第11話 看病する彼
仕事にこそなんとか行くが、まっすぐ帰ってきては、疲れて動けなくなるまで絵筆を握った。
珠樹くんと友梨香からは、相変わらずたわいもないメッセージがとどくが、必要最低限の返事だけを返すと、後は無視して、描き続けていた。
時折、筆をとめて、あの日河川敷で見た彼の動きを思い出す。
脳内にあの時の姿が鮮やかに浮かんでくると、そのイメージを忘れないうちに、また筆を動かす。
キッチンのシンクには、食器が溜まり、ゴミ箱には、カップラーメンの容器や、冷凍食品の袋が積み重なる。
金曜日にはついに、仕事を休んだ。
前日クマだらけで青い顔をしていた私を見ていた同僚は、休むと連絡する電話に、何も聞かず「お大事に」と返してくれた。
そのまま一日ぶっ続けで塗り続け、とりあえず完成と言えるところまで仕上げることができたのは、既に日が変わってしまった深夜だった。
疲れ切った私は、そのままベッドに潜り込んだ。
そして翌朝、動くことができなかった。
ぼーっと霞む頭、全身に感じる痛み、そして寒さ。
「風邪か……」そう呟いた後、私の意識は完全に失われた。
前夜に、接待に付き合わされ、深夜まで飲まされた友梨香は、休日のベッドで昼まで寝ると決め込んで、幸せな睡眠を満喫していた。
そこに電話の音が甲高く鳴る。
「たく、誰よ、もう……はいもしもし」
「もしもし、珠樹です」
「あら、珍しい電話ははじめてね」
「すみません、あの、聡介さんから昨日の夕方以降に何か連絡来てますか?」
「んー、ちょっと待ってね…………何も来てないわね」
「今週になってから、かなり返事が減ったなぁと思ってたんですけど、昨夜からは何も返ってこなくて、もう嫌われちゃったのかなぁ? それとも病気か何かかなぁ? 心配で心配で僕…………グス」
そう言って電話口で泣き始めてしまった。
「あいつ、また無茶やったかな……はい、泣かないの、出かける準備して、家の近く、そうねぇ、⚪︎⚪︎の駅前まで何分で出られる?……うん、じゃあ11時にそこで」
そう言って友梨香は、慌てて出かける準備を始めた。
約束の駅前で、珠樹を乗せた車は、聡介のマンションを目指して走る。
インターホンを何回か鳴らすが、返事はない。
「もう、仕方ないわね。えーと誤解しないでね、これ彼の叔父さんから頼まれて、私が預かってるものだから、彼から最近預かったわけじゃないから」
そう言い訳しながら、友梨香はカバンの内ポケットから鍵を取り出すと、オートロックを開けて中に入る。
そのまま聡介の部屋に来ると、躊躇なく鍵を回して、中に入っていく。
「あの、勝手にいいのでしょうか?」
「非常事態よ、いいから早くおいで」
聡介の寝室に来ると、ベッドに倒れている聡介がいた。手を額に当てて、首を振りながら言う。
「かなりの熱ね。今ならギリギリ近くの病院連れ込めるけどコイツどうやって運ぶかな? 二人がかりなら何とかなるかな」
珠樹が脇を持ち上げて、ヒュッと息を吐くと、聡介を立ち上がらせる。
「あなた、見かけによらず、すごい力なのね」
そう言いながら反対の脇を支える友梨香。
「力もありますけど、内功っていう『気功』の力の応用なんです」
そうして二人がかりで車に運ぶと、近くの病院に運ぶ。
診察は過労からくる風邪だった。
気付くと、友梨香の車の中で、そのまま病院に運ばれ、小さな点滴の管が、腕に刺さっていた。
隣には怒り顔の友梨香と、泣きそうな顔で心配する珠樹くんがいた。
「すまない……」と自分でも驚くほど掠れた小さい声が出る。
「どうせまた絵に集中し過ぎて、無茶やったんでしょ、今回は二人に心配かけたんだから、ちゃんと反省しなさいよ」
「ああ、二人とも本当に悪かったよ。ごめんなさい。それと、ありがとう。ここまで運んでくれて…………あれ?そういえば鍵どうしたんだ? 開けてないよな」
友梨香が鞄から見慣れないキーホルダーのついた鍵を取り出す。
「これ、昔あんたの叔父さんに預けられたのよ。前にもこんなことあったでしょう、帰国してあった時にその話をしたら、これ持っといてって、ずっと預かりっぱなしだったの、嫌だったら今度叔父さん帰国した時に返しておくけどね」
「そうか、叔父さんが信用して預けたなら私がどうこう言わないよ」
「珠樹くんに渡したいなら、あなたから渡しなさいよ。『あ・い・か・ぎ』」
「そうだな、昔から絵に夢中になるとこうして全部ほったらかしにしちゃう事があってね、そのうち預けてもいいかもな」
それを聞いて顔を赤くして困っている珠樹くんが可愛くて、つい、唇の端が上がり小さく笑ってしまう。
その後、3人で部屋に戻った。
私はベッドに放り込まれ、二人は台所やアトリエの片付けをしているようだ。
「ごめん、私夕方どうしても外せない仕事あるから戻らなきゃ、珠樹くんこいつ見ててくれる? 七時半には迎えに来て家まで送るから」
「僕の方は構いません。特に予定もないですし、お留守番してますね」
「頼んだわよ、聡介はちゃんと寝てなさいよ、じゃあ、私行ってくる」
そう言って、バタバタと友梨香は出かけていき、珠樹くんと二人きりになった。
「これ頭の下に敷きますね。眠れるなら、ちゃんと眠ってくださいね」
珠樹くんは氷枕を持ってくると頭を持ち上げ頭の下に入れてくれた。
ふわっと、髪からいい香りがする。
心地よい香りだなと思ってるうちに私は眠ってしまっていた。
なんだか良い香りがするとふと覚醒すると、珠樹くんの顔が至近距離にあり、おでことおでこがくっついている。
「うん、熱はだいぶ下がったみたいだ」
甘い良い香りと熱のあとの気怠さでおかしくなったのか、私はぎゅっと彼の身体を抱きしめてしまった。
「あれあれ?甘えたくなっちゃいましたか?」そう言って、柔らかな笑顔を私に向けてくれる珠樹くん。
私はそのままじっと彼の身体を軽く抱いていた。それ程力を入れているわけではないので、振り解くのは簡単だろうけど、彼はそのままにしてくれていた。
「熱を出してしんどいと誰かに甘えたくなりますよね、良いですよ。今くらいは、いつもお世話になってるので、好きなだけ甘えてください」
「誰か……じゃないよ、君だから、珠樹くんだから……だよ」
私はそう言うと、腕に力を込める。
私達はお互いの頬をくっつけて、抱き合った。深く、そして長いハグ。
それは、とてもとても幸せで、儚いあっという間の出来事だった。
不定期連載となりますが、完結までお付き合いください。
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