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サラ⑤

 アラン国に滞在して三日目になる。

王宮の図書館で見つけた一冊の書物を、私は何度も読み返していた。

そこには、「伝説の赤い瞳を持つ龍がアストリア国を築いた」という記述があった。


 けれど――その先が、ない。

肝心の“赤い瞳をもつ龍”が何者なのか、どうして国をつくることになったのか、どの書にも詳しくは書かれていなかった。


 紙の匂いと、古びた革の装丁。静まり返った図書館の中で、ページをめくる音だけが響く。

 

 赤い瞳をもつ龍――。

それは、いったい何なのだろう。

神なのか、人なのか、それとも――。

 

 今晩は、アラン国に来て最初に食べた料理をもう一度食べよう、という話になった。

この三日間、私とリスタは色んな料理を食べ歩いた。

見たこともないようなものばかり。

でも、二人でいると何でも少し冒険できる。

一人だと頼めないような料理も、リスタとならシェアして笑いながら食べられる。


 リスタは変わった見た目の料理でも迷わず口にする。

だから、いつも一口目はリスタの担当だ。

この前もそうだった。リスタが一口食べて、少し考えたあと、

 

「これは…サラ、ちょっと苦手かもな」

 

と笑いながら言った。

どうしてそんなことが分かるの、と聞くと、

 

「サラは分かりやすいんだ。美味しくないと思うと、瞬きが多くなる。だから苦手な味を覚えやすかった」

 

なんて言うから、思わず顔が熱くなった。

そんな癖、自分でも知らなかったのに。

でも、私のそんな小さな仕草まで見てくれていると思うと、胸の奥がじんわり温かくなった。

 

 この国に来て初めて食べた、あの鉄板の上で焼かれていたお肉や野菜を包んで作られた料理はパオタイと言うらしい。

パオタイを扱っているお店はいくつもあったから、アラン国の定番の料理なんだろう。

その中から、海賊たちがたむろしていそうな、そんな少し荒っぽい雰囲気のお店を選んで入った。

リスタが「荒っぽくて、かっこいい」と言ったからだ。


 中に入ると、煙と笑い声に包まれた熱気が一気に押し寄せてくる。

壁には古びた地図や、海を渡ったであろう船の舵、黒ずんだ旗が飾られていた。

まるで本当に海賊たちが夜ごとに集まる場所のようだった。


 奥のカウンターでは、店主らしき大柄な男が鉄板の前で腕を振るっている。

炎が一瞬だけ立ち上がり、鉄板の上で肉の脂が弾ける音が響いた。

そのたびに空気が熱を帯び、香辛料の匂いがふわっと漂う。


 リスタはその様子を見て「ほら、かっこいいだろ?」と目を輝かせた。

私は少し笑ってうなずいた。

そしてリスタは臆することなく進み、空いた席を見つけて振り返った。

 

「ここに座ろう」

 

その笑顔に引き寄せられるように、私も頷いた。


 パオタイはやっぱり美味しかった。

鉄板で焼かれた香ばしいお肉と野菜を包んだ皮に、赤いソースが絡むと、なんとも言えない深い味わいになる。


 そして、久しぶりにお酒も飲んだ。ウイスキーだ。

隣に座っていた、店の雰囲気にぴったりの兄さんたちに教えてもらったのだ。

 

「パオタイにはウイスキーが合うんだぜ」と笑いながら差し出してくれた。


 アラン国のウイスキーは、アストリアのものよりもずっとスモーキーだ。

普段からお酒を飲むわけではない私たちだが、式典などでは子供でも少し飲まされることがあり、そこでウイスキーの味を知った。


 リスタはあまりお酒が強くないらしく、一口飲むと顔をしかめて、「うーっ」と小さく声を漏らす。

私は、というと――このスモーキーな味を楽しむくらいには、まあまあ強い。

でもリスタのその小さな反応を見ると、つい微笑んでしまう。


 パオタイを二人で食べながら、私は自然と、少し体をリスタの方に寄せていた。

すると、リスタも気づいたのか、肩が触れるか触れないかの距離に体を近づけてくる。

言葉は交わさなくても、二人でいるだけで胸が弾むような、不思議な幸福感が広がった。


 ウイスキーを勧めてくれた兄さんたちに、どこから来たのかい?とまた声をかけられ、アストリア国から来たことを伝える。

兄さんたちは目を大きく見開いて驚いた。


「この国は旅人が多いが、アストリア国とは珍しいなぁ。最近、パラドゥーラ国との戦争も激しくなってきてるし。逃げてきたのかい?」


リスタは少し酔った笑みを浮かべながら、肩をすくめて答える。

 

