安政江戸地震と地震鯰と今と昔とできれば未来
……
時刻は、朝の十時頃。
あなたは仕事の為に、街中を歩いていた。ちょっとした買い物の用事。そこで、不意に地面が揺れるのを感じる。「お、なんだか大きいのが来たな」。初めは、その程度の軽い気持ちだったが、揺れは瞬く間に更に激しくなり、街全体の建物を揺らし始めた。そして、倒壊し始める家々も。
あなたはそれに驚き、頭を抱えると、そのまま道端にうずくまる。
“こりゃ、えらい事になった”
そう思った。
ようやく揺れが治まると、景色は一変していた。崩れた建物がちらほら。当然、押し潰されて死んでしまった人間もいる。泣き叫ぶ子供の声。更に何処かからか「火事だー!」という大声が。
半鐘の鳴る音が響き渡る。
あなたはどうすれば良いのかと迷い、少し経った後、まずは自分の身内の安否を確認するべきだと判断し、走り始めた……
……と、いきなり地震のシーンから書き始めましたが、これは現代の地震ではありません。タイトルで丸分かりですが、江戸時代の安政年間(1855年11月11日)に発生した“安政江戸地震”です。この地震では、家屋の倒壊やその後の火災によって、実に三千人以上が死に、四千人以上が怪我をしたとも言われています。
この地震の後に、江戸では鯰絵が流行し始めます。地震鯰。知っている人も多いとは思いますが、地下の巨大な地震鯰が暴れて地震を起こすという、俗信の中の鯰です。まぁ、妖怪の類ですね(みみずくんではありません。地震鯰です。って、このネタ、分かる人いますかね?)。そして、この地震鯰に関する“鯰絵”の変遷から、その後の江戸に何が起こったのかが想像できたりするのです。
……
鹿島大明神が、厳つい表情で要石を巨大な鯰の頭に乗せて、押さえつけている。その絵の横には、地震除けの呪いが書かれてあった。“サムハラ”(すいません。神字なので、漢字変換できません)。あなたはそれを懐に入れると、倒壊した建物の処分をし始めた。その鯰絵は、地震除けの護符代わりなのだ。もちろん、怒りのはけ口としての効果もある。全て、この鯰が悪い。チクショウめ。そう思えば、少しは楽に。
もっとも、あなたはそんな鯰が本当にいると本気で信じている訳ではない。だから、そんな護符に本当に効果があるかも半信半疑だ。だが、これは要は気分の問題だ。気休めでも持っていないよりはマシである。
まずは瓦礫を片付け、街が機能する状態にしなくてはならない。あなたは、そんな事を思っている。まだ、地面が時折揺れる。あなたはそれに恐怖しながら、作業を続けた。昼になれば裕福な商人達からの差し入れがあるはずだ。握り飯と茶くらいは出るかもしれない。
“多く貰えたなら、カカァにも持って行ってやろう”
あなたはそう思う。
幸い、あなたの身内は無事だったのだ。
地震の後、出回った鯰絵は主に鹿島大明神が、地震鯰を叱ったり懲らしめたりするものであったようです。二週間程は余震が続いたそうなので、「地震除けの呪い札」が売れたのだろう、という事です。
さて。ここで、注目して欲しいのが、「裕福な商人達からの差し入れがある」という部分です。江戸時代、災害時には富裕層は被災者への施しが義務付けられていたのだとか。東日本大震災の折にも、富裕層からの義捐金が多く支払われましたが、こういった事は昔から行われていたのですね。もっとも、現代では義務とまではいきませんが。当時の商人達は、身分制度上は低い立場でしたから、そういった義務に反対する権限を持っていなかったのかもしれません。
……
“いや、無理だって”
と、あなたは思っていた。そもそも大地震の所為で、蔵やら屋敷やらが壊れたり燃えたりして、大損害を被っているのだ。その上、町民達に対する施しまでしなければいけないなんて金がいくらあっても足りない。街が復興したとしても、これでは、それからどう商売をしていけば良いのだ?
