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ニーナ⑤

 サラたちは、まだ帰ってこない。

もう、何日が過ぎただろう。


 あの夜――

右の赤い瞳が、ふっと淡く光った気がした。

気のせいかと思ったが、次の日、目を覚ました時には

その瞳は左と同じ緑色に変わっていた。

鏡を見た瞬間、思わず「ひっ」と声が漏れた。

信じられなかった。

 

 もともと、左右で色の違うこの目は私のコンプレックスだった。

小さい頃、村の子たちにコソコソと陰口を言われたものだ。

でも、サラと出会ってからは違った。

サラも私と同じ、赤と緑の瞳を持っていたから。

それが、嬉しかった。誇らしかった。

綺麗で、賢くて、私がおてんばをしても、いつも優しく見守ってくれるサラ。

お姉ちゃんのようでいて、世界でたったひとりの、大切な友達だ。

 

 ……なのに。どうして突然?そんなこと、ありえるの?

私の瞳は――いったいどうなってしまったの……?

 

 朝食の時間になったが、私は食堂へ向かう足をなかなか動かせなかった。

鏡に映る自分の瞳を見ては、胸の奥がざわついた。

今の私は、もう“サラと同じ目”ではない。

この奇妙な瞳を、アルミナ様に見られたくなかった。

どんな顔をされるだろう。

あの優しい眼差しが、急に冷たくなったら——。

 

 アルミナ様と出会ったあの雨の夜、ぼろぼろだった私にそっと外套をかけて、左右異なる瞳をまるで宝石でも見るように微笑んでくれた。

もしかしたら私たちの異なる瞳を気に入って、それで手を差し伸べてくれたのかもしれない。

だから、この目をどう見られるのか、怖くて仕方がなかった。

 

 朝食を作ってくれた人が、なかなか食堂に現れない私を心配して、部屋まで迎えに来てくれた。

その人は、私の瞳を見て驚いた。そして少し複雑そうな表情を浮かべた。

 

「アルミナ様がお待ちです」

 

 そう言うと、訳のわからないまま手を引かれ、食堂に向かった。

焼きたてのパン、私の大好きなチーズクリーム、そしてコーンスープの香りが漂う。

思わずお腹が鳴りそうになった。

アルミナ様は、すでに席に座り、食事には手をつけずに私を待っていた。

 

「お待たせしました、アルミナ様。少しお腹が痛くて、部屋でゆっくりしていました。」

 

私はそう言って、そっと席に着く。

できるだけ目を合わせないようにしていたが、私が珍しく静かにしていたからか、アルミナ様は

 

 「ニーナ、まだお腹は痛むの?」

 と声をかけてきた。


私は顔を上げる。

アルミナ様の瞳と、自分の瞳が合わさった瞬間、思わず視線を逸らした。

 

 長い沈黙が、食堂に漂う。

アルミナ様は何も言わない。

嫌われてしまったのかもしれない。

左右で異なる瞳を、やっぱり気に入っていたのかもしれない。そんな不安が胸を締め付ける。

 

 だが、アルミナ様は穏やかに微笑んで、静かに口を開いた。

 

「後で、話したいことがあるの。……教会に来てくれるかしら?」

 

 その言葉のあと、何事もなかったかのようにスープを口に運ばれる。

まるで、普段と何も変わらないみたいに。

アルミナ様が、何を考えているのかわからない。

どうして、私の瞳の色が変わったことに、何も言わないのだろう。

「話したいこと」とは、いったい何なのか。

考えるほどに胸の奥がざわついて、落ち着かなくなる。

スープをひと口すくってみても、味がしなかった。

いつもなら大好きなコーンの甘みさえ、どこかへ消えてしまったようだ。

喉を通るその一匙が、ひどく重く感じられた。

 

 約束通り、教会に来た。

扉を押すと、外の光が細い筋になって差し込んでいた。

空気は冷たく、少し湿っている。

古い木の香りと、花瓶に挿された白い百合の匂いが混じっていた。

足音が響くたびに、天井の高い空間が小さく震える。

祭壇の上ではロウソクの火がゆらゆらと揺れ、その影がステンドグラスの赤や青を壁に映している。

 

 静かだった。祈りの声も、風の音もない。

ただ、自分の鼓動の音だけが聞こえた。

 

 この教会は、サラと初めて出会った場所だ。

あの頃、私たちはまだ十歳だった。

アルミナ様に突然引き取られ、広いお城での生活に心が追いついていなかった。

みな優しくしてくれたけれど、知らないことばかりで、心はずっと不安でいっぱいだった。

 

 そんなある日、アルミナ様が言った。

 

「ニーナに紹介したい人がいるの」

 

そう言って、わたしの手を引き、この教会へ連れてきた。

白い髪に、白い肌。

幼さの中にどこか色っぽさを感じさせる少女が、祭壇のそばに立っていた。

 

 それがサラだった。

あの時はサラと一緒にいた。

でも、今はひとりで、この教会にいる。

サラの姿はどこにもない。

あの頃お揃いだった瞳も、今はもう違う色をしている。

 

