46:職員棟の校長室2
エレベーターは上昇し続け、最上階で停止した。扉が開き、リロたちは外へ出る。
そこには天井から光が降り注ぐ、明るい空間が広がっていた。
「わあ……全体的に白い……」
アーチ型の高い天井からは様々な植物がつり下がっていて、その周りを綺麗な色の小鳥が飛び交っている。床に置かれた横長の鉢には、たくさん花を咲かせた植物が植えられていた。鳥の声以外、物音がしない静かな場所だ。
「ゲェ~~~ッ」
声を上げたブッチョがベチョッと床に落ち、ヒタヒタと前へ進んでいく。割と早い……。
「待って、ブッチョ」
リロは慌てて追いかけた。すると、目の前にゆらゆらした白い壁が現れる。
その真ん中には木の扉が、ドアノブの横には呼び出し用と思われるベルがあった。
ブッチョが高くジャンプして、「チリーン」とベルを鳴らす。
「すごいね、ブッチョはジャンプもできるんだ」
「ドゥフン」
なんとなく、ブッチョが得意げな表情を浮かべているように見える。
話していると、奥から「はーい」と、声が聞こえてきて、続いて扉が開いた。
中から顔を見せたのは、私服姿の校長クリストファーだ。彼は兄のロバートや、もう少し年上の若者が着ているような、流行の服に身を包んでいる。
たまに見かけるエルフ族は、大体「ザ・エルフ」という感じの古風な衣装を着ているので、クリストファーのような人は珍しかった。
「リロ、待ってたよ。入って、入って♪」
今日は、仕事の日ではないのだろうか。まだ、クリストファーのことはよくわからない。
「し、失礼します」
緊張しながら校長室に入る。中は拡張魔法が施されているようでかなり広い。
手前に応接用のスペースがあり、リロはそこに案内された。
「そこに座って、今飲み物を淹れるから。リロはお茶とジュース、どっちがいい?」
「えっと……お茶を、お願いします」
「とっておきの茶葉があるんだ。それにしよう」
ありがたいが、リロにはお茶の善し悪しがわからないと思う。ブッチョがクリストファーに興味を持ったようで、ベチョッと跳ねながら彼の足元に近づいている。
「この子はリロの使い魔かな? ぼんやりした表情が、可愛らしいね」
「そうなんです。ブッチョという名前で、昨日契約して、今は一緒に住んでいます。マーガレット寮は室内に水路があるので、この子も過ごしやすいみたい……」
「あそこの寮は使い魔たちに好評なんだよ」
言うとクリストファーは一旦、奥の部屋に引っ込む。ブッチョは飛び上がり、クリストファーの背中にくっついて行ってしまった。不思議な行動だ。
(……懐いたのかな?)
座った状態のリロは、そっと豹耳フードを下ろす。ここでなら、人間の姿をさらしても騒ぎにはならない。
しばらくすると、クリストファーが戻ってきた。
「はい、どうぞ」
白くてお洒落なティーカップに、ポットからいい匂いの緑茶を入れてくれる。
「ありがとうございます……いい匂い」
帝国では緑茶、烏龍茶、紅茶が飲まれている。地域によって、どのお茶が愛飲されているかは異なり、リロの住んでいたカドの町では紅茶がよく飲まれていた。帝都ではどのお茶もまんべんなく飲まれているらしい。
地方によっては緑茶や烏龍茶にジャスミンなどの花を入れたり、紅茶にハーブやスパイスを入れたりと、ご当地色が出やすい飲み物でもある。
クリストファーが出してくれたお茶は、しっかりした甘みと深みがあっておいしかった。
「主席で入学なんて、すごいね。学校生活はどう?」
「初めてのことが多いけど、楽しいです」
「それはよかった。さてと……」
リロが腰掛けていた向かい側に、クリストファーが座る。
「君が来た理由を聞こうか」
「はい……」
リロはブッチョを膝に乗せ、ここを訪れたいきさつを説明する。
「この子が何者なのか知りたかったんです。ジーン先生も知らない魔法生物で、校長先生なら長生きだから、何か知っているかもって言われて……」
「もー……ジーン君はすぐ僕を、年寄り扱いする」
クリストファーは子供っぽく唇をとがらせ、若干不満そうに告げた。
「その子ね、たぶん……地下から来たんじゃないかな」
「新入生にはまだ説明していないんだけどさ。魔法島って五層構造なんだよ」
「五層?」
「まあ、ほとんどの人が……ここ、一層しか縁がないんだけどね」
「二層には、管理者になったら行けるよ。三層と四層はまだ調査中で、特別に選ばれた実力者しか入れない。かなり昔の遺物があって、危険だから」
「遺物……?」
「うん、無の時代以前のね」
無の時代……それは、一度魔法が潰えてしまった時期を指す。
太古の昔、世界には魔法が溢れていたけれど、魔法を扱うのは複雑で、人々はより使いやすい魔法具を使うことへ移行していった。
しかし、それと共に魔法知識が失われていき、大半の人が魔法を忘れてしまった。
そして、争いなどが起こって、魔法具の作り手の死亡や材料不足などから、魔法具を作ることすらままならなくなり、残された記録も大半が燃やされるなどして……その後の魔法知識は一度、ほぼ完全に失われてしまった。
それが無の時代である。
無の時代の人々は過去の遺物である魔法具に頼ったり、魔法を一切使わない、今の人間族のような原始的な生活をしていたと言われている。
ただ、本能で魔法を使える妖精族や魔族、長命なエルフの一部に魔法知識を扱える者が僅かに残っていて、彼らが魔法を再び記録として編纂し、他種族も協力して徐々にその知識を復活させていったらしい。
