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21 小さなヴァイエル  その3

 藤色の塗装を施された小さなヴァイエルと、目が合った。地上に立つ勝利を見下ろしつつ、直立した姿勢で風に逆らい静止している。

 名が授けられる瞬間を待っているのか。急がなければ、と気持ちばかりが焦る。

 勝利とて、名づけの事を忘れていた訳ではない。主として形と名の二つを与える義務を託され、形同様に何とすべきか、考えてはいたのだ。

 とにかく、思い浮かんだ音から何かを牽引しようと母音に子音を組み合わせる。

(ヴァイエルか…。ヴァイエルなのだから、ヴァル…。ヴァルー…)

 語呂の良さから、あと一音を後ろに望みたくなった。

 実にしっくりくる。悪くない響きだ。

(ヴァルー…)

 だが。文字が踊る思考世界で一音、また一音と書き記し始めた矢先。突き上げてくる衝撃により、足下がぐらついた。

 殴っているのか、蹴り上げているのか。外観のイメージ作りを邪魔した時とは比較にならない、荒々しい妨害が入る。

 勝利の内で休んでいる勝負神の仕業か。

 しかし、何故。そんな疑問に囚われた。

 小さな戦士の名は、勝利が付け与える決まりだ。

 ヴァイエル故、「ヴァルー…」の響き。至極安易だとしても、いい音だと思うのだが。

〈やめろ!! 勝利!! その名前は諱だ!! 二度と発音しても、させてもいけない!!〉

(勝負神…)

 腹の底、いや、頭の奥の更に裏側とも言うべき場所から、勝利と同じ声が高圧的に命じた。

 臓器と臓器の間、或いは思考世界の隣で姿を持たない声が懸命に発せられる。ある筈のない場所として「頭の控え室」とでも例えれば、より近いのだろうか。

(もしかして、それは、殺されてしまった神様の名前なんですか?)

 内に向かって問いかけてみたものの、生憎と返事はなかった。

 ただ、「起きている」感覚には器としての自信がある。勝負神は、過去を過去のまま置き去りにしたいと考えているのかもしれない。

 昨日、まんぼう亭では遂に思い出す事の叶わなかった神名。記憶の混乱に原因があると湖守は考えていたが、そう決めつけるのは早計なようだ。

〈勝利。名は、単体で時を越える。人間の名も同じだ。数千年の時さえ越え、未来に蘇ってしまう。勝利のヴァイエルには、今後を担う為の全く別な名を与えるべきなんだ〉

(今後を担う…。そういえば、『ヴァルー』の響きと『ヴァイエル』って似てますよね。由来とかあるんですか?)

 またも沈黙されてしまう。相変わらずの秘密主義だ。

 しかし今回に限って、その沈黙は肯定なのだ、と勝利には伝わってしまった。

「うーん…」

 ヴァイエルという定義自体が一つの縛りになるなら、思いつきかけた名は、もし使えば二重の断定になってしまうのかもしれない。ならば、全く別の響きを持つ名を用意してやった方がいいのではないか。

 勝利は寒風を意識し、思考の世界から現実の世界へと意識を切り替える。空中には、未だヴァイエルが静止画然として頭上にあった。

 ダブルワーク達縫修機もそうだが、ホバリングするヘリなど比較にならない程静かに、完全な無音状態で器用に空中静止をやってのける。

「お前の姿は、俺が決める前にもう決まっていた。名前はどうなんだ? 名前も、もうあるのか?」

 勝利は取り敢えず、事前に確認すべき一点を問う。

「いや。名は無い。主よ、名を」

 小さな体からは想像もつかない低音の声が、脳に直接届いた。ライムは「彼、もしくは彼女」と言っていたが、声は男性質のもので間違いなく「彼」だ。

 ライムが緊張した様子で、一方のダブルワークがにやにやと見物する中、勝利はすうと息を肺に取り入れる。

 名を、決めた。

「一周勝利を主とするヴァイエル。お前の名は、『ふじ』だ。漢字で、『不』に『二』と書く。お前のボディの藤色から取った」

「フジ、か。良い響きだ」

 専属となる従者に誉められ、勝利は胸を撫で下ろしたくなる程安堵した。

「この他に、俺が主としてやっておくべき事はあるのか?」

「命令を。この一帯で、先程から闇の気配を感じる」

 勝利に向かってライムが頷いた。不二が既に感づいているのなら試してみる価値は十分にある、と眼鏡の紳士も考えたようだ。

「今、闇のスパイが俺達の事を見張っている。だけど、俺達には姿が見えないんだ。捕まえられるか?」

「捕まえるゥ?」ダブルワークの声が、本人の意志に反し裏返った。「ちょっと待てって。その後、どうすんだよ?」

「わかりません。ただ、不二の初仕事ですから、なるべく穏便にやりたいんです」

「っつってもよ。相手が相手だぜ」

 そう。確かに、全てを見届けてしまっている敵なのだ。

 一周勝利の名が口から出たところ、監視者を敵として捕縛するよう命じたところ。更には、ヴァイエルに名を与える必要を知っているライム達が人間の筈がないところまで。知られてしまったのだから、何があろうと白スーツの男の元に帰す訳にはゆかない。

 但し、生かしたままにしておきたかった。

 吸魔の正体が人間で不本意な変容の結果ならば、この視線の主にも不本意な主従関係があるのではないか。そう推測したところはある。

 死を回避したいのは、吸魔の死を強く望んだ時の反動だ。甘い、と言われればその通りだとは思う。

 しかし。

 殺して解決するという思想は、あまりにも愚かではないか。弱者かもと考え始めてしまうと、尚更鄭重に扱ってやりたくなる。

「わかるか? 不二。見張りの居場所が」

「わかる」

「よし!! 行け!!」

 横からダブルワークが命じると、不二は一瞬躊躇した。

「頼む。殺さずに、だぞ!!」

 勝利が命じ直すと、「了解」と藤色の小さな機体が白い民家のベランダに直進した。



          -- 「22 泣き食い虫の少年」 に続く --


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