時間通りに笑えないのよ
「笑えないのよ」
今まで無表情だったはずの顔に悲しさが見えた。
「…んな顔、すんなよ」
こっちまで悲しくなる。
時間通りに笑えないのよ
日曜日午前10時50分。
オレは腕時計を見てからふぅっと息がついた。
今日はデートだ。といっても仕事だが。
「あと10分か…」
オレは相手の顔を知らない。なので相手が声をかけてこない限り、デートは始まらない。
「あの」
「はい?」
オレは顔を上げた。そこには何となく冷たいイメージを持ってしまうような女がいた。
「カナトさん?」
「そうだけど?…あんたが予約した岸本鈴華さん?」
岸本鈴華は頷いた。
「今日はよろしくお願いします」
深々と頭を下げる鈴華。
「いーえ、こちらこそ」
鈴華は無表情にこちらを見た。
…あまり感情を表に出すタイプじゃねぇのか。
オレは納得すると鈴華の手を取った。鈴華は少々驚いたようだ。目を少し見開いている。
「何処に行く?」
「私が決めるの?」
「いや。ただリクエストとかがありゃと思って」
この様子だとないようだな。じゃあ。
「海に行くか」
「この時期に?」
「この時期に、だからだよ」
オレはにやりと笑った。鈴華は相変わらず無表情だが戸惑っているようだった。
「さて、行こうか?」
あれからオレたちはオレのマンションまで行き、バイクを取って割と近い海へ向かった。
「…バイクって怖い」
「そうか?風が気持ちいいぜ」
まぁ、わざとスピードをだしたけどさ。
今オレたちは誰もいない砂浜に座っている。風が冷たいが海はやっぱりキレイだった。
「ねぇ、何で海なの?」
「ん?…ああ、あそこにある建物見えるか?」
岬にあたりを指さした。鈴華は頷く。
「あそこ、オレのダチの店で冬に海鮮鍋をやるんだ。それがめちゃくちゃうまい」
「海より食い気?」
「もちろん」
鈴華はあきれたように視線でオレを見ている。けど、最初のような冷たいさはなくなった。
「なぁ、鈴華って何歳?」
「23」
5つ下か。23の割にはしっかりしている。
「カナトさんは?」
「オレは今年で28」
そう言うと鈴華は驚いてオレを見た、ような気がした。
「見えねぇ?」
「…見えない」
驚いている(ようにみえる)鈴華を見て、思わずクスクスと笑ってしまった。
無表情だけど何故か何を考えているかよくわかる奴。
「お前、わかりやすいな」
「えっ…」
今度は顔に驚きがちゃんと見えた。
「何だよ、驚いて」
「みんなにはわかりにくいって言われるから」
「そうか?」
こんなにわかるのに。まぁ、いいけれど。
「鈴華は何でこのデート、予約したんだ?」
「…もうすぐだから」
「何が?」
鈴華は黙ってしまった。思わずまゆひそめる。
「…言いたくねぇならいい」
「…ごめんなさい」
「いや、プライベートなことを聞こうとしたオレが悪い。ごめんな」
鈴華は首を横に振った。
「……なぁ、オレさぁ」
「え?」
なんだか無性に自分のことを話したくなった。何故だかわからないけれど。
「ホストになって8年経つんだ。色々あったぜ。楽しいことも、つらいこともさ」
オレはポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
「すんげぇ好きだった女がさほかの男のとこにいったときなんて、すんげぇ辛かったな。あのときただがむしゃらにNo.1目指してたからかまってる暇、なかったから愛想をつかちまった」
『奏人は本当に私のことが好きだったの?』
最後にあいつはそう言った。その時オレは、何故か答えられなかった。すごく好きだったのに。
「まぁ、オレにもこうして苦い思い出が一つや二つある。っつうことは誰にでもあるもんだろ」
「…その人のこと」
「ん?」
「その人のこと、今でも好き?」
「いや、何とも…。いや違うな、罪悪感を感じる。好きって訳じゃない」
オレはタバコの煙を吐く。
「…私」
鈴華のつぶやきにつられて鈴華の方を見た。
「笑えないのよ」
今まで無表情だったはずの顔に悲しさが見えた。
「…んな顔、すんなよ」
こっちまで悲しくなる。
オレは鈴華の頭をなでた。鈴華は目を閉じて黙っていた。
「笑って無くてもお前はちゃんと感情を持ってるから大丈夫だ」
「……ありがとう」
鈴華はそうつぶやいた。
「…おいしい」
「本当?嬉しいなぁ」
オレは会話をしている2人を見ながら黙々と皿の中の具たちを消化する。冷えた体に鍋がしみわたる。
「奏人、お前が女とくるのめずらしいな」
「別に。純、お前働け」
「へいへい」
純は手のひらをひらひらとふると、厨房へと戻っていった。
「あの人が?」
「ああ、速見純。高校の時のダチ」
「そうなんだ」
オレは豆腐をほおばる。
あっつ!!
思わず顔を歪ませた。
「そんな焦って食べなくても」
鈴華の顔を見ると、口元が少々ゆるんで目が優しげになっていた。
驚きのあまりオレは熱さを忘れた。豆腐を食べてから言う。
「お前、さっき笑った」
「え?」
「微妙だったけど、笑った」
鈴華はさっと自分の手を頬にやった。
「……なぁ」
何故か自然にオレはこう言ってしまった。
「また何処か行かね?」
「え?」
「客としてじゃなくて友人として。オレ、お前が笑うトコ見てたくなった」
「私は笑えないよ?」
「いや」
オレはにやりと笑った。
「オレが笑わせてやるんだよ」
「!」
鈴華は戸惑っているようだ。
「オレといるときのお前、わかりやすいもんな。今は戸惑ってるだろ?」
「えっ」
今度は驚いている。オレはクスクスと笑った。
「今は驚いているな」
「!!」
「やっぱり」
そういってポケットから携帯を取り出す。
「携帯、貸して」
鈴華は言われたとおりに携帯をオレに渡した。オレは受け取ると、赤外線通信でお互いの番号とアドレスを登録した。
「サンキュ」
鈴華にオレは携帯を返した。
「天川奏人ってやつ、オレだから」
「あま、かわ?」
「オレの本名」
そう答えて再びオレは皿の中のものを食べ始めた。鈴華は何が起こっているのかわかっていないらしい。
それを見て思わず笑ってしまう。
「オレが電話したらちゃんと出ろよ」
「……はぁ」
「もちろん、お前からもちゃんとかけろよ」
「!?」
さらに困惑した鈴華。オレはクスクスと笑った。
オレと無表情女の”友人”関係はこうして始まった。