リスタ③
やっとアラン国に着いた。
遠くに見える金色の屋根が、夕陽を受けてまぶしく輝いている。長い旅の疲れが一気にほどけ、胸の奥から小さな息がこぼれた。
サラと、どうやって謎に迫るかは何度も話した。
図書館で古い文献を調べるのもいい。
王城に行き、王様に謁見を願い出るのも一つの手だ。
俺たちが知りたいのは――
なぜ、女性ばかりが生まれるアストリア国で、オーダン家だけはその“縛り”から逃れられているのか。
だがエルゾナに言われるがまま国を出てはみたものの、知らない地を前に、どこへ向かうべきかをまだ迷っていた。
するとどこからともなく、スパイスの効いた香りが漂ってきた。
お腹が空いた。旅の疲れもある。
きっとサラも同じことを考えているのだろう。
何も言わなかったが、その視線は自然と、香ばしい匂いのするスパイス料理を売る屋台に引き寄せられていた。
屋台の前まで来ると、香辛料の混ざった湯気が顔を包んだ。
鉄板の上では、薄い生地に何かの肉と野菜が包まれている。
見たことのない料理だった。
「旅の方かい?」
じーっと見ていたからか、エプロンをつけた屋台の店主が笑いながら声をかけてきた。
日に焼けた肌と、やわらかな目。どこか安心する声だった。
「ええ、少し遠いところから来ました」
そう答えると、店主はうなずき、鉄板の上の料理を器用に折りたたんだ。
「お腹すいただろ。こいつを食べるといい。お代はいらないよ」
差し出された包みから、湯気とともに濃厚なスパイスの香りが立ちのぼった。
鼻をくすぐるその匂いに、思わず喉が鳴る。
なんて優しい人なんだろう。
見知らぬ旅人に料理を分けてくれるなんて。
そう思った矢先――
「いえ、お金は払います」
と、サラがすぐに口を開いた。
サラらしい。あまりにはっきりと言い切るものだから、思わず笑ってしまった。
そういう真面目でまっすぐなところが、彼女のいいところだ。
店主はしばらくサラの真剣な顔を見つめていたが、やがて目じりを下げ、にっこりと笑った。
「じゃあ、銀貨一枚いただこうか」
軽い調子の声だった。
そう言われ、銀貨を取り出そうとしたが、ふと手を止めた。
アラン国とアストリア国では、貨幣が違うのではないか?
アストリアの銀貨が通じるのだろうか。
少し迷った末に、持ってきていた銀貨を取り出し、店主に差し出した。
「これで、買えるか?」
店主はその銀貨を手に取ると、しばらく無言で見つめた。
そして、目を見開き――
「アストリア国……!」
と驚いたように声を上げた。
次の瞬間、まるで奇妙なものでも見るような目つきで、俺とサラを交互に見た。
「……あの国に、男もいるんだな」
やはり、アストリア国は“女の国”として知られているようだった。
俺は少し考えたあと、静かに言った。
「アストリアにも、男はいるんですよ。五十人に一人くらいですけど」
店主は目を丸くした。
「へぇ……そうなのかい?」
驚いたような、信じきれないような表情だった。
手に持った銀貨を指で転がしながら、しばらく黙りこむ。
「アストリアの土地じゃ、男は産まれないって聞いたけどなぁ」
店主はそう言って肩をすくめた。
「ま、俺もアストリアの人間に会うのは初めてだ。噂話のひとつかもしれん」
そう言って店主はもう一つ、鉄板の上の料理を器用に丸めると、湯気の立つそれを二つ、俺とサラに手渡した。
受け取った包みからは、香ばしい匂いがふわりと立ちのぼる。
「アストリア国の銀貨は立派だな」
店主は笑いながら言った。
「対価としては十分だ。ありがとうよ」
「よかった!こちらこそありがとう」
どうやら、アストリアの銀貨はこの国でも通じるらしい。
胸の奥の緊張がふっとほどけた。
お腹も限界に近かったから、もし買えなかったらと思うと冷や汗がでる。
サラのことだ、タダで頂くということは絶対にしないだろうから、本当に良かった。
包みを大事に抱えながら、俺たちは店主に手を振り、近くの広場へ向かった。
石の腰掛けが並ぶその場所は、夕暮れの光に包まれている。
移動するあいだにも、スパイスの香りがふわりと漂い、空腹の腹をやさしく刺激した。
包みを開くと、薄い生地の中に焼き色のついた肉と、刻まれた野菜、そして見たことのない赤いソースがたっぷりと染みていた。
指先からほんのり熱が伝わる。
「……美味しそう」
サラが小さく呟く。
恐る恐るかじると、最初に香ばしい生地の甘みが広がり、次にスパイスの刺激と、ほんの少しの酸味が舌をくすぐった。
「……うまい」
思わず声が漏れた。サラも「ん〜〜」と美味しさのあまり悶絶している。
店主もそうだったが、広場にいる子どもたちや大人たちも、皆、太陽に焼かれたような焦げた肌をしている。
サラの白く、雪のような肌はひときわ目立つらしく、広場の人々がちらちらと、こちらを見ていた。
アストリア国とアラン国――
食べ物も、人々の姿も。
こんなにも違うのかと、来たばかりなのに自然に感じてしまう。
俺もサラも、よっぽどお腹が空いていたのだろう。
あっという間に、料理を平らげてしまった。
もちろん、旅の道中も食事はとっていた。
持ってきていた干し肉や、保存の効きそうな乾物。