「いえ、逃げに来たわけじゃないんです。ただ、アストリア国のことでわからないことがあって…その謎を解くために、この国に来ました」

「謎?」

 

兄さんたちの視線が、興味津々だ。


「アストリアは、何故女性しか生まれないのかとか。それなのに、これまでどうして戦争で負けることがなかったのか…。赤い瞳の龍の噂とか……アストリアは謎だらけなんです!俺の家系は男も産まれるし、自分は他の人とは違う生き物なんじゃないかって思ったりもして。それに赤い瞳の龍って絶対にかっこいいじゃないですか。」


 リスタは酔った勢いで、つらつらと話す。

私は横で、少し心配しつつも、リスタがこんな風に酔っているところを見るのは初めてなので、どこか愛らしかった。

 

「確かにアストリアは女ばかりで有名な国だもんな」

「アストリアの土地は女しか産まれないって聞いたことあるしな」


 兄さんたちは次々にそんなことを言いながら、ウイスキーをぐいっとあおった。

ざわめく店内には、異国の音楽が流れている。


「だから男を産むためにアストリアを出るんだろう?」

 

一人がそう言って笑うと、私は思わず聞き返した。


「アストリアを出る?どういうこと?」

「一歩でも国境の外に出たら、アストリアの人間でも男は産めるらしいぞ。

男が欲しけりゃ国境を越えるんだ。そういう女を見たことがある」

「ええ、それは本当?」

「あぁ。正確に言うと、アストリアの空気がダメなんだと。

外の空気を吸って子を産めば、男もちゃんと産まれる――そういう話だ」


 ジョッキの氷が、からん、と鳴った。

リスタと私は思わず顔を見合わせる。

そんな話、聞いたこともなかった。

 

「もしかして俺も……アストリアの外で生まれたのか?」


 私もそんな考えが頭をよぎった。

もしオーダン家がそのことを知っていたとしたら――

男を産むために、お産のたびに国を出ていたのかもしれない。


「空気をとにかく吸えばいいらしいからな。

密封できる袋に外の空気を詰めて持って帰る女もいるらしいぞ」


兄さんが笑いながら言った。

私は思わず息をのむ。


 そんなことが……本当にあり得る?

でも、そもそもアストリアという国自体が不思議だ。

女しか産まれない土地。

理屈では説明できないことばかりの国――

なら、そんな話があってもおかしくないのかもしれない。


 私は考えを巡らせながら、ただ静かにグラスの水面を見つめていた。

 

 宿に戻ったあと、リスタと私は今夜聞いた兄さんたちの話を思い返していた。


 女しか産まれない、不思議な国――アストリア。

女しか産まれない理由は、この国の“空気”にあるという。

外の空気を吸えば、男の子も産める。

そして、そのアストリアを作ったのは――赤い瞳を持つ龍。


「外で子を産めば、アストリアの女でも男は産めるってことだよな。そうすれば、この国の男が少ない問題も解決するんじゃないか?」


リスタがそう言って、ベッドの端に腰を下ろした。

けれど私は首を横に振る。


「そんな単純な話じゃないと思う。

だってきっと、そのことを知っている人はアストリアの中にもいる。なのに、広まっていない。どうしてだろう?男の人がいたほうが安心なのに」


「……確かに。それにこの事をアルミナ様が知らないとは思えないな」


その言葉を最後に、部屋は静寂に包まれた。

開け放した窓から、夜風がふわりと入ってくる。


 リスタは、乱れた私の髪に指を通し、そっと整える。

頭を撫でるたびに、心の中のざわめきまで少しずつ静かになっていくようだった。

 

 不安なことは、まだたくさんある。

国のことも、自分のことも、何ひとつはっきりしていない。

でも――リスタといると、なぜか“なんとかなる”気がする。

どうしてだろう。


 私は自然とリスタの顔を見つめた。

その瞳の奥に、揺らめく灯りのような優しさが映っている。

 

 しかしその灯りはすぐ消えてしまった。


「サラ……緑の目が……赤くなってないか?」

 

リスタが小さくつぶやき、驚いたように私の目を見つめる。


空気がふっと張りつめる。

私は一瞬、息をすることさえ忘れた。

 

 


 

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