お腹すいた
ボロいアパートの一室。鼻ちょうちんがパチンとはじけて私は目をさました。万年床から起き上がってよだれをふく。春眠暁を覚えず。うとうとしていたら昼寝してしまったようだ。グーっとお腹がなる。狭い部屋は荒れ放題だ。洗ってない食器に溜まった洗濯物。ゴミ箱からあふれるゴミ。しかたない買い物に行くしかない。汚部屋を掃除する前に近所のコンビニに出かける。所持金は300円。メロンパンと水を買おう。ボサボサの髪、ヨレヨレのジーパンに古着屋で買ったなぞのウサギが描かれたTシャツに汚れたスニーカー。外に出るというのに身だしなみを整える気力もなかった。私の名前は鈴木リサ。独身28才のアラサーでフリーターをしている。正直いって私の人生は詰んでいた。勉強は大嫌いだったけど、小学生の頃から遊びもせす勉強に明け暮れてなんとか一流大学に入学、卒業後は大企業に就職した。しかし、給料はいいけどブラック企業で残業、パワハラ、セクハラのオンパレードで自殺寸前まで追い詰められて心を壊し退職。体裁を気にする両親からは縁を切られた。一流企業をドロップアウトした私なんて価値のない存在なのだ。近所にも恥ずかしいから帰ってきて欲しくないんだろう。会社を辞めてから8年間フリーターとして職を転々としている。飲食店、コンビニ、工場、警備員、どれも長続きしなかった。私は根気がないのだ。おまけに貧血で体力もない。つい先日、大型書店のアルバイトを辞めた。店長のセクハラが原因だ。本部に相談したがまともに対応してくれず辞めることにした。また新しい仕事を探さなきゃだ。猫背でため息をつきながらとぼとぼ歩いていると行き止まりにぶつかった。ぼうっとしてたら道を間違えたみたい。人生行き止まり現実でも行き止まりにぶつかるなんて悲しすぎる。道を引き返してもときた道に戻る。あれ?知らない道だ。私は頭をかいた。道に迷ったようだ。そんなに長い距離を歩いたつもりはないんだがまったく見覚えない風景だ。どうしようかな。ムダに歩くのは嫌だ。人に道を聞くことにした。目の前を腰の曲がったおばあさんが通りかかる。
「すみません。ここってどこですか?」
おばあさんは立ち止まってくれた。
「どうしたんじゃ?」
「道に迷ってしまったみたいで」
「道に迷う?」
「ええまあ」
ポリポリと頬をかく。おばあさんは肩をすくめた。
「ついてきんしゃい」
「え?」
交番にでも連れて行ってくれるのだろうか。私はおばあさんについていく。少し歩いたら、おばあさんは高級マンションの前でふりかえった。
「ほらこっちおいで」
「は、はぁ」
タワーマンションというやつだ。貧乏人の私には一生縁のない物件である。このおばあさんはお金持ちで私にご飯をごちそうしてくれるのだろうか。私があまりにもビンボーな風体をしているから恵んでくれようとしているのかもしれない。なんだかよくわからないが空腹で頭も働かず大人しくついていくことにした。マンションのエントランスは広くてきれいで受付には女性が2人いた。すごい高級感だ。私は富裕層の暮らしに足を踏み込んだ。空気もきれいに感じる。受付嬢たちは微笑みながらあいさつしてくる。「おかえりなさいませ」と言われたので「こんにちは」と返す。おそらくおばあさんの親戚と思われたのではないか。おばあさんと一緒にエレベーターに乗る。七階で止まった。おばあさんは707号室のチャイムを押した。自分の家なのにチャイムを鳴らすの?家にだれかいるのだろうか。私は人見知りなので緊張した。
「は〜い♩」とかわいい声がしてドアが開く。5才ぐらいの目の覚めるような美少女が出てくる。着ている服もおしゃれで高そうだ。その子は私をみて目を輝かせた。