森で見つけたキノコや木の実も口にしていた。
だが、どれも味は単調で、少し飽きていた。
今、口にしたこの料理は、今まで食べたことのない味。
香ばしく、スパイスの効いた刺激に、野菜の甘みと酸味が重なり、舌も心も喜んでいる。
お腹も満たされ、少し落ち着いてきたころ、サラが言った。
「さっきの店主、アストリアの土地じゃ男は産まれないって言ったわよね」
「……あぁ、それがどうした?」
「『土地で』って、どういう意味なんだろう。
アストリアの土地が、男が生まれない原因なのかな?」
俺はてっきり、店主はただ「アストリアという国」と言いたかったのだと思っていた。
だが確かに、あの人は『土地』と言った。
それには、何か特別な意味があるのかもしれない。
風に揺れる広場の木々を眺めながら、俺たちはしばらく黙り込んだ。
考えても答えは出ない。
その沈黙を破るように、サラが口を開く。
「……王立図書館に行ってみない?」
アストリアでは、どういうわけか歴史の文献がほとんど残っていない。
王族の記録でさえ断片的で、古い出来事ほど霧の中だ。
けれどアラン国なら――何か手がかりが見つかるかもしれない。
あの金色に輝く城のすぐそば、白い大理石に囲まれた荘厳な建物が、王立図書館だという。
行ってみよう。
謎を突き止めに。
アラン国の図書館は、まるで神殿のようだった。
白い大理石で造られた外壁は陽の光を受けて柔らかく輝き、高くそびえる柱が何本も立ち並んでいる。
その姿は、威厳と静寂を同時にたたえていた。
近づくほどに、足音が石に反響し、空気がひんやりと引き締まっていく。
金の縁取りが施された大扉は重厚で、手を伸ばす前から、胸の奥が高鳴るのを感じた。
扉を押し開けると、ふわりと古い紙の香りが漂う。
中は想像していたよりも広く、天井が高い。
頭上には美しいステンドグラスがはめ込まれ、差し込む光が床の白い石に虹色の模様を描いていた。
本棚は壁一面に並び、どこまでも続いているようだ。
分厚い革表紙の本、布で包まれた古文書、中には鎖で固定された禁書のようなものまである。
人の声はほとんどなく、聞こえるのは紙をめくる音と、奥の方で羽ペンを走らせる記録官のかすかな筆音だけ。
静寂の中に知の重みが満ちていた。
まるで、ここだけ時間がゆっくりと流れているようだった。
サラと俺は、静まり返った王立図書館の中で手分けして本を探し始めた。
俺は重厚な革表紙の本棚の前に立ち、一冊一冊の背表紙を指先でなぞりながら、タイトルと年代を確認する。
一方のサラは、より整然と並べられた近代的な書棚に向かい、資料の索引や目録をめくりながら、注意深く候補を絞り込んでいる。
時折、低く「難しいなぁ」とつぶやく声が聞こえるたび、俺はそちらをちらりと見た。
広い館内に響くのは、ページをめくる音と、時折二人が交わすささやきだけ。
一冊の本に手を伸ばすたび、まるで未知の扉を開けるかのような緊張感が走った。
互いの存在を感じながらも、目の前の文字と向き合う。
謎の手がかりは、どの棚の奥に隠れているのだろうか――。
そういえば、アストリア国で見つけた『焔と風の黎明』。
あれは、アラン国にもあるのだろうか。
ふとそんなことを思い、棚の中から探してみることにした。
指先で背表紙をなぞりながら、一冊一冊目を通していく。
そして、少し奥まった棚の隅で――
『焔と風の残響』と書かれた古びた書物を見つけた。
表紙は擦り切れ、色あせているが、確かにあの伝承『焔と風の黎明』の続きらしい。アストリア国にはなかったものだ。
俺は『焔と風の残響』を開いた。
そこには、淡い光を帯びた文字が並んでいる。
『燃え尽きた新たな世界は、すさまじい速さで自然は芽吹き、動物たちはその地に住み始める。
されど、その動物は人間に害をなすことなく、世界を見守るがごとく生きる。』
ページをめくる指先が止まる。
さらに文字は続く。
『その地に生まれる者は、女性のみ。
男性はその土地に宿らず、未来を織りなすのはすべて女の子たちである。』
静かな図書館の空気の中、その一文が、俺の胸に重く、しかし不思議な光を落とした。
未来を織りなすのはすべて女の子たち――。
俺は本を抱え、息を詰めるようにしてサラを呼んだ。
「サラ、これを見てくれ!この伝承に続きがあったんだ。
これ、アストリア国のことを書いていると思わないか?」
サラは本を手に取り、じっと文字を追った。
やがて顔を上げ、驚きの色を浮かべて言った。
「確かに……。アストリアの森で出会った動物たち、私たちを襲ってこなかった。この本の通りね」
――赤い瞳をもつ龍が空を舞う時、
炎と風、そして大地の震えとともに、すべてを呑み込み、
新たな世界を創り出す――
『焔と風の黎明』に書かれていたことを思い出す。
「もしかして……龍が、アストリア国を作ったってことか?」
思わず口に出すと、言葉の重みが図書館の静寂に吸い込まれていく。
サラも顔を上げ、目を見開いた。
「……そうかもしれないわね……」
二人の頭の中に、一瞬で世界の成り立ちの光景が広がった。
炎と風、そして赤い瞳をもつ龍――新たな世界の創造。
その全貌が、今、少しだけ見えた気がした。