 「お待たせ」と、アルミナ様が静かに教会へ入ってきた。

いつもと変わらない穏やかな表情。

わたしの隣に腰を下ろし、そっと両手を組んで祈り始めた。

 

 ステンドグラスの光がアルミナ様の横顔を照らし、その姿はまるで女神のようだった。

何を祈っているのだろう。

ただ、その祈る姿があまりにも美しくて、わたしは息をするのも忘れて見つめていた。

 

 やがてアルミナ様はゆっくりと目を開け、わたしの方を見た。

そしてアルミナ様は、ゆっくりと口を開いて話し始めた。

 

 この国――アストリアの成り立ちを。

 

 アストリア国は、もとはごく普通の国だった。

男も女もいて、争いごともあったが、それが当たり前の世界。何も特別なことはなかった。

けれど、あるとき二人の少女が生まれた。

緑色と赤色、左右異なる瞳を持つ少女たち。

二人は姉妹のように仲が良く、どこへ行くにも一緒だった。

 

  だが、戦争が起こった。

それぞれの父は戦場へ向かい、もう帰ってこなかった。

母たちはわずかな食べ物を子どもに分け与えながら、やせ細っていった。

息をしているのが不思議なほどに、頬はこけ、手は骨のように細くなっていた。この村も、いずれ戦地になる――。

それを悟った人々は、静かに荷をまとめ、ばらばらに散っていった。

この土地には、もはや希望も、未来も残されていなかった。

そして、二人の少女も別々の場所で暮らすことになった。別れの前の夜、二人は小さな教会で祈りを捧げた。

 

 一人は――力が欲しいと。

 もう一人は――平和な世界を望むと。

 

 そう祈った瞬間、平和を願った少女の瞳は静かな赤に、力を求めた少女の瞳は深い緑に染まった。

瞳の色以外、何も変わらない。

けれど、二人は理解していた。

これから何をすべきか、どんな結末が待っているのか。

神の声を聞いたわけでもないのに、不思議とその未来が、心の奥に浮かんでいた。

 

 赤い瞳の少女は、やがて空を翔ける龍となり、緑の瞳の少女は、その身をひとつの大いなる力へと変えた。

 

 龍は緑の少女を抱きかかえ、雲を裂いて天を翔ぶ。

その咆哮は、敵国の空に響き渡った。

そして、龍は緑の少女を地へと放つ。緑の少女が大地に触れた瞬間――敵国は、炎に包まれた。

街は崩れ、人々の叫びが空を焦がす。

山も森も、すべてが光に飲み込まれていった。

緑の少女の命と引き換えに、敵国はすべて灰となった。

恐ろしい光景だった。

 

 だが長い静寂のあとに、ひとつの芽が生まれた。

焦げた大地の割れ目から、緑があふれ出す。

やがて鳥が戻り、風が吹き抜け、荒れ果てた土地は、あっという間に息を吹き返していった。

 

 赤い龍は、平和を見届けるように空を巡り、やがてこの地の女王となった。人々はその存在を敬い、この国を――アストリアと呼ぶようになった。


 話の内容に、私は息をのんだ。

自分たちのこと――緑と赤の瞳を持つ少女のことが重なって、胸がざわつく。

まるで自分もあの場にいたかのように、体が震えた。

こんなことが、現実にあったなんて。

信じたいのに、信じられない。けれど、どこかで――前から知っていたような、既視感のような感覚が胸の奥に広がる。

 

 二人の少女が、何をすべきかを自然に理解していたように、

私も自分が“緑の少女”であることを、はっきりと理解した。

教会にいる私に、神のお告げがあったわけではない。

アルミナ様から何かを指示されたわけでもない。

ただ、体の奥で、心の奥で、自然とわかったのだ。


――あぁ、私は、緑の少女のように、力を持ってしまったのだ。


その気づきは恐ろしいほど静かで、でも同時に、抗えない運命の重さを胸に感じた。

 

 ドアが静かに開く音がして、思わず振り返った。そこに立っていたのは――サラだった。

 

「サラ……」

 

声が思わず漏れる。

サラの瞳は、赤く光っていた。

話にでてきた龍と同じ色――目の奥で、何かがざわつくのを感じた。

 

 アルミナ様は何も言わなかった。

ただそっと私の頭に手を置き、優しく撫でた。

その温もりが、言葉よりも深く胸に残る。

 

 そして、静かに立ち上がるとサラのもとへ歩み寄り、

迷いなくその小さな肩に手を置いた。

 

「――任せたわよ」

 

そう言い残し、背を向けて教会を出ていった。

扉が閉まる音が響く。

 外では戦が今でも続いているはずなのに、教会の中は、まるで世界から切り離されたように静かだった。

光がステンドグラスを透かし、床に淡い色を落とす。その美しさが、なぜか胸を締めつけた。

 

 私とサラは、ただ二人きりで立ち尽くした。

目が合う。

言葉はいらなかった。

お互いの瞳が揺れ、次の瞬間、どちらからともなく近づいて――お互いの瞳から涙がこぼれた。

 

 

 

 

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