リスタ②
アストリア城の中庭。
昼の陽が傾きかけ、柔らかな金色の光が花々を照らしていた。
風が吹くたび、白い花びらがふわりと宙に舞い、石畳の上に散っていく。
遠くでは噴水の水音が、穏やかな午後の静けさを際立たせていた。
俺はサラと並んで、ひんやりとした石のベンチに腰を下ろしていた。
図書館での一件以来、サラとはよく話すようになった。
この城で歳の近い者といえば、彼女とニーナくらい。
自然と距離が近づいたのは、ある意味で当然のことだった。
けれど最近は、話す内容がいつのまにか――楽しい世間話ではなく、この国の未来や政治のことばかりになっていた。
「……なぜアルミナ様は、リスタに私たちのことを“守れ”とおっしゃったのかしら」
サラがぽつりと呟く。
横顔は光を受けて淡く輝き、その瞳の奥にかすかな憂いが宿っていた。
俺も頷く。
「きっと、何かをご存じなんだと思う。サラも言ってただろ――どうしてアストリアのように女性ばかりの国が、今まで滅びずにいられたのかって」
そのとき、風がふっと揺れた。
白い花びらが舞い上がり、その向こうから、明るい声が響いた。
「――ねえ、何の話してるの?」
顔を上げると、ニーナが中庭の小道をこちらへ歩いてきていた。
淡いピンクのドレスの裾が陽を受けてきらめき、胸元のリボンが風に合わせて軽やかに揺れている。
彼女の笑顔が近づくと、沈んでいた空気がぱっと明るくなるようだった。
俺とサラは、視線を交わして――ほんの一瞬だけ、ためらった。
そしてまるで何事もなかったかのように、同時に口を閉ざす。
「ニーナ、今日のお洋服、とっても似合っているわ」
サラが笑顔をつくりながら言う。
「えへへ、この胸元のリボンがお気に入りなの。ありがとう!」
ニーナは頬を染めてくるりと回った。
その無邪気な姿に、庭の花々さえ微笑んでいるようだった。
「ところで二人とも、なんだか深刻そうだったけど……何を話していたの?」
「大した話じゃないわ。晩御飯は何かなって話をしていただけよ」
サラは穏やかな声で答える。
「……そうなのね」
ニーナは少し首をかしげたあと、くんくんと鼻を動かした。
「きっと、クリームシチューよ!」
自信満々にそう言って笑う。
その無邪気な笑顔を見て、俺は小さく息を吐いた。
――やっぱり、この子には話せない。
サラも言っていた。
「ニーナにこの話をしたら、不安にさせてしまう」と。
確かにその通りだ。
ニーナは優しすぎる。
もし彼女が少しでも不安を抱えたら、アルミナ様にはすぐに気づかれてしまうだろう。
今後この謎について話すのは、夜、図書館で――二人きりになれるときだけにしよう。
少し悪い気もしたが、それでもサラと静かに話せる時間ができるのは、正直うれしかった。
夜の図書館は、昼とはまるで違う顔をしている。
高い天井には淡い光を放つ魔石がいくつも浮かび、静かな呼吸のようにゆらめいていた。
棚の間には微かな埃と紙の匂いが漂い、窓の外では月光が庭の噴水を照らしている。
流れる水面は銀の糸のようにきらめいていた。
――ここだけ、時間が止まっているみたいだ。
人の気配はひとつもない。
木の香り、古い本の温もり、遠くで時計が刻む音だけが空間を満たしていた。
内緒話をするには、これ以上ないほど完璧な場所だった。
「サラ」
小さく声をかけながら、俺は重たい本を机の上に置いた。
表紙には、金の紋章――“オーダン家”の印が刻まれている。
この家のことが、ずっと気になっていた。
アストリアーナでは、男が生まれる確率は極端に低い。
けれど、オーダン家だけは違う。
代々、男女がほぼ同じ確率で生まれてくる。
この国では「平等に男女が生まれる」というだけで、異質だった。
奇跡か――あるいは、呪いか。
「アルミナ様が“弱い子たちを守れ”と言った理由は……もしかしたら、この家が関係しているのかもしれない」
窓の外で、風がひとすじ鳴った。
まるで誰かが俺たちの会話を聞いているかのように。
夜が更け、城の灯が半分ほど落ちたころ。
俺は重い扉を押し開け、奥まった部屋へと足を踏み入れた。
そこは、オーダン家の古い屋敷の一角――
仕え人たちが暮らす区画のいちばん奥。
古びたランプの灯がかすかに揺れ、埃をかぶった家具が橙色に照らされていた。
「エルゾナ、入ってもいいか?」
声をかけると、奥の机で裁縫をしていた老女がゆっくりと顔を上げた。
白髪をきっちりと結い、背筋を伸ばしたその姿。
この屋敷に仕えて六十年という彼女は、もはや家の一部のような存在だった。
「まぁ、坊ちゃん……こんな時間にどうなさいました?」
「聞きたいことがあるんだ」
俺は机の前に立ち、まっすぐに彼女の目を見た。
「エルゾナ。なぜ、このオーダン家だけ普通に男が生まれてくるんだ? 知っているか?」
老女の手がぴたりと止まった。
針先にかかっていた布が、音もなく床に落ちる。
しばらく沈黙が続いたあと、彼女はゆっくりと目を見開き――やがて、懐かしむように微笑んだ。
「……坊ちゃんも、大きくおなりになったんですね」
その声には、かすかな寂しさが混じっていた。
「坊ちゃんのお父さまも……そしてそのまたおじいさまも。
ちょうど坊ちゃんくらいのお歳になると、このエルゾナに同じようにお尋ねになったものですよ」
「……同じように?」
俺は息をのむ。
エルゾナは頷き、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「ええ。みなさま、“なぜ男が生まれるのか”と、同じ言葉で尋ねられました。
けれど――」
ランプの炎がわずかに揺れ、
古びた書棚の影が壁を這うように動いた。
夜更けの静寂の中で、エルゾナの声だけが、やけに鮮明に響く。
皺だらけの手が膝の上で組まれ、長い沈黙のあと――彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「ばあやには答えることができません。
知りたければ――アストリア国から出て、世界を見てくることです」
その言葉は、まるで禁忌を告げる呪文のようだった。
火の揺らめきが彼女の横顔を照らし、
深い皺の影に、一瞬、恐れにも似たものが浮かんだ気がした。
外では、遠くの塔から鐘が一度だけ鳴り、静寂を切り裂くように響いた。
俺は思わず息を呑む。
――アストリア国の外に、答えがあるのか。
その言葉が胸の奥に残響のようにこだまし、
夜の冷たい空気が、急に重くのしかかってきた。




