サラ⑥
リスタは目を覚ますと、私の顔を見て――
ぽろぽろと涙をこぼした。
「大丈夫? リスタ!」
慌てて声をかける。
けれどリスタは、ぼんやりとした目で私を見つめたまま、
まるでまだ夢の中にいるようだった。
次の瞬間、彼は何も言わずに私を強く抱きしめた。
その腕が震えている。
小さくすすり泣く声が、胸元に伝わった。
どれくらいそうしていただろう。
やがてリスタはかすれた声で言った。
「……早く、アストリアに帰ろう」
「動いて大丈夫なの?」
「……あぁ、大丈夫だ。それよりも早くアストリアに帰って、確認したいことがある」
「どうしたの、急に?」
「説明は帰りながらにしよう。とにかく今は急ごう」
リスタはそう言うと、迷いなく馬に跨がった。
手綱を握る指先が、かすかに震えているように見えた。
馬は砂煙を上げながらアストリアへと駆け出した。
――道中。
リスタはぽつりぽつりと、倒れたときに見た“夢”の話を始めた。
アストリアという国が、どのようにして生まれたのか。
赤い瞳をした龍が、緑の瞳を持つ少女を空から放り出したこと。
少女が地上に落ちた瞬間、まばゆい光とともに爆発し、世界を炎で焼き尽くしたこと。
だがやがて、焼け野原の中から小さな芽が生まれ、緑が広がり、命が戻っていった――。
「それが……アストリアの始まりなんだ」
リスタは、遠くを見つめるように呟いた。
風を切る音の中に、その声がかすかに消えていった。
私は、リスタの話があまりに現実離れしていて、すぐには信じられなかった。
空から少女が落ちて世界が生まれ変わるなんて、
そんなこと、ありえるはずがない――そう思った。
けれど、アストリアでは“ありえないこと”が、いつも当たり前のように起こっていた。
女しか生まれない国。
どんなに近づいても人を襲わない動物たち。
一年中、豊かに実り、枯れることのない森と花々。
それがこの国の“現実”なのだ。それに、リスタ自身も気づいていたようだった。私も考えたくはなかった。
赤い瞳の龍と、緑の瞳の少女。
その光景が、ふと頭をよぎる。
……まるで、私とニーナの右目と左目のようだ。
胸の奥がざわつく。
思考がそこから先へ進むのを、本能的に拒んでいた。
でも、気づいてしまった。
昨日の夜、私の瞳は突然赤くなった。
もしかして...
もしかしてニーナの瞳は、緑に――変わったんじゃないの?
「ニーナ!」
思わず声が出た。胸の奥がざわめいて止まらない。
リスタは一瞬だけ私を見て、
何かを悟ったように小さくうなずいた。
「……あぁ。」
その瞳に迷いはなかった。
「急ごう」
そう言うと、リスタは馬の腹を蹴った。
私たちは風を切るように、アストリアへと走り出した。
行きは五日もかかった道のりを、帰りは三日で駆け抜けた。
眠る時間さえ惜しかった。
アストリアの城門が見えたとき、胸の奥がざわついた。
だがその中に広がっていた光景は、私の知る城ではなかった。
負傷兵たちが廊下を埋め尽くし、包帯の白と血の赤が入り混じっていた。
うめき声、薬草と血の匂い、焦げたような鉄の臭いが鼻を刺す。
兵士の家族らしき人々が泣き崩れ、名を呼び続けている。
世界がゆっくりと壊れていく音が、ここに詰まっているようだった。
こんな光景、見たことがない。
戦争がここまで酷いことになっているなんて。
私たちが呑気に旅をしている間に、一体どれだけの命が失われたのだろう。
そのとき、怒号が響いた。
「リスタ!」
リスタのお父さんが駆け寄り、勢いよくリスタの頬を叩いた。
「こんな時にどこへ行っていたんだ!」
「……すみません。」
リスタは頭を下げたが、その瞳はどこか遠くを見ていた。
父の怒りよりも、別のことが頭を占めているようだった。
「パラドゥーラ国との戦が激しくなっているんだぞ!」
リスタのお父さんの声は震えていた。
「見ろ、この怪我人の数を。死人だってゴロゴロ出ている。なのに……男のお前が、どこに行っていた!」
怒りと悲しみの入り混じった声が、廊下に響く。
リスタは何も言えなかった。
ただ、拳を握りしめたまま、唇を噛んでいる。
「……パラドゥーラとの国境の最前線で、お前には戦ってもらう。」
冷たく言い放った。
「人手が足りない。オーダン家の名に恥じぬよう、最善を尽くせ。」
その声には、情けの欠片もなかった。
お父さんはリスタの腕を乱暴に掴み、ぐいと引いた。
リスタは抵抗もせず、ただ静かに連れていかれる。
私は、その場に立ち尽くすしかなかった。
戦火の焦げた匂いと、血の生臭さが入り混じる中で、何も言えなかった。
城の奥では、負傷兵たちのうめき声が絶え間なく響いている。
――国境の最前線なんて、怪我ですめばまだいい。
命まで奪われるかもしれない。
リスタの背中が遠ざかるたびに、胸の奥が冷えていく。
どうすることもできず、ただ不安だけが残った。
一人は、こんなにも心細い。
……早く、ニーナに会いたい!
胸の奥がざわざわして、じっとしていられなかった。
「ニーナ! ニーナ!」
息を切らしながら、城中を探し回った。
部屋にもいない。
庭にもいない。
図書館にも、姿はなかった。
不安がどんどん膨らんでいく。
ニーナと初めて出会った場所、お城の教会に向かう。
重たい扉を開けると、
ひんやりとした空気が流れ込んできた。
外の喧騒とは対照的に、そこは静まり返っていた。
高い天井からは淡い光が差し込み、
色ガラスを通った光が床に虹のような模様を描いている。
祈りの香が、ほのかに残っていた。
その奥に――見えた。
祭壇の前で、アルミナ様と並んで座っている少女。
ゆっくりとこちらを振り返る。
ニーナの緑色の瞳が、光を受けて静かに輝いた。
その色を見た瞬間、リスタの胸がざわついた。――左右どちらの目も、あの夢で見た、世界を焼いた少女と同じ瞳の色をしていた。




