サラ③
ずっと、心のどこかで引っかかっていた。
わたしとニーナがアルミナ様に拾われてから、もう何年になるだろう。
朝は同じ食卓を囲み、先生方に剣や歴史の教えを受け、夜は広い部屋で灯りをともして本を読む。
貧しい街で飢えに震えていたあの頃が、まるで夢の中の出来事のようだ。
けれど、時々思うのだ。
どうして、私たちだけ特別なのだろう。
この国には孤児が山ほどいる。
路地裏で息を潜めて生きる子たちを、わたしは何人も見た。
それなのに――なぜアルミナ様は、私とニーナの2人を選んで近くに置いてくださるのだろう。
勇気を出して、一度だけ尋ねたことがある。
「なぜ、私たちを助けてくださったのですか?」
アルミナ様は少しだけ目を伏せ、次の瞬間、わたしをそっと抱きしめた。
「……ごめんね...。」
静かな声が、耳元で震えるように響いた。
抱きしめる腕があまりにも強くて、息が詰まりそうだった。
アルミナ様がこんなに長い時間抱きしめてくれたことは、後にも先にもこの時だけだ。
その言葉は何かを隠すための言葉なのか。
わたしには分からなかった。
あの時のアルミナ様の表情を思い出すたびに、胸の奥に不安が残る。
アルミナ様は何かを隠している。
リスタも、わたしと同じように感じていたらしい。
図書館で真珠のネックレスを拾ってくれた夜から、彼とは少しずつ話すようになった。
年が近いせいか、話していると気が楽だった。
ニーナには心配をかけそうで言えないことでも、リスタには不思議と打ち明けられた。
その日も、静かな図書館の片隅で本を閉じたあと、
リスタがぽつりと口を開いた。
「俺も、アルミナ様は何かを隠してると思う。」
「……え?」
リスタは少し迷ったように視線を落としたあと、
ゆっくりと続けた。
「昔、まだニーナさんもサラもお城に来る前のことだ。アルミナ様に言われたんだ。――“弱い子たちを守って”って。」
胸の奥が一瞬、冷たくなった。
「それって……私たちが来る前に、もうアルミナ様は私たちのことを知っていたってこと?」
「そうだと思う。」
リスタは首をかしげながらも、確信めいた声で言った。
「弱い子達とおっしゃっていただけだから、それが“ニーナさんとサラ”とまでわかっていたのか、そこまではわからない。」
彼の言葉が、夜の静けさに沈んでいった。
ページの間からこぼれた風が、ロウソクの火を小さく揺らす。
何か大きな運命に、最初から導かれていた...?
そう考えると、不安で胸が押しつぶされそうだった。
大好きで、大切で、まるで母のような存在――アルミナ様。
けれど、そのアルミナ様が何を考えているのか、私は何ひとつわからない。
気づけば、涙が頬を伝っていた。
人前で泣くなんて、いつぶりだろう。
涙は止まらず、ぽろぽろと膝の上に落ちていく。
パラドゥーラのことも本当はすごくすごく怖かった。
あんなに文明の進んだ国に、アストリアが勝てるはずがない。
剣も、知識も、何もかもが足りない。
この国は――きっと、負けてしまう。
リスタがそっと近づいてきて、私を抱きしめた。
その腕の中は、驚くほど温かかった。
子どものように泣きじゃくる私を、強く、優しく、包み込んでくれる。
――あの時のアルミナ様よりも、ずっと強く。
ずっと優しく。
わたしはリスタのことも守りたい。
戦争なんかで、失いたくない。
でも、私には何もできない。
どんなに知識を詰め込んでも、現実は変わらない。大切な人たちが、また私の目の前で――あの時のように、父と母のように、私の手の届かない場所で消えていくんじゃないか。
冷たい夜の空気の中、リスタの胸に顔を埋めながら、私はただ泣き続けた。
泣いても、泣いても、心の底の不安は少しも消えなかった。
リスタの胸に顔を埋めたまま、私は小さな声で言った。
「リスタ……約束して。わたしの前から、いなくならないで。」
声が震えていた。
怖かった。
戦争も、未来も、そして――また誰かを失うことも。
リスタは少し黙ったあと、そっと私の肩に手を添えた。
その手が、優しくて、温かくて、涙がまたこぼれそうになる。
「約束する。」
低く、真っすぐな声。
「俺は、ずっとサラと一緒だ。」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。
不安がなくなるわけではない。
ただリスタがしてくれた“約束”を、信じたかった。
次の瞬間――
リスタは私の頬に手を添え、そっと唇を重ねた。
触れるか触れないかの、淡いキス。
ランプの灯りが照らす静かな図書館の中で、世界が一瞬だけ止まったように感じた。
リスタの指先が、そっと私の髪に触れる。
息がかかる距離で、互いの鼓動の速さが伝わってくる。
誰もいない夜の図書館。
ただ、静寂と心音だけが、二人の間を満たしていた。




