04 不運体質
大胆な朝寝坊によって、勝利の遅刻は確定した。
スマホの電池残量は確認したつもりなのだが、風呂の後に湖守から渡された携帯端末と触り比べた事で臍を曲げたのかもしれない。午前七時半に設定していたアラームは、今朝だけ鳴る事を拒絶した。
朝を迎える前に、残量がゼロになっていたのだ。
午前九時にまんぼう亭で面接、という話が決まっている。しかし、隣人の少女に起こされた段階で、九時まで残り二〇分をきっていた。超高速の支度を整えても間に合う筈がない。
訪問先は、快速でも一駅分はある市川だ。
次の電車は、各駅停車と快速が同時刻に発車する。
精一杯の誠意を示すべく快速を選んた勝利だが、乗り込んだ車両のドアは発車時刻になっても閉じてくれない。ざわつく乗客達が見守る中、慌てた駅員が走ってくる。
結局、その列車は新小岩で全ての乗客を下ろし回送扱いになった。
こうなってしまうと、当然の成り行きとして同方向を走る各駅停車に乗客達が殺到する。勝利の乗った電車が、九時台の下りにしては珍しい混み方となるのは致し方ない。
ところが、列車と乗客の受難はこれで終わらなかった。
得てして、アクシデントはアクシデントを呼ぶ。
市川市の景色が窓外に広がる頃、勝利の乗っている電車は急減速をかけた。市川駅構内で緊急停止ボタンが押された為、ホームへの進入を見合わせ少々停車するというのだ。
皆が急いでいる中、露骨に舌打ちをする者も現れる。車内である事を重々承知の上で電話をかけ始める乗客は少なくなかった。
勝利は一人、負い目から小さな声で「ごめんなさい」と呟く。心臓は喉の上方で鼓動を打ち、十二月の朝だというのに全身が無駄に汗を吹く。
最早、疑う余地はない。今までの自分に戻ってしまっている。
勝率操作が可能だったのは、昨日一日のみ。いや、厳密に言うと縫修が終わるまでの時間限定だったようだ。被害者二人の転送を以て、勝利に委ねられていた勝負神代行業務がこっそり終了していたとは。
懐かしい不運の連続を殊更有り難いとは思わないが、それでも肩の荷が下りたという開放感はある。四六時中担うには、別格の確率操作という能力はあまりにも世界への影響が大きすぎ、恐怖すら抱くのだ。
私欲が制御できるうちに自分のものでなくなるなら、それはハッピー・エンドの親戚筋に違いない。普通の人間である事に感謝し、昨日渡された携帯端末で勝利もまんぼう亭に電話をかける。
数秒で電話口に出た店主の湖守は、車両故障に緊急停止ボタンの件が立て続けに起きた事を聞くなり、何故か愉快そうに笑った。
『デフォルトの君に戻っちゃったみたいだね』
「どうも、そうみたいです」と、勝利は不運の連続を楽しんでいる未来の雇用主に唇を尖らせる。「なので、到着が更に遅れます。面接の時間を守れず、申し訳ございません」
『いいよ。昨日の君は、誰にもできない事をしたんだから。事後に起きるこういう変化については、じっくり観察してゆこう。勝利君も、無理にどうにかしようなんて思わなくていいんだよ。駅を出たら、走らずに店までおいで。安全の確保が最優先だ』
「はい」
挨拶を付け加えて電話を切ると、ようやく車内アナウンスが入る。駅構内の安全が確認できたので間もなく発車する、と全ての乗客に告げた。
列車が徐行を始めたので、勝利だけでなくじっと我慢していた他の乗客達も安堵する。
市川駅で下車し、勝利は一人、まんぼう亭の置かれている一本道を進んだ。
淡い色の青空に筋状の雲が広がっている。昨日よりも更に雲は多めで、元々弱い冬の日差しが時折遮られ曇天を実感させる。
午前九時三八分。四〇分近くの大遅刻をし、勝利は飲食店の通用口を叩いた。
内側から、ダブルワークがドアを開ける。短い緑髪をした野性味溢れる美男子が、勝利の顔を見下ろした途端に吹いた。
「散々だったようだな」敢えて笑いを噛み殺さず、正直な態度を貫く男が勝利を店内へと導く。「こういう破壊力には抵えねぇもんだ。ま、無事に着いてよかった」
「おかげさまで…」精一杯の皮肉を込めて、勝利も刃を返す。「三割増くらいで昨日の反動がきている気がしますよ。神様やるの、ちょっときついです」
キッチンに入っている湖守が、「そういうデータも蓄積してゆこう」と通用口に最も近いテーブル席を右手で指す。「まず先にモーニングを食べてしまうといい。朝を抜くように言ったのは僕だし、お腹が空いているでしょう?」
「はい」勝利は、正直に答えた。
尤も、空腹感を覚えたのは、市川駅から徒歩を始めた後だ。朝寝坊に加え、百合音が縫修の件に触れた事で、出掛ける前から妙な緊張感が持続している。
百合音の件は、湖守に伝えておいた方が良いのだろうか。
勝利なりに想像がつくのだ。縫修は、後々まで当時の記憶を残すような性質のものではない、と。
店内は、今朝も客が皆無だ。朝から流れるジャズのメロディは、車内で苛々した乗客の息遣いばかりを聞いていた勝利の耳を音とリズムで洗い清める。
長居をしたくなる空間なのだが、それでも人影は数えると五つ。キッチンに入っている湖守と、カウンターでいつもの席に座っている緑の縫修師ライム、赤の縫修師ミカギ、赤の縫修機チリ。勝利の為にドアを開けてくれた緑の縫修機ダブルワークがライムの隣に収まると、昨日と同じ風景が出来上がった。
勝利の座るべき席だけが、昨日と違う。湖守は、カウンターに近い四人席で勝利に食事をさせ、そのまま面接を行うつもりだ。
下座の席に座った後、勝利は履歴書と職務経歴書を向かいの席に置く。
-- 「05 神との面接 その1」 に続く --




