ニーナ⑥
目の前に――それはそれは美しく、眩しいほど白い龍がいた。
月光を受けて輝くその姿は、まるでこの世のものではないようだった。
サラ。わたしの、たった一人の大切な友達。
私はこれから死ぬ。
アルミナ様からこの国の成り立ちを聞いたとき、すぐに悟った。
緑色の目の少女――それは、私のことだと。
命と引き換えに、平和な国をつくる。
そのために生まれたのだと、すぐに理解した。
私はずっと願っていた。力が欲しいと。
力がないから、母は死んだ。
何もできなかった。
大好きなアルミナ様も、サラも、この戦争の中でいつか失ってしまうかもしれない。
お城で見た、傷だらけの兵士たち――その姿に、アルミナ様とサラを重ねてしまった。
だから思ったのだ。
私に力があれば。この手で、守れるのなら。
そう願っていた“チカラ”を、私はついに手に入れた。
まさかそれが自分の命と引き換えになるなんて、思いもしなかった。
けれど――それでもいいと思えた。
月は孤独だ。
明るく輝くせいで、周りの星たちを消してしまう。
夜空でひとり、遠くに浮かぶ。
手の届かない存在。月がなければ、きっと無数の星たちはもっと輝けるのに。
「行こう、サラ。」
月はまるで今の私みたい。
輝きすぎる月は、邪魔なだけ。
だからこそ、星たちを照らすために消えよう。
この力で、平和な世界を。争いのないアストリアを。
サラの方を見た。
龍となったサラは、静かにうなずいた。
そして――その大きな白い翼で、わたしをやさしく抱きかかえ、夜空へと舞い上がった。
月の光を背にして。まるで、最後の祈りを天に届けるように。
パラドゥーラ国の上空に到着した。
夜の闇を裂くように、白い龍の影が街を覆う。
突如現れた巨大な龍に、人々は悲鳴を上げ、逃げ惑った。
城壁の上では兵士たちが慌てて黒い球を放つ装置を構え、次々と空へ向けて発射した。
爆音と煙が夜空に広がる。
だが、それらはすべて届かない。
そんなものでは、私たちは止められない。
見下ろした地上では、ひとりの女性が赤子を抱きしめて立っていた。細い肩で必死に小さな命を守ろうとしている。
怯えた目が、私たち二人の異形の存在を捉え、恐怖に揺れている。
おぎゃあああ。
赤子は声を震わせ、泣き叫び、助けを求めるように小さな手を空に伸ばした。
近くには、両手に小さな子供を抱えた老人が、足早に逃げようと立ち止まる。
その顔は歪み、私たちを見て「バケモノ」を見るかのような表情をしていた。
恐怖と困惑が混ざり合い、まるで時間が止まったかのように空気が重く揺れている。
あぁ……私は今から、この親子すらも、戦うことはできないであろう老人も、何の罪もない人々をも、焼き尽くしてしまうのだ。赤子の声がパラドゥーラの街に響き渡る。
なぜ、こんなことになったのだろう。
なぜ人は争うのだろう。
お互いに奪い合わず、それぞれの幸せを大切にして生きられたら――どんなに良かっただろう。
けれど、もう遅い。どちらかが負ける。
なら私は私の大切なものを守るために戦わなければいけない。この国は、燃え尽きるしかない。
「サラ、早く――私を落として。迷いが出る前に。早く!」
私は決心がつかないサラを焚き付けた。
サラは低く唸った。
その声は大地を震わせるほど大きく、それでいて、どこまでも悲しい響きを持っていた。
パラドゥーラの街に、その泣き声のような咆哮がこだまする。
龍となったサラは、夜空へ向かって一気に舞い上がった。
月光を浴びた白い翼が大きく広がり、天を払うようにひるがえる。
その瞬間、空気を裂くように、眩い光が奔った。
私をつかんでいた巨大な龍の爪が、音もなく形を変えていく。
硬く鋭かった鱗がほどけるように光へと砕け、そこから現れたのは、頼りないほど白い、人間の手。
サラは人の姿に戻っていた。
風の中で髪を乱しながら、彼女は私を抱きしめるように寄せ、頬を伝う涙を落とした。
「私も一緒に行く。ニーナだけを死なせるなんて、できない……!」
その声は震えていた。
いつも冷静だったサラが、まるで子供のように泣いている。
私たちは手を繋いだまま、ゆっくりと落下していく。重力が、運命のように二人を地上へと引き寄せていた。
「サラ……だめよ。アストリアを平和な国にして。わたしの命を無駄にしないで……お願い、お願いだから。」
わたしは、泣きじゃくるサラの頬に手を添え、幼い子をあやすように優しく囁いた。
でも、サラの目には何も映っていなかった。ただ涙だけが溢れ続ける。
「サラ、大好きよ。サラを守れるのなら私は死んでも構わないの。私と出会ってくれてありがとう。私と...友達になってくれて...ありがとう」
風が一瞬止まったように感じた。わたしは繋いでいた手を、そっと解く。
「サラ女王――アストリアを平和な国に! 任せたわよ!」
叫ぶように託したその言葉を最後に、わたしは微笑んだまま、光の中へと落ちていった。
サラは、再び龍へと姿を変える。白銀の鱗が月光を弾き、夜空に舞った。その咆哮は、悲鳴のようで、祈りのようだった。
そして――世界が、燃えた。
パラドゥーラの街は、次の瞬間、音もなく火の海に包まれた。
夜空が赤く染まり、月さえも泣いているようだった。