あなたは大商人の一人だった。今は他の町民達と共に協力して瓦礫の後始末をしているが、それが終われば、地震で壊れた建物を建て直さなくてはならない。その為には、また金が必要になって来るのだ。だから施しで、散財する訳にはいかなかった。
が、それは立場的にも身分的にも避けられそうにもない。できるだけ切詰めても、それでもそれなりの出費は覚悟しなければ。
あなたはパチリパチリと算盤を弾く。そして頭を抱える。商売の範囲を小規模にしたとしても、ほぼ一発勝負だ。もし、失敗すれば商家は潰れるだろう。
“おのれ……、地震鯰め!”
あなたは存在しないと思っていながら、地震鯰に対して心の中で文句を言った。
さて。
ここで、財政の話をしたいと思います。「え? 嫌だな」と思った人もいるかもしれませんが、そんなに難しい話ではないし、そもそもこの文章は財政ってテーマで書き始めたものなので、勘弁してください。
成り立ちが本当にそうかは別問題として、何らかの公共物を生産する為に、税金というものを国は国民から集めます。その方が、社会全体にとってプラスの効果だからこそ、そんな事をやるのですね。例えば、河の治水工事。これをやれば、農業用水の確保ができるので農耕地が増えます。すると、農作物の収穫量が増え社会全体が利益を得られる。政治の“治”は、治水の“治”が語源、という説もあるくらいなので、例としては好例なので取り上げてみました。
と言っても、その昔の治水工事までの流れはそんなに平和なものじゃなかったはずです。その前には紛争が起こった事も多いでしょう。何故なら、治水する為には広範囲に及ぶ河の工事が必要なので、国の境をまたがる事も多かったからです。治水工事をする為には、まず近辺の国の総意が得られねばならず、酷い場合には、それが紛争に発展しまう、とそんな事もあったはずなのです。もちろん、紛争が終わって何処かの国に統一された後でも、平和的に事が運ぶケースは稀でしょう。恐らくは、負けた国に強制労働をさせたはずです。それを踏まえると、“税金”を集めるという手段は非常に平和的だな、何だかんだで人間も進歩しているじゃないか、とそう僕は思ったりする訳ですが、ま、そこはそれで、もちろん、色々あるのです。
いくら税金を払って公共物を生産してもらった方が、社会全体の利益になり、ひいては自分の利益になると分かっていても、自分の元から金が消えれば、やはり人は反発を感じるものです。条件反射的に行動してしまう人の中には、反対する人もいるかもしれません。また、もっとずる賢く、皆に金を出させて自分は金を出さない、と策を練る人もいるかもしれません。当然、そんな不公平を許してはいけないのですが。
細かい部分は語りませんが、つまりはこれは、どこからどう“税金”を取るのか? という問題な訳です。どこから、と言ってもある所からしか取れません(貧民から、更に富を貪り取る、なんて例もありますが)。ただ、となると“ある所”に位置する人は、当然、反感を覚える事になります。江戸時代の富裕層が、怒りを覚えていた事は想像に難しくないでしょう。もっとも怒りを覚えていたのは、地震による被害を受けた一般の人も、同様かもしれませんが。
ただし、全ての人が、その事態に対して怒りを覚えていた訳ではなかったようです。実はこんな鯰絵が残されているのです……
……
鯰絵がある。もちろん、その鯰は地震鯰だ。地震を起こしたとされる架空の鯰。でも、以前に描かれたものとは趣が、異なっている。まず、鹿島大明神は登場しない。その代わりに、町民達が地震鯰をタコ殴りにしている。被害を被った人達が、怒りを露わにしている訳だ。しかし、中には何故か、その鯰を護っている者もいる。大工や鳶、左官などの建築関係の職人達。彼らは倒壊した建物の建設……、つまり、復興需要の恩恵を直に受ける職人達だ。
この鯰絵が発行されたのは、地震騒ぎが落ち着き街が復興され始めた頃の事だった……
……かっ たく、羨ましいねぇ
