黙祷にかえて
知り合いが自殺した。この3月に転勤したばかりだった。
新しい職場に馴染めなかったのだろうか。陰湿ないじめがあったのだという噂も耳にした。
確かに彼は付き合いやすい性格ではなかった。空気の読めない部分も多々あったし、上司に忌憚のない意見を言ったこともある。ただし、仕事に対しては真摯な人間であった。そして実際に多くの命を救ってきた人間であった。
彼は脳神経外科医だった。地方の国立大学部の医学部を卒業し、その大学の医局に属しいろいろな病院を数年単位で勤務していた。私が知り合ったのも地方の病院でのことだった。最初の挨拶で「呼ばれたらすぐに来ますんで」と静かに頭を下げていた姿を今でも覚えている。私の勤務する病院の脳外科医の中でも彼は一番手術の時間が短く、看護師や麻酔科医からの評判は良かった。救急車でくも膜下出血や脳出血が来たときの対応も早かった。それこそいつでもすぐに駆けつけてくれていた。
そんな彼が大学病院に突然転勤したのがこの3月だった。3月という半端な時期だったのには理由がある。
大学の脳外科の教授とうちの院長が喧嘩したのである。もともと教授は地方大学というヒエラルキーの頂点に君臨する者としての自負が強く問題が多いと評判であった。教授は医局の人事権という強権を有しており、自分の思惑通りの要求が叶えられない場合は地方病院の医師を引き上げると脅していた。正しく白い巨塔の住人である。私の勤務する病院の院長も初めは従順にしていたが、遂に堪忍袋の尾が切れたというわけだ。突然大学から脳外科医の引き上げ命令が届き、彼は大学に戻って行った。担当患者さんを置き去りにして。
彼が自殺場所に選んだのは大学の宿直室であった。自らの腕に点滴を刺しプロポフォールを多量に投与し眠るように死んでいったのだ。死に場所は周囲への最後の抗議であったのだろうか?死という選択肢しか選べなかったのだろうか?そもそも彼が死ななくてはならない理由は何であったのか?多くの人間の命を救ってきた医師の最後としてはあまりに救われない結末である。
彼の死は公にはされていない。大学病院は事実を公表しておらず、彼を最初に発見した同僚は海外留学としてロンドンに送られている。教授は部下が死んでなおも白い巨塔の頂上に君臨している。
彼の死を無かったことにしていくこの世界に一つでも足跡を残すべくこの文章を記す。
黙祷にかえて。