君はもう、何処にもいない
ちょっとびっくりした。
僕は逢ったことはない。だけど、僕のよく知ってる人からの手紙。それが机の上にぽつんと置いてあった。
消印はない。切手も貼ってない。だけど僕はそれを不審には思わない。
手紙を開けてみた。見慣れた文字が並ぶ。
『はじめまして、というべきなんだろうか』
僕は苦笑した。いかにもあいつらしい書き出しだ。
『元気にしているか? 自分は元気にしている。と思う』
変に歯切れ悪い文も“らしい”なと思う。元気なのは知っているから、よりいっそう微笑ましい。
『あなたに訊いてみたいことがある』
だけど、こいつのその先の運命を知っている僕にとって、それはとてもつらいことになった。
『夢は、叶えたか?』
ごめん、と心の中で呟く。
夢は叶えられなかった。
『夢に向かって、努力しているか?』
ごめん、と心の中で呟く。
僕はもう、努力できない。
『ボクは今、野球選手になろうかと思ってる』
知ってるよ。
僕も努力してきたから。
『一応、それなりに努力しているつもりだ』
知ってるよ。
僕は努力していたから。
だけど、もう無理なんだ。
努力のし過ぎで、肩が壊れてしまった。
もう僕は、野球選手にはなれない。
『だから、君もがんばれ』
…………。
――十年後の僕へ。十年前の僕より。
――――――――――――――――――――――――――――
僕は手紙から頭を上げた。
少し悲しい気分なのは、結局単なる過去への執着なんだろう。
確かに僕は野球選手にはなれなかった。
夢は叶えられなかった。
だけど、それだけでもなかったよ。
――――――――――――――――――――――――――――
「――あなた?」
僕の妻が悪戯っぽい目で、僕を見ている。
「何してるんですか?」
僕は苦笑する。
この手紙を机の上に置いたのは、彼女だろう。
「童心に返ってた」
ふっと、唇の端が上がった。
僕の大好きな、彼女の笑い。
「なんて書いてあったんですか?」
「内緒」
「もう、意地悪」
どちらからともなく唇を重ねた。
目を閉じて、彼女を想う。
「な?」
「ん?」
「今度、子供作ろうか?」
彼女の顔が、パアと明るくなる。
これが、今の僕の夢。
そしてきっと、この夢にもう一人が加わる。
十年後の夢は、いったいどうなっているだろうか。
今度、手紙を書いてみようかと思う。