と、あなたは心の中で呟いた。大工の賃金は急速に上がっている。それに比べてあなたの賃金はむしろ下げられている。これではやっていられないと、大工の手伝いのような事もやっていたが、やはり素人じゃできる仕事は限られている。あなたの賃金は、とても低かった。
本職の職人連中は、仕事が終わった後、屋台に飲みにいくらしい。あなたも誘われたが、そんな金があるはずもない。元より貧乏な上に、壊れた家財道具の類も買い直さなくちゃならないのだ。あなたは仕方なしに真っ直ぐ家に帰る。すると、ちょうどあなたの妻が外に出かけようとしているところだった。不思議に思ったあなたは、こう問いかけた。
「おめぇ、こんな夜中に何処に出かけるつもりだい?」
すると、あなたの妻はこう答える。
「屋台に行くんだよ。仕事を手伝いだ。人手が足りないらしくってさ。まぁまぁ、払いが良いらしいよ」
それを聞いてあなたは、思う。
“なんだい、大工の連中が使った金が、こっちにも回って来るよ。はっ なるほどね。金は天下の回りものたぁ、よく言ったもんだ”
江戸の町は、復興景気に沸き始めていた。
さて。
安政江戸地震の後、倒壊した建築物を建て直す為に必要とされる、大工や鳶や左官などの、建築関係の職人の労働条件は非常に良くなったそうです。大商人達などの富裕層は、建築の為に、職人達を雇って賃金を支払いますから、“富の再分配”と同様の効果をもたらしたのです。
少し経済の話をしますが、限界消費性向は所得が高くなれば高くなる程、低くなります。平たく言うと、“金持ちほど貯金が増える”って事ですね。貯金って言うのは、使われない通貨で、これが投資に回らなければ、貯金はそのまま“死蔵された通貨”となってしまいます。
“金は天下の回りもの”と、物語の中で主人公に語らせましたが、死蔵された通貨は、回らないのですね。これは実は経済にとってマイナスに作用します。ですが、地震によってこの通貨が貧しい人間達に回るようになった。すると、何が起こるでしょうか……?
と、次に続きそうな感じの流れですが、ここでちょっと視点を変えます。突然ですが、現代にタイムスリップさせちゃいます。当然、2011年の3月11日に起こった東日本大震災と復興需要が思い浮かぶでしょう。ま、地震の話題ですしね。
……
“復興財源の確保を!”
あなたは、そんな内容のニュースがテレビから流れているのを観ている。地震発生前から財政状況が厳しいというのは、頻繁に語られてきた。それが、地震の発生によって更に厳しくなっているのだ。
どんなもんなのだろう? と、少し興味を惹かれてあなたがインターネットで検索をすると、明らかに富裕層と思われる人間が、ブログで『復興増税は、実質、富裕税だ!』と文句を書いていた。
本当にその計算が妥当かどうかは分からないが、その人物によれば、今の復興費用は高すぎるらしい。だから増税には反対、とどうやらそんな主張のよう。
“ま、気持ちは分かるけどね”
と、あなたは思う。
実際、割増で復興費用を請求して、それをそのまま自分達の懐に入れてしまおうと考えている人間はいそうだ。これまでの官僚や政治家の関わる数々の不正事件を観れば、疑わざるを得ないだろう。更に言うなら、復興の為と称して増税して、実際には他の財源に使いたい、なんて発想もあるかもしれない。あなたは更にこう思う。
“そう言えば、復興予算を国がなかなか許可しないというような話も聞いたような……。まぁ、これは邪推かもしれないが”
あなたは少し考えると、続けてこう思った。
“でも、どっちもどっち感もあるなぁ”
税金というものの問題点、その二。
金が集まれば、それを公共の為には使わず、不正に手に入れてしまおう、と考える人間が出てくる事もまず確かだ、という点。
その昔の封建主義の頃は、不正どころか堂々と奪っていた訳ですから(王権神授説とか)、それでも進歩していると言えばしているのかもしれませんが、それでも人間は不正をするものです。なんて書くと、
性悪説か?
