第17話 決別、そして
そして年も押し迫った12月30日に先生と会う約束を取り付けられたという連絡が、珠樹くんからあった。
場所は、とあるホテルに併設されたラウンジ、私は珠樹くんと一緒に先生と対決に向かう。場所と時間は、友梨香にも伝えているが、別行動になるようだ。
約束の場所に来ると、あの日の先生が奥まった人気の少ない席に座っている。
遠目からその姿を見て、逡巡するように立ち止まった珠樹くんの手を私はそっと握ると、ゆっくり引っ張るように歩いて行く。
その手の温もりに、やるべきことを思い出したかのように、表情をきりりと引き締め、意思のこもった対決のための顔に切り替えて、一緒に歩いて行く。
近づく人の気配に視線をあげた男は、珠樹くんと手を繋いでいる私を見て、怒りの表情を見せる。
「誰だその男は?」
大きな声を出して目を引くわけにもいかず、抑制した小声で、男は話す。
「ぼ、僕の大切な人です」
そう珠樹くんが言うと、目に怒気を浮かべてさらに言葉を繋ぐ。
「君には私が必要なはずだ、あの日、限界でおかしくなりそうだった君を繋ぎ止めたのは私じゃないか?」
そう男は、怒りを抑えて言う。
「あの時のことは本当に感謝しています。でも、先生はお忙しいし……僕の趣味にも興味がおありではないですよね。会えるのも少ない機会しかありませんし、この間だって……」
「だからもう私を捨てるのかい?」
その言葉に、珠樹くんは黙り込んでしまい、何も言えなくなってしまった。
それに黙っていられず私は口を挟む。
「過去のことは、珠樹くんも感謝しています。ですが、貴方はずっと彼の傍にいることのできない立場がおありですよね? 優しい彼の気持ちにつけ込むのは卑怯じゃないですか?」
そう言われた男は、思わず声を荒げてしまう。
「貴様には関係………ないことだ」
大声をあげたことに慌てて、最後は小さく話す。
その時、横合いから聞き慣れた、女性の声がその場の空気を押しのけるように話しかけてきた。
「あら、甲斐助教授、こんなとこでお会いするなんて、奇遇ですわね」
そう言って友梨香が席の傍に唐突にやって来たのだった。
「こ、これは香坂画廊のお嬢さん、ご無沙汰してます」
突然現れた第三者の知り合いに、先生は慌てて、社会人としての仮面を被る。
「奥様は、今日はご一緒ではないんですの? いつも仲良く一緒にいらっしゃって、いつも羨ましく見てるんですよ。ほら、私もそちらさまのように、婿入りしてくれる素敵な男性を探しておりますでしょう? 奥様からは旦那様がどんなに大切にしてくださっているのか、と惚気ばかりお聞きして、羨ましく思ってますのよ」
「ああ、妻は子供と先に義父の家に正月の帰省で今日から帰っておりまして。私は仕事の関係でどうしても明日からになるので……」
「それは奥様、寂しがってらっしゃるでしょうねぇ、おしどり夫婦ですもの……あら、こんなところで、お話しの邪魔をして申し訳ございませんね、そちらのお連れ様も、申し訳ございません。それでは私は失礼させていただきます」
そういって、嵐のように場を支配した友梨香は、去って行った。
「あなた婿養子だったんですね」
と私が言うと。
「それが、どうした、それこそ君には関係のない話だ」
「関係があることに将来的にはなるかもしれませんので、話しておきます。もしも、珠樹くんとの関係が奥様に知られたら、そういう関係ですから、離縁される……なんて事もあるかもしれませんね、そうなると慰謝料なんてことも、ありえませんか?」
そう私が追及すると、動揺して力をなくした声で返答をする。
「そ、それは、そういう事もあるかもしれないが……」
「その、危険をあなたは、珠樹くんにも負わせているのを理解していますか?」
「グッ」男はそれを聞いて言葉に詰まる。
「そのような奥さんが、珠樹くんのことを知ったら、当たり前のように珠樹くんにも慰謝料を請求するような事態になってもおかしくないと私は思います。珠樹くんをそんな面倒なことに巻き込むのはやめませんか?」
珠樹くんが私の手をギュッと握る。それに力を得て私は更に言った。
「珠樹くんのことを本当に大事に思うのなら、あなたの事情に巻き込むのはやめましょうよ。それが、人のことを思い、大切にするってことじゃないでしょうか?」
「先生、これまで、本当にありがとうございました。でも、これからの僕は、この聡介さんと一緒に、誰にはばかることなく、生きていきたいんです。お願いします。僕のことは忘れてください」
そう言って、深々と頭を下げる珠樹くんに、合わせて私も頭を下げる。
「私からもお願いします。彼のことを思うのなら、彼を不幸にしないでください」
「わかった、もう連絡はしない。珠樹くん、幸せにな……。私はもう行くよ」
そう言って、甲斐先生はその場を立ち去った。
しばらくして、友梨香が戻ってきた。
「どう? うまくいったかしら?」
「絶妙だったな、ちょうどいい感じであいつの心を折ることができたよ、助かった」
「そう、うまくいったのね、よかったわね、珠樹くん」
「ありがとうございます、友梨香さん」
そういって、過去一番の笑顔を見せる珠樹くんと、私も同じように、笑って喜び合った。
「じゃ、みんなで帰りましょう。そういえば二人は年末年始はどうするの?」
「私は何も決まってない、いつもどおり寝てるんじゃないかな?」
「あ、それなら……一緒に年越ししませんか? 大晦日から新年にかけてなら、友達と初詣って言えば、外泊できると思うので……」
「うーん、それはさすがに私がいたらお邪魔よね、仕方ない、今年の年越しも一人で過ごすか」
と友梨香がぼやくと、珠樹くんが言った。
「あの、初詣は一緒に行きませんか?」
「え? いいの?」
「はい、あの、その後、朝までは二人きりになりたい…………ですけど」
そう言って顔を真っ赤にする珠樹くんを見て、羨ましそうに友梨香は言った。
「あーあー、いいなー、私も朝チュンする彼氏でも、本気で探すかぁ」
「おまえなら、言い寄ってくる男、いくらでもいるだろう? 大学時代もあれだけモテてたんだし」
「馬鹿ねぇ、いい男じゃないとダメよ。少なくともあんたよりいい男じゃないと、私がなびくわけないんだから」
「聡介さんより、素敵な人はいないと思います……」
とそうぼそっと口走る珠樹くんに、友梨香が呆れて言う。
「はい、はい、ご馳走様、ご馳走様」
私はそれを聞いて幸せなのと恥ずかしいのとで、動揺したまま、しばらく赤い顔をしていた。




