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ニーナ③

 南の隣国――パラドゥーラ。

朝の冷たい空気の中、その名を告げる伝令の声が城内を駆け抜けた。


「国境付近で、パラドゥーラ軍の不審な動きが確認されました!」


 いつもなら聞き流される報告だった。

両国の間では、日常のように小競り合いが続き、

剣を抜かずに終わる日も多い。


 だが、その日の報告は――違っていた。


 パラドゥーラは機械文明が発展している。

“鋼鉄の街”。

それがパラドゥーラの異名だ。

無数の煙突から白い煙が立ちのぼり、昼でも空が曇って見えるという。


 そんな鉄の王国を治めるドルシーラ王は野心家で、どんな手を使ってでもアストリアの金塊を手に入れようとしている――

そんな噂を耳にしたことがあった。


 だから、いつかこの均衡が壊れるのではないかと誰もが心のどこかで思っていたのだが...ついに今朝、国境で“鉄で作られた筒状の装置”という謎の機械が出てきたらしい。

それは火を噴き、轟音とともに鉄の弾を放った。

弾は地に落ちるや否や、閃光と爆音を生み、あたりの木々を焼き尽くしたという。


 ――爆発する弾。それはこの均衡を壊してしまうのではないか。


 報告する兵士たちの顔は蒼白で、声は震えていた。

アストリアには、そんな兵器は存在しない。

平和を望むこの国には、剣よりも花が似合う。

盾も、剣も、意味をなさない。


 あるのは――女たちのか弱い力だけ。


 アルミナ様は、この報告をどうお考えなのだろう。

国境での爆発の報せ――パラドゥーラの機械兵器。

アストリアにとって、それはもはや“噂”では済まされない出来事だった。


 それでも、朝の食卓には穏やかな空気が流れていた。

今日の朝食は、ハーブを混ぜ込んだ白いパンと、温かなスープ、そして林檎のコンポート。

湯気が立ちのぼり、陽の光が銀の食器に反射してきらめいている。


 まるで、戦など存在しないかのように。


 アルミナ様は、いつもと変わらぬ仕草で紅茶を口に運んだ。

淡く香る茶葉の湯気が、金の髪をやわらかく包む。

その横顔には、一片の迷いもない。

穏やかで、美しく、そして――何を考えているのか、やはりわからない。


 アルミナ様という人は、昔からそうだ。

どんなときでも、心の奥を見せない。


 ふと、遠い記憶がよみがえる。

まだ幼かったあの日、アルミナ様に拾われた日のことだ。


 街の外れで、飢えと寒さに震えていた。

差し伸べられた手は、驚くほど温かかった。

アルミナ様の手だと気づくのに、少し時間がかかった。

まるで母のような安心をくれた。


 ――だが、その直後の出来事は、幼い心に深く刻まれている。


 馬車に乗ろうとした時、ボロをまとった老人が近づいてきた。

 

「高貴なお方よ……お恵みを……!」

 

 震える声。

骨ばった手が、私の服の裾を掴んだ。

驚いて声も出せなかった。

その瞬間、アルミナ様が静かに手をくいっと合図する。

すると護衛が無言で剣を抜き、老人の喉を貫いた。


 音もなく崩れ落ちる老人。

赤い血が、朝日に照らされて光った。


 私はその場で凍りついた。

けれどアルミナ様は、まるで風が吹いた程度のことのように微笑んだ。

そして私の手をとり、もう一度言ったのだ。


「怖がらなくていいの。ニーナ。私があなたを守るから。」


 その時の微笑みは、確かに女神のようだった。

だが今になって思う。

あの時も、今のこの朝も――アルミナ様の表情は何も変わっていないのだ。

アルミナ様は何をお考えなのか?


 朝食を終えると、サラと私は剣の授業へ向かう準備を始めた。

今日の授業は中庭で行われる。秋の風が少し冷たくなり始め、金属の柄を握る手にひんやりとした感触が伝わる。


 着替えながら、話題は自然と今朝の報告――パラドゥーラとの国境付近の異変へと移っていった。

 

「……あの国のこと、本で読んだわ。」


サラが静かに言う。

 

「パラドゥーラは、機械の国よ。私たちよりずっと文明が進んでる。」


 その声には淡々とした響きがあったが、ほんの少しだけ、不安の色も混じっていた。


「じゃあ……今回の“爆発の弾”ってやつも……」

「きっと、ずっと前から準備していたんだと思う。あの国が本気になれば、もう止められないかもしれない。」


 私は言葉を失った。

アストリアは剣で戦う術しか知らない。

女ばかりで、文明も遅れていて....。

もし機械が戦いを支配する時代になったら……。


「サラ。……怖くなってきたよ。」

 

胸の奥の不安が、ふっと声になった。

 

「どうしよう。このままお城にまでパラドゥーラの兵士がやってきたら……私...私の剣でアルミナ様を守れるのかな。」


 サラはその言葉に、少しだけ目を伏せた。

そして、首元のネックレスをそっと握りしめる。

あの、真珠のネックレス。

一粒の小さな光が、胸元で静かに揺れていた。


「……」


 サラは微笑んだ。けれど、何も言わなかった。

“大丈夫”とは言わない。

サラは嘘をつかない人だから。

つまり、大丈夫ではないのだ。


 それでも、笑って見せてくれた。

不安を隠すように。

誰かを安心させるように。

首もとで揺れる真珠のネックレスが、陽を受けて淡くきらめく。

その光を見て、私はふと気づいた。

 

「……そのネックレス。池に落としたはずじゃ……?」


サラは目を丸くして、それから少し照れたように微笑んだ。

 

「リスタさんがね、池から拾ってくれたの」

「えっ……」

「このあいだ、図書館で夜遅くまで勉強してたら、

わざわざ渡しに来てくれて……。“見つけたから”って。」


 そのときのことを思い出したのか、サラの頬がほんのり赤くなった。

白磁のような肌に、さっと灯った色が可愛らしい。

出会った頃は、まるで光のない世界に閉じ込められたような顔をしていたのに――

今はこんなにも柔らかな表情をするようになった。


あぁ、やっぱり、この幸せを守らなければ。

たとえ、どんな代償を払ってでも。



――神様。

どうか、私に力をください。


私は、どうなってもいい。

罰を受けても、光を失っても構わない。


だから...

全てを守れる力を、

私にください。

 

 

 


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