とか、言う人がいるかもしれませんが、ちょっとばかり違っています。何を善とし何を悪とするかの問題は置いておいて、人間には良い人も悪い人もいる訳です。ですが、『不正をした方が利益を得られる』という社会システム下では、不正をした人が力を得る結果となります。そしてそれを野放しにすれば、やがては“社会全体を犠牲にしてでも己の利益を追求する”なんて方々が社会を動かす体制が国に出来上がってしまう。……そんな国は珍しくありませんね(不正をしている人達が力をつけ、実権を握っていくのだから、当然です)。だから、不正を監視し排除する為のシステムは絶対に必要なんです。特に日本はこのシステムが緩いと言われているので、大問題です。もちろん、常に国民が関心を持って、それを批判する事は、実質、そのシステムの一つになるのですが。
さて。江戸時代と違って現代では、遠く離れた地の財源も負担しなければなりません。江戸時代では、現地にいる金持ちが自分達の為にお金を使うので、非常に分かり易かった訳ですが(もし、そうでもなかったとしたら、ごめんなさい)、現代は違っています。財源を確保するとなると、当然、国全体から集めなくてはならない。
税というのは、富裕層が多く負担する。
というのは、まぁ、常識と考えても良いでしょうから、反発をする方もいます。先に述べた“税の不正搾取”の問題は、今もかなりの大問題ですから一理はあるにせよ、少しは慎重に考えて欲しい、とも思います。そもそも、富裕層がそれだけ多くの富を得ている背景に、不公平は存在しないのでしょうか? 機会の不平等、単なる幸運、あるいは社会制度を都合良く利用等、その可能性を数え挙げれば切りがありません。ならば、その不公平を是正する処置として、高い税負担を認めるという発想もあるはずです(もちろん、金持ちの場合、多少取られたところで、生活には響かないでしょ?って点もある)。金持ちが死蔵する通貨が、貧困層に回る事で景気が刺激されるって効果ももちろん、あります。
更に、税というのは、“取る”面だけでなく“使う”面も考えなくてはなりません。もし仮に、税を支払った事により、より多くの利益が得られるようになるのなら、税を支払っても大きな問題はないとは思いませんか? 富裕層が貯蓄した金が貧困層に回るのなら、それは先にも説明したような経済効果を生みます。その経済効果で、富裕層の収入が増えるかもしれない(もっとも、今の日本の現状で、富裕層が支払った以上の利益を得られる可能性は低いかもしれませんが)。
ま、だからと言って、“富裕税”という発想に頼り過ぎるのも様々な問題点があるのですが…
と、この話は後に回すとして、また江戸時代に話を戻しましょう。建築業界への需要が増え、職人達に金が回った事により、一体何が起こったのか…
……
鯨のようなものが描かれている。だが、それは鯨ではない。良く観ると、それは鯨とはかなり違っているのだ。まず、髭がある、目の位置などの特徴が鯨とは異なっている。だが、でかい。巨大だ。そして潮を吹いている。否、それは潮ではない。金銀財宝の類を、まるで鯨のように、それは頭から噴き出して撒き散らしているのだ。
そして人々が、その金銀財宝に喜んでいる。地震のお蔭で世直しができた、と。地震。そう。その鯨のようなものの正体は地震鯰だ。それは安政江戸地震においての、鯰絵の最終形態。地震鯰を歓迎しているもの。まるで、これでは地震鯰が神のようだ。
新築の家の中で、あなたは寛いでいた。地震が起きた当初は、先々の生活を不安に思っていたが、時が過ぎれば何て事はない。いや、それどころか、収入が増えて前よりも良い家に住めている。暮らし向きは却って良くなってしまったのだ。
あなたは地震が起こった直後に買った、“地震除け呪い”の鯰絵を見てみた。要石で、鯰が封じられているものだ。
“そんなに悪いもんでもなかったじゃねぇか。地震鯰さんよ。お蔭で、金持ち連中の持っていた金が、こっちに回って来て、景気が良くなったや”
大商人達は、確かに大損をしたが、その後に起こった復興需要による景気回復のお蔭で、持ち直し始めていた。つまりは命脈は保てたのだ。中には以前よりも富を得た者も当然、いるだろう。もっとも、その好景気が本当の意味での経済発展に結び付いたのかは定かではないが。
“連中にとっても、実はそんなに悪い事でもなかったのじゃないか?”