「ママっ!おかえり〜」
私に抱きついてよじ登ってくる。私は硬直した。
「えっ?えっ?ええっ?」
おばあさんは子供に微笑みかける。
「ママが迷子だったから連れてきてあげたぞい」
「おばあちゃん、ありがとう!」
「どういたしましてじゃ」
「いっしょにあそぼ!」
「また今度な。これからじいさんのご飯を作らにゃならん」
「また今度ね!」
子どもは手を振る。おばあさんは隣の部屋のドアに吸い込まれていった。
ご近所さんのようだ。
「ママ。はやくおうちに入って」
「は、はい」
子供にせかされて私は知らない家に上がり込んだ。玄関は整頓されていて花が飾ってある。お金持ちの家って感じだ。子供を抱えたままそろりそろりと歩きリビングに侵入する。新品のソファーに大きなテレビにセンスのある絵画、床はピカピカでムダなものが一切ないモデルルームのような部屋だ。ソファーには見慣れぬ青年がいた。
「おかえり。ママ」
超絶さわやかイケメンに声をかけられた私は顔に熱を感じた。
「おじゃましてます!」
「ぷ。なんだよそれ」
清潔感のある青年はケラケラと笑う。短く切りそろえられた髪に少年のようなあどけなさを残す顔立ち。足が長く脂肪のないほそマッチョな体型。やばい。どストライクだ。
「仕事の打ち合わせはやく終わったんだね」
「仕事の打ち合わせ?」
「講演会の」
「講演会?」
私には何が何だかさっぱりわからなかった。子供が私からするりと降りて青年のひざに座る。
「ママ、迷子だったんだって。おばあちゃんが連れて来てくれた」
「迷子?」
「そうなんです!ちょっと道に迷って気がついたらここにいたんです!」
不法侵入ではないと主張した。おそらく私がこの人たちのママに似ていて、勘違いで連れて来られたのだ。青年は首をかしげる。
「なんで敬語なの?」
「初対面だからです!」
「そんな服もってたっけ?」
「うさぎが好きで買いました!」
「うさぎさんの服かわいい。きょうのママもなんだかかわいい〜」
「ママはいつもかわいいだろ?」
「いつもはきれいが勝ってる」
「そうかもな」
青年は私に笑いかける。
「こっちきなよ。となり座って」
「はい!」
私が座ると青年は肩に手を回して来た。距離が近い。触れられている。体温の上昇を感じた。これは新婚ほやほやの夫婦の距離感だ。
「顔真っ赤だけど風邪ひいてる?」
「引いてません!健康です!」
青年は私の顔をじっとのぞき込む。タイプすぎて目が合わせられない。
「今日のきみはママなんだけどママじゃないみたいな不思議な感じがするよ」
「私とそっくりな奥さんがいらっしゃるんじゃないでしょうか?それか私が記憶喪失であなたたちのことを忘れているか。なーんて」
「ママきおくそーしつなの?」
「もしかしたらそうかもしれません」
「パパとキスしたら思い出すんじゃない?」
「!?」
「おーナイスアイディア」
「いやいやいや、王子様のキスで魔法が解けるみたいなノリは通用しませんって!」
「やってみなきゃわかんないよ。脳に刺激を与えれば思い出すかもしんないし」
青年がくちびるをよせてくる。ぎゃー。うれしいけど心の準備が・・・目を閉じる。
「やっぱやめとく。浮気してるような気分だからさ」
青年はクスッと笑い唇を引っ込めた。
「そうですよ。奥様に悪いです」
右手を握りしめて胸に当てる。心臓がバクバクいってる。
「アルバムや日記を見ると記憶が戻るんじゃない?」
「そうだよ。きっと!」
「そうだといいのですが・・・」
この人たちは私をママだと思い込んでるけど、私は別人だと思う。
子供が立ち上がる。
「ママの部屋にレッツゴー!」
私は子供に手を引っ張られて自分の部屋に案内された。




