第23話 白猫になった白虎
佳乃は幼い頃、パパっ子であった。
父の帰りがどんなに遅くても、玄関で一番に出迎えた。
「大きくなったらパパのお嫁さんになる!」
「あはは、パパのところに可愛いお嫁さんが2人も来てもらえるなんて、とっても嬉しいよ-。お前達のために、ばりばり働いて稼がなくちゃなぁー」
そんな会話で盛り上がる父娘を母はにこにこ笑顔で見守っていた。
父と母の関係も良好で、周囲がうらやむぐらいのおしどり夫婦だった。
だから玄関先でフレンチキスを交わしている場面を佳乃はよく見かけていた。
一度、自身もキスを求めてみたが父には笑って誤魔化された。
その後、母に言われた言葉がずっと心に残っていた――
――女の子は本当に好きになった人が現れたとき、その人とずっと一緒にいたい、絶対に離れたくないと思ったときにキスをするものなのよ――
「……の!」
「……か!?」
「……の! 大丈夫か!?」
「佳乃! 大丈夫か!?」
佳乃が目を覚ますと目の前に庸平の顔があった。
「いやぁぁぁ――、やめてぇぇぇ――!」
反射的に彼を突き飛ばし、身を起こす。
そして顔が落ち葉に埋もれた庸平の後頭部に向かって、
「あ、あ、あれは救急救命みたいなもので……ののの、ノーカウントだからねっ!」
首をふるふる振って叫んだ。
「ブハッ……、気がついたらお前が横で倒れていたから俺はお前の介抱をしていただけなのに……何をしやがるこの乱暴女がぁぁぁ――ッ」
ぼさぼさの髪に絡まる落ち葉を払いのけ、庸平は立ち上がる。
その様子を見て――
「あれ? 豊田……あの事……覚えていない……の?」
「はあっ? なんだよあの事って……」
「あっ……ううん……なんでもない!」
佳乃は唇に手を当て、はにかんだ表情で目を逸らす。
その視線の先に赤鬼が……
「うっ……」
「ん?」
見つめ合う佳乃と赤鬼。
やがて佳乃の見開いた黒い瞳が獲物を狙う肉食動物の如く鋭くなっていく。
「おい若造、小娘がなにやら企んでおるぞ!」
「はあっ? 坂本がどうかしたって?」
「豊田は手出ししないで! これは私と赤鬼さんの対決なの」
「対決って……おい、ミニサイズだからって相手は魔物だぞ! 変なことは――」
庸平の忠告も聞き入れず、佳乃は赤鬼の首根っこを鷲掴みにして木の幹に押さえつける。油断したのか意に介さずなのか、赤鬼は抵抗することはなかった。
「ここで死んでくれないかな? そうすれば私の黒歴史を知るものはもういない……」
佳乃は赤鬼の耳元でささやいた。
「フム……それが小娘の願いか。ワシが死んで小娘はどうする。若造を食うのか?」
「わ、私が豊田を食べる!? そそそ、それって……」
佳乃は顔を真っ赤にしてあたふたし始める。
「ん? 違うのか……先ほどの小娘の行いはそういう意味合いではなかったということか……フハハハハハ、人間とは愉快な生き物だな、フハハハハハ……」
赤鬼の甲高い笑い声が山林に響き渡った。
「……お前らいつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
2人の背後から庸平の呑気な声が聞こえ、佳乃も笑い出す。
*****
しばらく後、気を失っていた生徒達が一人二人と起き始めた。
「ここはどこだ? どうして俺はここにいる?」
「うわっ、手から血が出ている!」
「ねえあんた泥だけらじゃん。大丈夫ー?」
「皆落ち着け! 一体何がどうなったんだー!?」
理科担当の先生が泥だらけの顔で皆に呼びかけた。
「先生こそ落ち着いてください! おい、豊田!」
吉岡勇気が庸平の元へ歩み寄り、
「この状況を説明しろ! またお前とその赤鬼に関係していることなのか?」
庸平は赤鬼と顔を見合わせ、
「まあ、関係していると言えばそうだが……」
頭をクシャクシャ掻きむしって彼はそれ以上の言葉を発することは無かった。
今回の件をどう説明しようが信じてもらうことはできないだろう。
彼が無言を貫くことで、周りで聞いている生徒達はざわつき始める。
「やっぱり最弱の豊田がやったのか!」
「サイテー、ぼろぼろになっちゃった制服代弁償してもらうから!」
生徒達の罵声が飛び交う。
「ちょっと、あなた達――」
坂本佳乃が反論しようとしたとき――
庸平は吉岡の足下に転がっていたシャベルを鷲づかみにして高く振りかざす。
「うっ……!」
吉岡は腕を上げて防御の姿勢になるが……
庸平は地面に突き刺す。
そして土をシャベルですくい、掘られた穴に戻していく。
黙々としたその作業を呆然と見ている生徒達。
「確かに豊田君の行動は正しいよ。原因は分からないけれど、僕たちが穴を掘ってしまったことは事実のようだし……」
「そうですわね、騒動の原因は後で調べるにしても、穴をこのままにしておくわけにはいかないですわね……」
先生達もシャベルを使い、作業に加わる。