あなたはそんな事を思っていた。
それから最近買った鯰絵を見てみた。こちらは、地震鯰をまるで神のように扱っているものだ。
あなたは笑う。
“はっ! すっかり神々しくなっちまって… なんだかな。ま、感謝しない訳じゃないが”
そう思って、あなたは少し冷静になる。
“ま、つってもよ、またあの地震が起こるのはご免だがよ”
はい。
地震鯰… つまり、地震に感謝をする。いくら景気が良くなったからと言って、何千人もが犠牲になった地震に感謝するなんて不謹慎で、現代ではおよそ考えられませんが、江戸時代には実際に、そのような鯰絵が流行したそうです。『世直しだ』と、そんな事まで言われたのだとか。
格差が酷く、富裕層に対する憤懣が高かった事の裏返しかもしれませんが、死生観の違いも影響しているのかもしれません。医療が発展していなくて、栄養状態が悪く衛生に関する概念も整っていなかった時代では、人は当たり前に死ぬものでした。だから、地震による死者もそれほど特別なものではなかったのかもしれないのです。
先にも述べましたが、“金は天下の回りもの”。そして、使えば使うだけ景気は良くなっていきます。ならば、使われない金が使われれば景気も良くなるはず… これが、安政江戸地震の後に起こった景気回復でした。しかし、それは一時的な景気回復に過ぎなかったとも言われています。それを少しだけ詳しく説明したいと思いますが、もう少し後回しにするとして、また現代にタイムスリップさせてください。現代の復興需要による景気回復はどうなっているのでしょうか?
……
あなたは新聞の記事で被災地の『復興バブル』というタイトルを見かけた。既に入っている、或いは、これから入るだろう復興需要目当ての企業などが集まった事により、被災地の都市部では、バブル景気のような状態になっているのだという。キャバクラなどが、大繁盛らしい。
あなたは、例によってインターネットで検索をしてみる。すると、被災者達の生活がおかしくなっているという記事を見つけた。
……どこまで本当なのかは分からない。こういった情報は、多少、誇張されてあると観るべきだから。しかし、中には支援金によって怠惰な生活を送る者もいると、そこにはそう書かれてあった。
それについて、様々な人達がコメントしていた。当然、その情報を懐疑的に受け止める者もあったが、中には被災者を非難しているような者もあった。どう判断しようかと少し悩んだ後で、あなたはこう思う。
“もっとも、これがいつまで続くかは分からないか……”
今は需要不足による不景気。その記事の内容が本当なのだとして、金を使ってくれれば、例え一時的にしろ、景気を下支えしてくれる。だが、支援金の支給が終われば、荒廃する事になりかねない。
一方、被災を受けた過疎地域では、未だに瓦礫すら撤去されていない状態の場所も多いらしい。つまり、地域格差が激しい。
“世の中、やっぱり簡単じゃないなぁ”
ざっと調べ終えた後で、あなたはそう思った。
はい。
本当にどこまで本当なのか分からないのですが、それでも被災地の都市部が復興バブルに沸いているというのは本当らしいです。もっとも、江戸時代と違って、その為の金を出しているのは、民間ではなく、主に国な訳ですが。
江戸時代と違って、流石に、地震に感謝する人までは現れませんが(と言うか、感謝していたとしても言わない)、一部に利益を得ている人がいるのは間違いないでしょう。それに対して、どう評価するのかは人それぞれだと思いますが。
今の需要不足の状況下では、この復興景気は歓迎すべきものかもしれませんが、それが本当に長期的な経済発展に結びつくかどうかは分かりません。
経済発展とは、生産効率の上昇によって労働力が余った分を、他の新しい生産物の生産に充て、それにより“通貨の循環”が増える事によって起こります。しかし、復興需要の場合は、ストックの消失により、一時的に需要が増えただけ。つまり、復興が終わってしまえば、それで終わりです。
恐らくは、江戸時代の安政江戸地震の後に起こった復興景気も同じようなものだったのではないか?と想像されます。
さて。
流石に、江戸時代の財政事情までは知らないのですが、現代の震災、復興問題には、「財政難」という問題が色濃く横たわっています。もちろん、それは復興費用を国が負担しているからなのですが。
……
『この厳しい経済情勢、財政状況の中でも、復興財源の確保の為に、増税や節税に努めなければならない』
テレビの中から、そんな政治家の台詞が聞こえてくる。地震が起こる前から、財政は危機的状況に陥っていた。それが、震災の影響で更に深刻になっている。間違いなく、それは事実なのだろう。
あなたはそう思う。しかし、あなたは同時に疑ってもいた。
“何年も前から、財政は危機的状況だと繰り返し言われてきたじゃないか。なのに、未だに破綻しない。本当に、危機なのか?”
