18 放たれた監視者
言葉では誤魔化したものの、欠けた部分から滲み出るものがそれとなく伝わってしまったのだろう。白いスーツの男は、自身の目的地を目指し歩き始める事もせず、立ち止まったまま同じ姿勢を取り続けている。
細身の体躯の肩幅が、遠目であろうと判別ができた。間違いなくこちらを向いている、という事だ。
早く十字路に出くわすか、道が曲がって欲しい。切実な思いから、勝利は後方ばかりを意識する。
幸い、内で疼いていた時間の断面はゆっくりとだが鎮まってゆく。男の気配が遠ざかった事で、闇の影響下から解放された為なのだろう。
尤も、安堵はするが楽観には至らなかった。改めて、自分がいずれ吸魔に変質してしまうのだと思い知らされ、心が沈む。
仕掛けた者達の方は、対極に位置する美の域から決して出ずにいるというのに。
百合音が、勝利自身が、そして吸魔にされた全ての人達が、一体何をしたというのだ。単に、不死の存在が地上を蹂躙し有限の命と時を弄んでているだけではないか。
勝利の中で憤りが大きな質量を得、内に淀んでどす黒く歪む。
あれが『闇』。
次第に力を蓄えつつあるというライム達の敵。当然人間の敵、でもある。
「っつぅ…」
よそ見をした途端に膝が崩れ、勝利は転びそうになる。
横からひょいと手が差し伸べられた。ダブルワークが支えてくれたのだ。
「安心しろ。勝利。お前が吸魔化した時には、必ずライムと俺が元の人間に戻してやる」
「あ…、ありがとうございます」
担当だと言う緑の縫修機達の頼もしさに、つい微笑が漏れる。
そう。彼等を信じる事にしたその思い一つで、勝利は正気を保ち、他者にまで気を回す余裕を手にできるのだ。
「しかし、ありゃ一体何者だ?」ダブルワークが、顧みず言葉だけで背後の男を指す。「結構な大物だろ。よく気づいたな、勝負神は。…ま、おかげで素顔を拝ませてもらったってところだな」
「ああ」と、眉根に皺を寄せたまま、ライムが肯定する。「代償として、私達三人の素顔もあの男に提供してしまったがな。得をしたのは、果たしてどちらなのか」
「あ…」二日前に小路で吸魔と遭遇した時の事を、勝利は思い出す。
あの時も同じだ。勝負神は勝手に確率を操作し、自分以外の何者かに大きなリスクを背負わせようとする。
ライムは縫修師だ。大物と思しき敵に顔を知られていい筈がない。
「ダブルワーク、湖守さんに伝えておいてくれ」
ライム自身も危機感を抱いたのか、今の段階で湖守への簡易報告に踏み切る。
「もうネットワークに上げてある」事態の重要度を共有している相棒の対応は早かった。元々、携帯端末の超速入力は得意な方なのだろう。「一番気になる問題は、奴の目的だ。わざわざ人間に紛れて地上行脚だぜ。昨日、俺達とミカギ達の縫修で吸魔は地上から一掃されてる。三日吸いに遭ってまだ吸魔化してない、勝利、お前を探しに来たのかもしれねぇな」
「そんな…」
ならば、事実を悟られてしまった事で、あの男は勝利を吸魔化するまで執拗に追い続けるのかもしれない。それこそ、ライム達の拠点まんぼう亭さえ突き止めかねない勢いで。
まずい、との判断が働いた。
勝利は、湖守から貰った自分専用の携帯端末を取り出す。勿論、用があるのは端末本体ではなく、カバーと一体化している無色透明なリングの方だ。
全長五〇センチ程の味方ならば、今こそ使い時のような気がする。
「ライムさん。思いきって、こちらから探りを入れてみますか?」
※ ※ ※
背を向けて遠ざかるライム連の後ろ姿を、空間神はしばらく眺めていた。小路に入って道が分岐すると、少し追い再び足を止める。
いつから地上は、こんなにも物騒な場所に変貌したのか。それが、空間神の率直な感想だった。
神造体に地上の服を纏わせ、おそらく三〇分と経っていない。その間、通行人、車、鳥や動物が、空間神とすれ違っていった。
特に、人間は闇の気配にも神の気配にも鈍感で、散歩をさせている飼い犬が突然立ち止まり空間神に頭を垂れても、不機嫌そうにリードを引くばかりだ。
だが、六組目に遭遇した三人組の男達にのみ正体を見破られてしまった感がある。最も非力そうな青年の怯えた眼差しは、彼を吊り上げていた男ではなく、始終空間神に向けられていた。
彼は動物に近い勘の持ち主なのか、それとも闇を闇として認識してしまう理由を他に持っているのか。
確か、吸魔より送られてきた時の三日分と吸魔の数が一昨日から合致しなくなっていた。縫修によって昨日二体も同時に吸魔を失ってしまったが、そもそも三日吸いに遭いながらも吸魔化していない人間が、あと一人この地上に存在する。
あの青年が、件の人間であるのかもしれない。吸魔が三日を転送した場所も、確かこの付近だ。
時神がかつての神格を留めてさえいれば。三日分の時間に触れただけで、名も素顔も特定する事が可能だったのだが。
いや。そもそも意味のない試行ではあろう。
集められた三日の中に、本人の顔情報はあまり残留していないものだ。人間は自身の眼球を使用し記憶の生成を行っているので、鏡を覗いた瞬間が摘出されていなければ、時神の能力が残っていたとしても得るものなどまずないと言っていい。
ましてや、数年、或いは十年以上昔の過去から三日間を摘出した場合、顔形の変化が大きすぎて参考にはならないものだ。
もし、あの青年に直接触れてさえいれば。三日吸いが穿った痕跡の有無を探る事ができた、のだろうに。
しかし、空間神の企ては、先を急ぐ一台のバイクによって遮られてしまった。間の悪い事もあるものだ。
「あの男は、もういない。そろそろ戻って来なさい」
呼びかければ、応じる。言い争う声に怯え逃げていた闇の虫たちが三匹、ようやく空間神の周囲に集まってきた。
「怖かったか?」と穏やかに問うと、全員がこくこくと首肯する。
「あれはチンピラというものだ。小さな力を誇示するだけの人間で、縫修師ほどの害にはなり得ない」
了解した旨、三匹が頷いた。
「何故…、何故私は、あの諍いの仲裁に入ろうとしたのだろうな」
思い出すほどに後悔が増す。闇を根城にする神として、吸魔に適した人間を見繕いゴズ達を放てば、今回地上で成すべき事は大半が完了していた筈だった。
正体を見抜かれると、途端に行動が取りにくくなる。たとえ相手が、敵ではなく単なる貧弱な人間だとしても。
「ゴズ」と、空間神は神類に加わった一人の名を呼ぶ。「あの三人組に張りついてくれ。もし、ばらばらになって行動するようなら…、そうだな…、黒髪の青年の後をつけるんだ。いいな?」
頷いたゴズが、上昇するや、木の枝を避け一人前方に飛行してゆく。
-- 「19 小さなヴァイエル」 に続く --