やがて、先生達の姿に刺激を受けた生徒達も手伝おうとするが……
「こういう作業は最弱である俺の仕事だろうが! 他の奴らは黙って見ていろよ。いつものようにな……」
庸平はシャベルを肩に担ぎ、にらみを利かせた。
先生達はその様子を見て見ぬふりを通し、そのまま作業を続けている。
赤鬼の隣で呆然と見ていた佳乃に向かって、
「坂本は手伝えよ!」
「……私は手伝っていいの?」
「だって、俺たち最弱カップルなんだろ?」
「はぁぁぁ――っ!? 普通このタイミングで言う?」
佳乃は真っ赤な顔で、両手をぶるんぶるんと上げ下げして抗議するが、周りの視線を感じて動きを止め――
「ねえ豊田、私達別に付き合っていないよね? ねえ皆聞いて! 私たち付き合っている訳じゃないんだからね?」
「……そうだな。俺たちまだ何にもしていないしな!」
佳乃はビクッとして動きを止める。
「ん? お前、俺が知らない間に何かやったの?」
「そそそ、そんなわけないじゃん-。あれはノーカンだからノーカウント!」
「……ノーカン? お前さっきもそんなこと言っていたな……まあいいや」
庸平は埋め戻し作業を続ける。
庸平と先生達の作業を見守る生徒達の中に赤鬼の姿を見つけた佳乃は、
「赤鬼さんも手伝ってよ!」
佳乃は切り株にちょこんと座っている赤鬼に言った。
「ワシが? 魔物なのに人間の手伝いを?」
「…………」
ジト目の佳乃としばらく見つめ合っていた赤鬼は「やれやれ……」とつぶやきながら手を地面に付けて足で蹴るように土を穴にドサッと入れだした。
「あの……私たちも手伝います。手伝わせてもらいますからっ!」
1年生達も作業に協力し出すが、もう庸平はそれを拒否することはなかった。やがて怪我をした生徒達は先に学校へ戻り、それ以外の生徒と先生達は総出での作業となっていった。
佳乃がふと庸平を見やると、彼はニヤリと笑っていた。
(この人はどこまで見通しているのだろうか……)
知りたいような知りたくないような複雑な心境になった。
15分程ひたすら埋め戻し作業に従事していた庸平は、額の汗を拭くために身を起こし一息つく。ふと上からの鋭い視線を感じ見上げてみた。すると2つの鋭い眼光がきらり光っていた。
木の枝から見下ろすその正体は白猫だった。
よく見れば不自然なところがたくさんある。猫にしては足が太め。毛色も完全な白一色でなく灰色の部分がまだらにある。とはいえ、虎縞という訳ではない。とにかく不自然な感じなのである。
「……お前も降りてきて手伝え!」
庸平が白猫に向かって言うとストンと着地した。着地する瞬間に『にゃ』と鳴いていたものの、やはり不自然――
「……なぜワタシが人間の手伝いを?」
白猫がどすの利いた低い声で言った。
周りの生徒たちは『うわー!』と驚き距離をとった。赤鬼に続いての不可解な生物との遭遇に恐怖を感じた。二度目だからといって慣れるものではないのだ。
「なぜって…… お前、白虎だろ? 穴を掘った張本人だろが」
「いや、それは我が掘ったのではない。人間が掘ったのだが……まあいい、見ておれ――」
白猫姿の白虎がじーっと生徒たちを見つめる。
人の言葉を話す猫に睨まれた生徒たちはたじろぐが、とくに何も起こらなかった。
「無駄だ。このサイズに縮んだ我々に人間共を支配する魔力はないのだ」
赤鬼が解説した。
白虎はぶつぶつ言いながら前足でざっ、ざっと土を穴に戻し始める。
その姿が意外にも可愛らしくて、生徒達は思わず見とれていた。
「なあ、お前俺の式神になってくれるんだよな? そのために残ったんだろ?」
「はあー? そんなわけなかろう。トヨダきさまを食ってやるために残ったのだ。せいぜい寝首を掻かれないように気をつけることだな。フフフフフフ……」
「…………」
赤鬼といい白虎といい、魔物たちは面倒くさい性格の奴ばかりだなと庸平は思った。
「なあ赤鬼、全国には白虎みたいに封印された魔物が他にもいるのか?」
「ああ、いるぞ。ワシが知っている限りでも数十体はおるぞ」
その庸平と赤鬼のやりとりを聞いた白虎が振り向き、
「西の都、京都にはワタシの仲間がいるのだが……小僧、一緒に行ってはくれないだろうか?」
「京都だぁ――? そんな遠いところ中学生の俺には無理無理。電車賃だって相当かかるだろうし……」
「良かったじゃん豊田!」
「えっ?」
佳乃が得意満面に声をかけてきた。
「ほら、私たち7月に修学旅行がある!」
「あっ……」
第二章完。
初版では佳乃のキスシーンは描かれていなかったのですが、改稿にあたり加筆しました。
それによって2人の関係が急接近……とはいかないところがこの作品のアピールポイントです。
人の心はそんなに急に変わるものではないのです。
面白いと思っていただけましたら感想・評価などをいただけると嬉しいです。
引き続き第三章もよろしくお願いします。