『財政再建の為に、消費税の増税を』
そんな声も聞こえる。
膨らむ一方の社会保障費を賄う為に、それは必要なのだという。が、あなたはそれも疑っていた。
“日本は高齢者へ高い社会保障を行っているって、どこかで聞いたぞ? しかも、高齢者の方が貯蓄率は高いんだ。
発展する社会ってのは、次世代に対して成長の為の投資をするもんだ。なのに、現役世代から金を奪って高齢者に与えてどうするんだ? これじゃ、やってる事が正反対じゃないか。消費税の増税よりも、社会保障をまず先に見直すべきじゃないのか?”
江戸時代に起こった安政江戸地震後の復興景気には、“富の再分配”という要因があったのだろうと想像できます。富裕層の元にあった、使われていない、死蔵された通貨が、庶民に渡る事で、景気回復が起こった。
ですが、現代の東日本大震災後の復興バブルは必ずしもそうとは言えません。何故なら、その多くが国の借金によって賄われているからです。しかも、今後の増税のその主役は、消費税で“富の再分配”の機能は、それほど高いとは言えない(それどころか、逆累進性があるとすら言われている)ものです。復興税として、もちろん、所得税の増税案はある訳ですが、これも現役世代に対してしか意味がないので、“富の再分配”は期待できません。何故なら、現代の日本では、死蔵された通貨を持つ主役は、既に引退した世代… つまり、高齢者だからです。高齢者には、普通、所得税はかかりません(その意味では、まだ消費税の方がマシです)。
そして、場合によっては、増税によって、更に景気を悪化させる事にすらなりかねない。と、こんな事を書くと、
「なら、増税で借金を返そうなんて思わないで、永久に借金をし続ければ良いんじゃない?」
なんて言う人がもしかしたら、いるかもしれません。
実は、世の中には「増税せずとも、国は永久に借金が可能だ」なんて主張をしている人がいるのです。どういう理屈かと言うと…
国は銀行などの金融機関からお金を借りています。国がお金を使うと、そのお金が貯蓄に回され、また金融機関に入る。ならば、そのお金をまた国が借りる事が可能なはず。つまり、国→一般企業→金融機関→国… と永久に循環が可能だと言うのです。
さて。どう思います?
僕は正直、これを聞いた時“オイオイ……”と、思いました。確かに、ある程度はこれは可能です。と言うよりも、実際に起きてもいるでしょう。でもいくら何でも永久に借金は不可能です。何故なら、金融機関の資金運用先は、何も国だけじゃないからです。『金融機関→国』の時に、他の運用先にも資金は行きます。そのため、借金の量がある程度に達したところで、国は借金ができなくなります。また、そもそも、国内から資金が逃げるケースも想定できます。更に言うなら、論よりも証拠で、この流れは完全には起こっていません。
日本銀行… 紙幣を発行している銀行ですが、この日本銀行が、国が借金する為に発行する国債を、市場から買い上げているのです。日本が借金をし続けられた要因の一つには、間違いなくこれがあります。また、2008年度には国家破産するかも、と言われていましたが、それを回避する手段として、国の特別会計からお金が出ています。お金があったという点では同じですが、少なくとも民間の金融機関からは出ていません。更に付け加えると、団塊の世代が引退をし、貯蓄を取り崩して生活をし始め、他の世代による貯蓄が増えず貯金の総量が減っていけば、国は借金がし難くなります(それでも、「金は国内の何処かにあるから大丈夫だ」、なんて主張もありますが、国内にあるからといって、必ずしも自由に国がお金を使える訳じゃありません)。
また、“国の借金”に関する重要な点として忘れてはならないのは、金利がある点です。最低でも、金利の増加割合と同じ増加割合で税収が増えなければ、国はいずれは破産してしまう事になります。そして、それは実際に起こっていません(増税すれば可能ですが、それでは前提条件が崩れてしまいます)。
