と目が合ってしまい、翔太は身を隠す。
「2体の魔物を同時に相手にするのはさすがにきつい! 体勢を整えよう!」
翔太は旅館の周りを走る。途中、半地下になっている場所に出る。小さいながらも日本庭園のような趣のある中庭である。お湯の香りが漂うこのスペースの向こうには露天風呂があるようだ。彼は抜群のジャンプ力を発揮して露天風呂の塀に飛び乗り、さらにもう一つの向こう側の塀を飛び超える。
眼下には気持ちよさそうな露天風呂。入浴中の客がいたら大騒ぎになるところだが、幸いにも夕食前のこの時間は誰もいなかった。
「よし、ここは土地神の力がちゃんと使える場所だ。伏見山での汚名を挽回してやる!」
翔太は旅館の屋根にジャンプして、雄叫びを発した。彼にはかなりのフラストレーションが溜まっていたようであった。
「ほう……人間の小僧と思っていたが、お主はただのヒトではないようだな……」
ゆっくりと軒先から登ってくる黒光りした魔物の姿。
伏見山で出会った庸平のスポーツバッグからお顔を覗かせていた赤鬼である。
「よく見抜いたな、俺は我が土地が身の半身、桜木翔太だ」
「ワシは魔界から遊びのつもりでやってきて、いつの間にか人間の下で使役されておる者。お主に名るような名は無いが、若造はワシを赤鬼と呼んでおる」
「若造って、あの陰陽師の豊田庸平のことか? あいつ、そんなに強いの? お前ほどの妖力をもっている魔物が使役されているの?」
「ああ強い。しかも若造には四神の一つである白虎も付いておるからな。白虎の強さはワシの比ではないぞ?」
「へえー、赤鬼のお前よりも強い奴がいるのか。お前も相当強そうだけど……」
「フハハハハ、その通り、ワシも相当強いけ――どえっ?」
「結界障壁――――!」
赤鬼が気をよくしてふんぞり返っている間に、翔太は神器の扇を広げ、空中に立方体を描くように動かす。すると、あっという間に赤鬼は見えない立方体の壁に閉じ込められていた。
「は、謀ったな人間! 人の風上にも置けないやつめ!」
「ははは、なんとでも言え。魔物に何を言われようと俺の心には響かないぜ!」
正義の名のもとに人は何でもやれる生き物なのだ。
*****
「あー、生き返るわー。1日の疲れが吹き飛ぶよねー」
タオルを頭に乗せた兵器マニアの男が呟く。
「オヤジ臭いこと言うなよ。女子に聞こえちゃうよ」
黒縁メガネを曇らせた男がレンズをふき取りながら言う。
総勢18名の小規模学年の彼らは、一般客も泊まっている旅館で宿泊中。
天然温泉を引く露天風呂が自慢の宿である。
「最弱、女子風呂のぞいてこいよ。告げ口しねーから」
「はあっ? のぞくかよ! 興味ねえし」
こぢんまりとした野外の洗い場で、隣り合わせで身体を洗っている庸平に吉岡が話しかけている。他の男子は2人が仲良く話している様子を不思議そうに見ている。
「興味ないって……お前、坂本と付き合っているんだろ? あっ、まさか裸を見る以上のことをすでに経験済みってことか――!?」
吉岡が全身泡だらけの身体で立ち上がって庸平を見る。
居合わせた男子全員の視線が庸平に集まる。
「してねーよ! そもそも俺たち付き合っていないし」
「うそつけ、お前ら最弱カップルとか言われているくせに、付き合っていないわけはないだろう。それにほら、坂本はそこそこカワイイし……体つきもこう……」
吉岡が身振りで表現しようとしている様子をジト目で見やる庸平。
「ボクの見立てでは坂本さんは残念ながらBカップですネ。対して我がクラスの女子最高峰は長谷川智恵子の……」
黒縁メガネが鋭い眼光で告げる。息を飲む一同。
「推定Eカップでしょう!」
堂々とそう宣言する黒縁メガネと、『おおー』とどよめきつつ目を泳がせるその他の者たち。
その刹那――
『ガラ……』
扉の開く音がした。
女子風呂の方から。
つづいて……
「わー、岩風呂よ。すごーい……」
「わたし外のお風呂入るの初めてー」
女子達の声が男子生徒達の耳に届いた。
湯につかり、聞き耳を立てる男子生徒たち――
高さ3メートルの土壁。
その向こう側で、クラスメートの女子8名が入浴中。
しかし、現実は無情だ。
彼らが期待しているような、互いの胸の大きさを比べたり、体の洗いっこしましょうというライトノベル風の展開にはならなかった。
「おい、壁の上に何かがいるぞ!」
黒縁メガネが指を差す方を見ると、湯気の向こう側にぼんやりと白い物体が……
「猫だ! 最弱が連れてきた白猫じゃないか?」
兵器マニアの声に、白猫姿の白虎が男風呂をジロリと見下ろした。
「白虎! 1人でそこで何をしているんだ? 赤鬼はどうした?」
『赤鬼は侵入者の気配を追っているところだ』
庸平に低い声で白猫姿の白虎が答えた。
「侵入者? 怪しい気配の何者かが近くにいるのか?」
その時、女子風呂がざわつき始める。
「ちょっと、あの白い猫…… 最弱君が連れてきた猫じゃない?」
「やだ本当だ。男子たち、私たちのこと覗いているんじゃない?」
『はあっ? ワシが人間の女の裸をのぞくなぞ――うおっ!?』
女子風呂から飛んできた桶と共に白虎が降りてきた。
「ちょっと-、男子達そこにいるんでしょう? 猫を使って覗こうなんて卑怯よ!」
「はあ? 猫を使ってどうやって覗くんだよ!」
吉岡が正論を吐いた。
「最弱君の不思議な術を使うんじゃないの?」
「お、おい最弱、そんな術があるのか?」
黒縁メガネが興奮気味に庸平に詰め寄った。
「あるわけねーだろ! 陰陽道を何だと思っているんだ! そんなことより白虎、侵入者の件だが――うわっ、冷てぇぇぇー!」
女子風呂から水が降ってきた。
男子もそれに応戦する。
やがて桶や洗面器などの備品も飛び交うようになり、大騒ぎに発展する。
「きさまら何をやっている――! 全員反省部屋に集合だ!」
生徒指導担当の先生の登場で、乱戦に幕が下ろされた。
しーんと静まりかえった更衣室。
着替えが終わった者から反省部屋に誘導されていく生徒達。
男子9名、女子7名。
その中に庸平と佳乃の姿はなかった。




