聖女の呪い? いいえ違います。これは単なるインフルエンザです!!!
「おやめください! 聖女召喚は行ってはならないという神託をお忘れですか?!」
神官長の、悲痛とも言える叫びがその男の背を追った。
男はこの国の王太子であり、神官長であってもその歩みを止められる存在ではない。
外は昼だというのに暗く、空を分厚い雲が覆っている。もう一月ほど、太陽はその姿を覗かせていない。
暑い季節のはずだというのに気温は上がらず、このままでは農作物の出来は壊滅的なものになるだろう。国庫を開いたとして、どれだけの死人が出ることか。
この国では時折このような大規模な天候不順が起き、そのたびに国を挙げて聖女召喚の儀が行われていた。聖女が降臨すれば、たちまち天候は回復し、作物はその実りを豊かにする。
だというのに、この天候不順が始まって間もない頃に、突然神殿から神託が降りたと報せがあった。
――――曰く、聖女召喚を行ってはならない。聖女を召喚すれば、国は滅びるだろう、と。
◇
原田美乃里はその日、だるい体をどうにかごまかしつつ、自室のベッドで体を起こした。
枕元にあった体温計を脇に挟み、電子音を待って表示を確認する。
どうやら、熱は下がったようだ。薬が効いたのだろう。
ほっとしつつ、額に貼られたシートを剥いでゴミ袋に入れる。
トイレに立つと用を済まし、手を洗ってうがいをする。一人暮らしになってから、これほど体調を崩したのは初めてだった。
心細くなってつい母親に電話をしてしまったけれど、看病に来るというのは断った。母は再婚後に子どもができ、その子はまだ小学生なのだ。移すようなことがあれば申し訳ない。その代わり、言われた通りすぐに病院へ向かった。
病院の検査でインフルエンザであることが分かったので薬をもらい、それを飲んで寝ていると、翌日にはレトルトの粥やらスポーツドリンクやらが詰まった段ボールが届いて、少しだけ泣いた。
そうして今日。
まだ体はだるいが熱は下がったようなので、少し悩んでスマホで「インフルエンザ 風呂」と検索する。熱がなければシャワーや短時間の風呂は問題なさそうだ。そのことに安堵してシャワーを浴びた。さすがに汗をかきすぎて気持ちが悪い。
服を着替え、髪を乾かしてから、室温のスポーツドリンクを飲む。それから、粥を温めようかゼリー飲料でごまかそうかと考えつつ、母からの救援物資の入った段ボール箱をテーブルの上に載せようと持ち上げた、そのときだった。
突然、足下が目映く光り、その眩しさに堪らずに目を瞑る。
そうして再び目を開けると、そこは一人暮らし用のアパートの自室とは、全く違う場所になっていた。
「聖女様だ!」
「儀式は成功した……!」
不思議な格好をした男たちがそう口々に言うのを呆然と見つめる。
さらにその中で最もきらきらしい格好をした男が歩み寄り、美乃里の前に立った。
「聖女よ、そなたの力でこの国を救ってくれ」
美乃里は悟る。
――――異世界転移ってやつだこれー!!!!
ネットで散々見たことがある。
だが、まさか自分がそんなものに巻き込まれるとは思ってもみなかった。
自分は高校生でもなければ、仕事に疲れた会社員でもなく、特殊な知識や雑学も持っていない、ただの女子大生である。
それが、こんな突然、異世界に? 嘘でしょう、としか思えない。
こちらは療養中な上、パジャマで、段ボール箱を抱えているという状況だというのに。
「か、帰して……帰してください……」
思わず零れたのは、そんな言葉だった。
自分には何の力もない。それに、やっと受験が終わり、第一志望ではなかったが、どうにか第二志望の大学には入れて、最近はサークルの先輩の中にちょっといいなと思う人もいた。バイト先の人間関係に少し悩んではいたけれど、インフルエンザで休むと言ったときには店長は心配してくれて、しっかり休んでと声をかけてくれたのだ。
こんな知らないところに連れてこられても困る。
だが、帰してくれという美乃里の訴えは退けられた。
なんの力も無いのだという美乃里に、聖女はそこにいるだけでいいのだという。外は腹が立つほどの晴天だったが、この晴天すら美乃里の召喚によって齎されたのだという。
だから何?
この国の天気なんて知らんけど?
こんなのは太古の昔、天気をよくするために捧げられた生け贄のようなものではないかと思う。
この国の人間たちはいいだろう。
まったく知らない小娘一人の犠牲で、天候不順が回復したというのだから。
だが、美乃里からしたらたまったものではない。
自分の国ですらない、知った人間の一人もいない国の天気をどうして自分の人生を犠牲にしてまで回復せねばならないのか。
美乃里は徹底的に人を拒絶した。連れて行かれた豪華絢爛な、しかしトイレは木製のおまるしかないという意味不明な部屋に閉じこもった。
籠城し、段ボールに入っていたスポーツドリンクを飲み、ゼリーを飲み、冷たいレトルトを食べた。
城の人間は声こそかけに来たものの、そのうち腹が減れば出てくると思ったのか、そのまま美乃里を半ば放置した。
いや、せざるを得なかったのである。
始まりは、王太子と、神官長の意に背いて召喚の儀に関わった神官たちだった。
「うう……頭が割れるように痛い……」
「関節が痛む……」
「喉が、喉が痛い……」
彼らは高熱に倒れ、各部の痛みを訴えた。
そして、それはあっという間に城と神殿を席巻し、城下と様々な街、村へと広がっていった。多くの者が倒れ、死んでいった。
「聖女の呪いだ」
最初にそう言い出したのは誰だったのか。
わからない。だが、状況からしてそうだとしか思えなかった。
まだ体の動く神官たちは聖女の籠もる部屋のドアを叩き、どうか呪いを解いてくれと懇願した。
驚いたのは美乃里である。
呪い? そんなの知らんけど?
そう思ったけれど、これが千載一遇のチャンスだと思った。
そうして、美乃里は自分を元の世界に帰せと交渉したのだ。呪いなんて知らないし、何が起こってるのかも聞かなかった。聞く必要も、自分が解決する必要も感じなかったからだ。
かくして、聖女は元の世界に送り帰された。
今までならば聖女がいる間ずっと続く豊穣を目当てに、元の世界には返せないと告げていたが、今回ばかりは帰すしかなかった。
だが。
聖女がいなくなっても、呪いが解けることはなく、それどころかそれは国の外にまで広がっていった。
そうして、原因が聖女の呪いだと聞き及んだ近隣諸国が呪いを収めるために国へと攻め入り、王族を全て殺す事態になった。
三ヶ月を待たずに国は滅びた。戦とは関係なく、国民のおおよそ三割が、呪いで死んでいったという。
やがて実りの季節には、焼かれることを逃れた田畑に、大粒の作物がたわわに実った。
それを望んだ者たちは、もう誰もいなかったけれど。
神様「だからだめだって言ったのに」