その他にも、「国には資産があるから、まだ危機的状況下ではない」、と主張する声があります。もちろん、資産があるという点は心強いですが、だからと言って安心できるほどではありません。資産があっても、資金繰りに失敗すれば、破綻する可能性は充分にあるんです(民間企業でも、資金繰り失敗による“黒字倒産”なんてものがあります)。そして、瞬時にその資産を資金繰りに充てられるとは限りません(そもそも、利用不可能な資産もある)。心理的不安が増大して、金融機関が国債を売り始めれば、それだけで直ぐに財政破綻のピンチに至るからです。
実際、次の大幅な増税で、財政状況が改善しなかったら、国家破産の危機は更に高くなるという声もあります。まだ、数字的な問題というよりは、心理的な問題のようですが、それでも問題は問題でしょう。節税にしろ、増税にしろ、何かしらの対策を執らなければ、何年後かの予測は困難にしても、国家破綻は避けられない可能性が濃厚な現状である点は、間違いない。少なくとも、財政が危機的状況である点は事実です。
(金を日本銀行が刷れば良い。なんて言っている人もいますが、生産量を上げずに金を刷るのって、実質、財政破綻と同じ事ですんで… ま、それがどれほどの問題に発展するのかは、不透明という点は認めますが)
死蔵された通貨を市場に回す、という点を考えるのなら(“つまり、富の再分配ですね”)、富裕税的な発想が望ましいのですが、この方法には実はデメリットがあります。
まず、富裕税を上げ過ぎると、競争原理を活かせなくなり、共産主義国家や公務員などで観られるような労働の質が落ちるという弊害がある点。次に、自分の財産を守る為に、海外に資産を移転させてしまうようなケースが考えられる点(疑う人もいるかもしれませんが、富裕層の海外移転は、週刊誌に取り上げられるくらいの事態には既になっているようです)。
海外への資産移転には、実はメリットもあるので、完全には否定できません。海外に資産が逃げれば、円安になります。すると輸出が有利になるので、結果的に民間で働いている現役世代の収入が上がる効果が期待できます。ですが、先に述べた国家の財政破綻を考慮するのなら、資産の海外移転は確実にマイナス要因です。国が借金をし難くなるからですね。
(個人的には、自然に“富の再分配”が起こるような社会体制が望ましいと考えるのですが…… え、そんな事、どうやるのかって? 実は可能性としては方法はあるんです。ただ、ちょっとここでは長くなり過ぎる上に今回のテーマとはまた違った話になってしまうので、説明は割愛しますが)
では解決方法がないのかというと、実はそんな事はありません。これらの問題点を発生させず、“富の再分配”を行う手段はあります。
以前は、日本の借金増大の主な原因には“無駄な公共事業”が挙げられていました。今ももちろん、官僚の天下り問題などと絡みそれは大問題な訳ですが、次第に日本の借金の主役は“高齢者への社会保障”へと移ってきました。これは日本だけでなく、先進諸国でほぼ同様の傾向があるそうです。高齢者達への社会保障が財政を圧迫している。
仮に、高齢者達の生活が今でもギリギリの状況下で、これ以上社会保障を減らしようがないというのならば、社会保障費用の増大を防ぐ手段はありません。ですが、日本の高齢者への福祉は非常に手厚く、更に、日本の貯蓄の割合を観ると、高齢者世代が圧倒的に多いのです。そして、その貯蓄は、“死蔵された通貨”である点が指摘されています。つまり、経済へマイナスに作用している。
その貯蓄が投資へと回り、経済を活性化させる糧となるのなら、また話が違ってくるのですが、日本では特に、官僚達の利権を守る為などによる規制の所為で、投資への抑制が行われているので、それも起こりません(もっとも、規制を緩和しただけでは、まだ不充分なのですが)。
ならば、高齢者への社会保障を減らす手段が、財政状況を改善する手段として、最も有効とはならないでしょうか?