(人間族だけは、魔法に関係なく、今まで生きてきたっぽいけど……どの本にも、人間族に関しては、何も記述されていないし)
そうして、魔法は今の時代に繋がっていく。かつてほどではないものの、多くの魔法知識は取り戻されていった。
ここまでが、リロがさっくりと知っている歴史だ。
「まあ、この辺りの詳細は魔法歴史学の先生に習って。つまり、この子――ブッチョは、未開のエリアから一層に出てきたんじゃないかなってこと。魔法島には、外部から使い魔以外の生物を持ち込むことが禁止されている。そして第一層の生物は、全て解明済みなんだ。だから、可能性は地下じゃないかと思う」
リロは真剣に話を聞いていた。遺跡だなんて興味深い。
「遺跡には、どうやったら行けるんですか?」
「え、行ってみたいの? 管理者の中でも、凄腕の魔法使いじゃないと入れないよ?」
「……校長先生は?」
「入れる。遺跡探索の許可をもらっているからね。こっちは、管理者や研究者だけが閲覧できる本を読むことより難しいよ」
ちょっと遺跡を見てみたかったが、魔法学校の新入生でしかないリロでは、到底入れない場所のようだ。
(魔法を使える人間について、何かわかるかもしれないって、思ったのに……)
でもよく考えれば、そんなすごい人たちが探索しても、まだ過去の人間については何も明らかにされていない。
(今の私が行っても、何もわからないんだろうなあ……)
そう考えると、納得できた。
やはりまずは、たくさんの魔法知識を得て、いい成績で学校を卒業しなければならない。
それでも駄目なら、侵入方法を考えようと思う。
「あ、そういえばさー。リロは、授業で使う、通常魔法の媒体は見つかったの?」
「いいえ……でも、なんでそれを?」
「最近の魔法媒体って、結構、種族毎の特性に合わせて作られているんだ。それぞれの種族が、より魔法を使いやすくなるように……っていう工房側の配慮だね。そのせいで、人間族に適合しないんじゃないかって思っただけ」
「そうなの!?」
思わず、リロは身を乗り出す。
そのくらい、自分の魔法媒体が見つからないことがショックで、授業までに間に合わないと焦っていたのだ。
「まあ、なくてもいいんだけどね。妖精族とか魔族の中には、使わない子もいるし」
でも、授業までに揃えるもののリストに書かれている。
それはクリストファーも承知しているようで、リロを見て笑顔で頷いた。
「僕のお古で悪いんだけど、よかったらこの魔法媒体を使ってみる? かなりのアンティークだけど、魔法媒体に種族毎の微調整がなされる前の時代の品だよ」
そう言って、クリストファーは指にたくさん嵌まっている指輪の一つをリロに差し出す。
「いいんですか?」
「うん、これなら人間族でも使える。リロだけに適合した商品というわけではないけど、丈夫な素材だし性能は申し分ないよ」
「私は嬉しいですけど、先生の魔法媒体がなくなっちゃうんじゃ……」
「大丈夫だよ。まだいっぱい持っているし、僕のレベルだったら、媒体がなくても平気なんだ。だから、使って」
強引にリロの左手を取り、クリストファーは指輪をはめた。
(……? そこ、左手の薬指なんだけど)
ちらっとクリストファーを見るけれど、特に何も考えていないようだ。
指輪はすぐに縮んで、リロの指にちょうどのサイズに変化する。
「あの……ありがとう、ございます」
戸惑いながらお礼を言うと、クリストファーは満足げに微笑んだ。
「あとさ、これも渡しておくね」
クリストファーは魔法で、分厚い本を呼び出し、それをリロに渡した。
「これは……『中級魔法大全』……?」
「うんうん、初級はマスターできたみたいだし、次はこれにチャレンジしてみて。きっと役に立つから」
「中級……。初級より、分厚い……」
「アヴァレラ魔法学校をいい成績で卒業するなら、これくらいはできないとね。リロなら大丈夫だよ」
軽い調子で、クリストファーは無茶な内容を告げる。
(……私が目的の本を読むためには、きっと必要なことなんだよね)
そうであるなら、やるしかない。
リロは覚悟を決め、分厚く重い本を受け取った。
「あの、校長先生はどうして、私にこんなに親切にしてくれるんですか?」
尋ねると、クリストファーは軽い調子で告げる。
「君を昔から知っている身としては、やっぱり他の子よりも気にかけてしまうんだよねー。先生としては駄目な行動だけど、どうしても贔屓しちゃう」
クリストファーは、ヘラリと笑って告げた。
たしかに幼い頃、リオパール家で彼に会い、魔法学校入学への道筋を示してもらった。
彼がいなければ、リロは今、こうして学校で生活できていない。クリストファーは恩人だ。
けれど、たった一度会っただけで、ここまでしてくれる理由になるのだろうか。
「リロなら、いつでも遊びに来ていいよ。受付の職員には話しておくね」
「校長室って、そんなに気軽に遊びに行けるところなんですか?」
「君はロバートより真面目だね。そんなこと気にしなくていいんだよ。僕が君を見守るのは、趣味のようなものだから。きっとこれからも、今回みたいに『人間族であること』のせいで、不測の事態に陥ることが出てくると思う。相談したいことがあれば、いつでもおいで」
「はい、今日はありがとうございました。指輪、大事に使いますね」
元気よく立ち上がると、ブッチョがまたジャンプし、豹耳フードを被り直したリロの頭にベチョッと乗った。
「ゲェ~~~ッ」
「うんうん、ブッチョもまたね」
なんとなく、クリストファーもブッチョと意思疎通が図れるようだ。
彼に見送られ、リロは校長室をあとにした。




