51:理不尽な喧嘩両成敗
カフェでリロたちの様子に気づいている人はいない。生徒の口喧嘩はよくあることだし、内容まで気に留められていないのだろう。
従業員らしき人も、奥で注文された品を作っているし、手前の皿洗いスペースでは、魔法具のスポンジがシンクの上で勝手に食器を洗っている。
リロは男子生徒を見つめた。
(この人は一人で言いがかりをつけにきたし、まだマシなほう)
これが集団になると、ハシノ村でリロに対して行われていたことみたいになる。
ものすごく嫌な記憶だからか、リロは未だにそれを忘れられない。
だから、彼の行動をエスカレートさせないために、毅然と対応しなければならなかった。
「とにかく、私は不正してないよ」
はっきりと告げる。
だが、男子生徒は最初からリロの言葉を信用していない。
「なら、魔法でこれを防いでみろよ! そうしたら魔法を使えるって信じてやる」
言うなり、男子生徒は水の塊をリロにぶつけてこようとした。人魚族の得意な水かけ魔法だ。
「わわっ!」
びしょ濡れになるのは嫌なので、リロは咄嗟によく使う魔法を繰り出す。
(初級魔法大全、一八七二ページ。物質交換の魔法)
そうして、カフェのシンクにいた、魔法具のスポンジと男子生徒がかけてこようとした水を入れ替えた。
シンクのほうで、バシャッとたくさんの水が跳ねる音がする。
そして、リロの手には泡のついたスポンジが握られていた。
「カフェが水浸しにならなくて、よかった」
魔法具のスポンジは、急に別の場所に移動したことに戸惑っていたが、リロの手からスポッと抜けだし、シンクのほうへ帰って行った。予め、そういう魔法がかけられているようだ。
リロは、ハンカチで泡まみれになった手を拭う。
「これでわかった? 私は魔法が使えるって」
そして、一つ思い出した。彼は実技試験の途中でリロが助けた人だ。点数稼ぎがどうとか、文句を言って去ってしまったけれど……。
「なんで、人間のくせに……」
「それが知りたくて、ここにいるの。もういいかな?」
友達と過ごす時間を邪魔されたくない。
「ふざけんな、馬鹿にしやがって! 人間はこの学校に相応しくない! 目障りだ!」
言うと、男子生徒は再び水を放ってこようとした。同じ新入生っぽいので、まだ複雑な魔法は使えないのだろう。
「いい加減にして」
リロは立ち上がり、迎え打つ体勢を取る。
(初級の物質を集める魔法、初級の形状変化の魔法)
男子生徒が放ってきた水を集め、水の塊として空中で固定する。そして、それを男子生徒に向かってぶちまけた。
その頃になると、リロたちの席で諍いが起こっていることに、生徒たちが気づき、「なんだ、なんだ」と集まってきていた。
エリゼが「面倒くせぇ」と言いながら、魔法で男子生徒の服や床を一瞬で乾燥させる。初級魔法大全には乗っていない魔法だ。
(やっぱりすごい……)
厄介ごとに発展しないように、証拠を隠滅してくれたのだと思う。
「ありがとう、エリゼ」
「タワーサンド代だ。ソフィアがほとんど食ったから」
見ると、いざこざの間にタワーがほとんどなくなっている。ソフィアの食欲がすごい。
(これで彼が、諦めてくれたらいいんだけど……)
大事にしたくなかったのだが、カフェの中に教師がいたらしい。気づけばリロたちの前に、その教師が立っていた。
(入学式で見た人だ。たしか、魔法歴史学のシオル先生)
眼鏡をかけた老年の鳥人族で、厳しそうな外見の人だ。
「カフェで騒ぎを起こしたのは君たちか」
(げ……)
リロと男子生徒が何も言わないうちに、シオルは持っていた長杖でトンと床を叩く。
「喧嘩両成敗! 双方、植物園の水やりを命じる!」
ミネットが立ち上がった。
「ちょっと待ってください。リロは一方的に絡まれていただけなのに!」
眼鏡を持ち上げたシオルが、ちらりとリロを見て告げる。
「リロ? 君は……ロバートの妹か」
「えっ」
「……兄も兄なら、妹も妹だ。問題ばかり起こす」
よくわからないが、ロバートはシオルに目を付けられているようだ。
(お兄ちゃん、何かしたの?)
彼はダリア寮所属で、シオルはそこの寮監だ。因縁があるのかもしれない。
でも、リロまで巻き添えを食う謂れはない。
「それって、先生の……リロのお兄さんへの私怨で、今回とは別件ですよね」
ミネットが冷静に指摘するが、シオルは意見を翻す気はないようだ。
「決定は決定だ。従ってもらう」
そうして、リロと男子生徒に告げた。
「ほぼ面識のない相手を嫌悪する感情は無知から生まれる。共同作業をすることで認識を改めるように」
シオルがトンと再び長杖で床を叩くと、リロの周りの景色が一瞬で消える。
入学試験のときに場所を転移したのと似た感じだ。
そうして気がつけば、問題の男子生徒と二人で植物園の中へ移動していた。