医療費に関しては、予防や病院の頻繁な利用を自粛するように訴え、年金に関しては大胆に削減していく…
(医療費でも、金を使えば経済発展になるじゃないか、という声もありそうですが、医療資源には限りがあるので、そう簡単にはいきません。労働力をも含めた医療資源は、節約しなければいけない)
貧困に喘ぐ現役世代、若者達が、裕福な高齢者の為に税金(や保険料)を納めるという構図は馬鹿げています。いわゆる世代間格差の問題ですが。
社会保障を減らすと、年金を支給される高齢者世代が海外へ移住するという事も実際に起きているので、先ほどの富裕税の時と同じ様に、海外への資産移転を助長する可能性があります(物価の差を考えるのなら、少ない収入でも海外の方が楽に暮らせるようになるので、メリットがある)。もっとも、これが強い影響を社会に与える程の規模で起こるのかは、分からないのですが(これは、先ほどの、富裕税の話でも同じ事が言えます)。
ただし、社会保障を減らした分、税負担は減っているので、財政破綻の危機を高めるような事態にはなりません。また、高齢者の海外移住は、富裕税の時と同じ様に、円安要因になるので、輸出が有利になり、実質、若い世代への所得移転ができるというメリットもあります。
高齢者への社会保障を削減できたなら、結果、高齢者の貯蓄を減らす効果もあるので“死蔵された通貨”を活かす事ができ、経済にプラスの影響を与えます。
年金財源の多くは、国の一般会計に計上されておらず、特別会計に入っています。だから、知らない人もいるかもしれませんが、年金財源の規模は巨大です(どれだけ確かな情報かは分かりませんが、100兆円規模という話も聞きました)。
現在、年金は支給額が足らず、積立金を急速な勢いで取り崩している状態ですが、これを大幅に削減できれば、一気に財政状況は良くなります(因みに、復興財源の一部にも、この年金積立金は使われました)。
もし仮に、増税で国の借金返済を行ったのなら、それは金融機関に行きます。その金が、何かしらに活用されれば、大きな問題はないのですが、今はそれが起き難い。また、増税した分が高齢者への社会保障へと充てられたのなら、自ずからそれは、“死蔵された通貨”を野放しにする結果となるでしょう。
“金は天下の回りもの”。金は回ってなんぼ、です。つまり、財政を論じる場合にも、経済を論じる場合にも、“通貨の循環”を意識しなければならないのです。
そして“通貨の循環”を増やす事が、経済成長に結びつき、それが税収を上げ、ひいては財政問題を改善する結果となります。
通貨の循環は、新しい生産物を誕生させれば増やす事が可能です。その可能性があるもの中には、例えば太陽電池や風力発電なども含まれてあります。そしてそれは、公共料金や税金などで金を集めて使えば、労働力が余っている今ならば、達成する事ができます(もちろん、介護などでも応用が可能)。この場合、支出が増えますが、通貨は循環しているので、収入も増えます。更に、この場合、生産量の増加という前提条件があるので、“通貨の増刷”も合わせて行う事ができます。つまり、最初の一回だけは、通貨の増刷に頼る事が可能ですので、生活者の負担にはなりません。もちろん、複数の企業に競争させる、といった市場原理も有効活用すべきでしょう。
(因みに、公務員の人件費削減方法として、国は新規雇用を減らして、高齢者世代の収入は維持するという方針を執るそうです。ですが、これは、若者から雇用を奪っている上に、“人件費の安さ”という観点からも全く理に適っていません。高齢者の給与や退職金を減らすべきです)
僕の思い描く理想的な筋書きは、今の財政難は主に年金支給をカットする事で、取り敢えずは悪化を防ぎ、その間で、この“通貨の循環”を利用して経済発展を起こし、税収を上げる事で危機を回避するというものです。
……できれば未来に、この言葉が繋がりますように。
歴史にしようか、エッセイにしようか悩んだ上で、歴史にしました。
参考文献は、「怪 33号」及びに、ネットの記事です。