ぽっちゃりした子が好き?
2005年7月、俺は弟と2人でテレビでK1、すなわち総合格闘技を見ていた。
もうそろそろ、曙対チェ・ホンマンのドリームマッチが始まる。
「うおおおお! 曙! 絶対に負けんなよ!」
相撲時代からの曙ファンである俺としては、前回敗れたチェホンマンに対して、今日こそは絶対にリベンジを果たしてほしい。
「違うだろ、兄ちゃん! ここはチェ・ホンマンが勝つに決まってんだろ! あんなデブが勝てるわけないじゃんか!」
対する弟は、チェ・ホンマンの大ファンだ。たいていの場合、弟とはなぜか、好きになる格闘技家が違ってしまうので、必ずテレビの前で大喧嘩を繰り広げながら観戦することになる。
くそっ、下馬評がチェホンマン有利だからって、余裕を見せつけやがって。曙のあの体格を見てみろ。いくらチェホンマンだって一発当たればぶっ飛ばすことができるに決まってる。
「大体フットワークが重くって、イノシシのごとく突っ込んでくるしかできないじゃん。そんな曙が、チェホンマンに勝てるわけないだろ!」
「てめえ、お前は全国1億2000万人いる曙ファンを敵に回した……」
「日本人全員が曙ファンかよ、あきら兄ちゃん。けど、勝つのはチェホンマンに決まってるさ! たとえ日本全国がデブの曙を応援したからと言っても、僕はチェホンマンの味方だよ!」
「曙をデブデブと連呼するな! 曙ファンを代表してここでお前を倒す!」
そう叫ぶと同時、右手で思いっきり力を込めて握り拳を作り、弟の頭に拳骨を食らわせる。
「痛っ! 兄ちゃん、高校生になったんだから、これぐらいで感情的になんなよ!」
駄目だ、曙を馬鹿にしたやつは、豆腐の角に頭をぶつけて死ねばいいんだ。
「っと、こんなことしてる場合じゃないよ兄ちゃん! そろそろ始まるよ! 一挙手一投足を見逃さないようにしないと!」
「そうだな、弟よ……これから始まる10数分間は、絶対に瞬きをしてはだめだぞ!」
「分かってるって!」
お互いの舌戦を終わらせ、目を皿のようにしてテレビを凝視する。さあ、今から始まる。というときだった。
TRRRRRR、TRRRRRR。
家の電話が鳴りだした。何でこういう時に限って、両親はそろって出かけてるんだ。
「おい、弟よ……」
「やだよ、兄ちゃんが出てよ」
「いや、ここは年長者に気を使ってだな」
「いやいや、ここは年下にかっこをつけたいという気持ちで、兄ちゃんが電話出てよ」
TRRRRR、TRRRRR。
そう言いあっている間も、ずっと電話は鳴り続けている。あと1分後くらいには始まってしまうというのに……。
「ここは正々堂々とじゃんけんだな。弟よ」
「そうだね、負けないよ兄ちゃん……『じゃーんけん!』」
『ポン!』
……くそっ、何でこういう時に限って負けるんだ! 早くしないと始まっちゃうって言うのに!
「はい、もしもし黒田です!」
タイミング悪くかけてきた相手に対しイライラした声で、電話をでた。
「あ、く、黒田君……? は、萩野です……え、えっと中学校の時、同じクラスだった……い、今忙しかった?」
げ、は、萩野さん? な、なんでこんな突然!?
中学1年の時と3年の時同じクラスだった萩野さん……小柄ですらっとした外見で、おとなしくて、いつも教室の隅っこで本を読んでいるような子だった。
中学3年生の時、修学旅行で同じ班になってから、思ってたよりずっと話すことが好きってことが分かって……結構楽しく話して、それからずっと気になってはいたんだけど、修学旅行が終わってからは席も離れてて、教室の中で話しかけるのも気恥ずかしくて、なかなか他に話す機会にも恵まれなくて……そのまま卒業して別々の高校になっちゃったんだよな。
け、けど何で突然俺のところに電話なんかしてくるんだ?
「と、突然家の電話にかけちゃってごめんね……黒田君の携帯電話の番号、知らなくて……」
「あ、き、気にしなくていいよ? それより久しぶりだね。と、突然どうしたの?」
久しぶりに話をするせいで、緊張して上手く口が動いてくれない。
「え、えっとあのね……く、黒田君……」
萩野さんの言葉にドキマギしていたら、居間から弟の怒鳴り声が聞こえてきた。
「にいちゃーん! はじまっちゃうよー! 何してんのさー!」
「すぐ行くから、ちょっと待ってろ!」
弟の言葉に慌てて怒鳴り返し、受話器を再度耳につける。
「え、えと……黒田君、今、い、忙しいの?」
「き、気にしなくていいよ」
本当は今すぐにでも、テレビを見に行きたいのだが、そういう訳にもいかない。
萩野さんの電話の方が大事だし。
「にいちゃん! 始まる始まる! デブの有終の美が見れなくなるよ! デブ嫌いになったの!?」
「うっせえ! ってか有終の美っていうな! というか俺がデブの方が好きってわかってて言ってんだろうな! 後で殺すから待ってろ!」
ったく、弟の野郎、邪魔ばっかしやがって。余計に行くのが遅くなるのが分かってて言ってんだろうな。
「…………そ、そうだったんだね。黒田君って」
「え? 何? よく聞こえなかったんだけど。それより、ごめんね。どうしたの?」
「う、ううん。えっと……なんでもない。突然電話しちゃってごめんね」
「え? 萩野さ」
ブツッ、ツー、ツー、ツー。
切れた。結局何を言いたかったのかさっぱりわからないまま切れてしまった。
萩野さん、突然うちに電話してきたりして、一体なんだったんだろう?
「兄ちゃん、始まった始まった!」
「うぉお!? 今行く今行く!」
弟の声が聞こえた瞬間、先ほどの萩野さんの事は頭の中から完全に吹っ飛んで、俺の頭の中はK1の観戦の事でいっぱいになった。
「ふぁあ……ねむ」
後日、夏休みももうそろそろ終わるかという8月30日。犬の散歩に出かけようとした時の事だった。
家の前に、見たこともない同い年くらいのでっぷりとした……いやいや、ぽっちゃりした……いやいや、ふくよかな女の子が立っていた。誰だろ? 弟の友達かな?
「……ひ、久しぶり……黒田君」
……え? 俺の知り合い? 俺、こんなぷっくりした女の子、知らないよ?
必死で誰だったか思い出そうとしたけれど、全然思い出せない。
「と、突然押しかけちゃってごめんね。え、えっと……あのね。前、黒田君に電話した時に言おう言おうって思ってたんだけど……黒田君好みの女の子になってからって思って……」
へ? 俺の好み? 電話? ……何のことだ? というか、本当に誰だ?
「わ、私、萩野は、黒田君の事が好きです! 黒田君がデブが好きって言うから、1か月、一生懸命太りました!」
……は? 萩野さん? え、あ、え?
あのスリムでかわいらしかった、俺の好きだった萩野さんが、こんな太って……20キロくらいは……って? え? え?
「く、く、黒田君、付き合ってください!」
……外見じゃなくて、中身が大事だというけど……どうしてこうなった。
萩野さん、ごめんなさい。
この後の2人がどうなったのかは、読者の皆様が、ご想像ください。
それでは。