21:拾われ少女は飛行船に乗る3
次の瞬間。男が振り下ろそうとした金属製の棍棒が、ぐにゃりと奇妙な動きをした。
金属が柔らかく変形し、細く枝分かれし、緑を芽吹かせる。そしてあっという間に、それは葉を茂らせた観葉植物のような姿へと変わってしまった。
一方で、近くに置かれていた植物の鉢植えは、枝がごつごつした銀色の金属に変わっていた。物質交換の魔法効果が現れたのだ。
本来は研究や調合の場で使われる、実用系の知識魔法だけれど、こうして応用すれば護身にも使える。
ただし、無機物と植物にしか使えない。
人や生物に作用する魔法は上級に分類され、危険性から厳しく規制されていた。
「な、なんだこれは!?」
男が混乱した声を上げる。手元で生え広がる葉に戸惑い、棍棒だったものを放り投げた。
枝葉が床に当たり、軽く乾いた音が響く。
武器をなくした彼は心許なくなったのか、リロに警戒の視線を向けて、仲間の元へ逃げ戻っていった。
(よ、よかったぁ……)
安堵したリロは、へなへなとその場に膝をついた。
しかし、大臣の息子たちをどうにかできたわけではない。
「リロ、あなたすごいわね! でも、そんな場所にへたり込んじゃ駄目よ。船室の向こうへ逃げましょう。気が進まないけれど、応援を呼ぶわ……」
「えっ? 応援……?」
リロが目を瞬かせると、ミネットはどこか不本意そうな表情で、左手首に光る腕輪に触れた。それは、魔法を宿した道具――魔法具のようだった。
「これには、緊急用の信号魔法が入っているのよ。私の居場所を知らせ、助けを呼ぶことができる」
「す、すごい」
通信系の魔法具は便利だけれど、ものすごく高価だと聞いたことがあった。
皇族の護衛部隊や使者などが使うもので、普通の学生の手に入るものではないはずだ。
(……ミネットって、何者?)
疑問を浮かべるリロに気づかず、ミネットは魔法具を起動させようとしている。
しかし、彼女が魔法具を起動させる前に、船室から一人の少年がホールに入ってきた。
淡い紫色の髪の、けだるげな雰囲気の少年だ。眠そうな目をしているのに、妙な威圧感がある。
「……騒がしいな。おかげで、眠れやしない……ああ、騒音の原因はあいつらか」
少年はホール内に視線を走らせると、素早く大臣の息子たちに気づいた。
つかつかと、そちらに歩いて行く。
「え、あなた、危ないわよ?」
ミネットが声をかけたが、少年は振り返りもせず、足も止めない。
それどころか、迷いなく大臣の息子のほうへ行ってしまった。
「なんだお前は?」
突然現れた少年に、大臣の息子が訝しむような視線を向ける。近くにいた手下たちも、棍棒を構えるが、少年は構わず言った。
「それはこっちの台詞だ。能なしは、さっさとこの船から降りろ。迷惑だ」
「なんだとっ! 俺を侮辱して、怪我だけで済むと思うなよ!」
激昂した大臣の息子が、顔を真っ赤にしながら少年に両手を向ける。魔法を放つつもりなのだ。
同時に、残りの手下たちも剣を掲げて少年に突っ込んできた。
「はぁ……うざ……」
少年はため息をつきながら呟く。
そうして、けだるげな様子のまま片手をゆるやかに持ち上げた。彼の指先が天井を指す。
瞬間、天井から、淡く発光する白い花びらが降り注ぐ。
それが地面に届いた頃には、魔法を放とうとしていた大臣の息子も、襲いかかろうとしていた手下たちも、ことごとく床に倒れていた。
リロたちは、おそるおそる、少年のほうへと近づく。
倒れた大臣の息子や彼の手下たちは全員、すぅすぅと寝息を立てていた。
(ね、眠ってる……!?)
リロは呆然とその光景を見つめる。
(すごい……本に載っていない魔法だ……きれいだったな)
アヴァレラ魔法学校の試験を受けるような人の中には、ものすごい実力者も混じっているようだ。自分の知らない魔法を目の当たりにし、リロは興奮した。
少年は倒れた相手を振り返ることもなく、あくびをしながら船室に戻っていく。
リロたちは、倒れている子たちの様子を見て回る。不幸中の幸いだが、皆、命に別状はない様子だ。怪我もそこまで重傷ではない。
(とはいえ、打撲や石が当たってできた傷は痛そう……。治してあげたいけど、治癒の魔法は使えないんだよね……)
あれを使うには、治療用の魔法知識はもちろん、高度な医療知識や技術、専門の免許がいる。
つまり、今のリロにはできない。
「大丈夫よ、リロ」
隣で同じように怪我人を見ていたミネットが、鞄から魔法薬を取り出した。
彼女の鞄も、収納拡張の魔法がかけられているらしい。
「応急処置にはなるけど……少なくとも、痛みは引くはずよ」
魔法薬とは、特別な薬草や鉱石、あるいは魔素を帯びた材料を用いて作られた薬である。生成過程でも、調合師が魔法を使うことで効果が高まる。
ついでに、作り手の腕や材料の質によって効き目は大きく変わる。
ミネットはホールを中心に、傷が深い受験生から順に、魔法薬を渡していく。皆、軽傷なので、薬を塗るくらいはできるのだ。リロもそれを手伝った。
いい薬らしく、怪我人たちから「すごい、傷が消えた」などの歓声が上がっている。
(傷が消えるような魔法薬って……ものすごく高いはずだけど……)
もしかすると、ミネットは、ものすごくお嬢様なのかもしれない。
怪我人たちが落ち着いた頃、飛行船が魔法島へ到着した。
大臣の息子と仲間たちは、まだまだ、ぐっすり眠っている。
出入り口が開放されるのと同時に、飛行船の係員や魔法島の警官らしき人たちが、船内に駆け込んできて、大臣の息子たちを取り囲んだ。
ミネットがその様子を見て言う。
「もう大丈夫そうね。私たちは行きましょう」
「う、うん……」
ここにいても、もうできることはない。
リロはミネットと一緒に飛行船から下りた。
(飛行船で事件が起きて、びっくりしたな……)
飛行船から下りて駅を出ると、五人の見知らぬ大人たちが走り寄ってきた。
サングラスをかけた、ドワーフ族の執事風の男性たちだ。
(な、何?)
戸惑っていると、彼らはミネットの前で立ち止まる。
その中の代表らしき人物が、彼女に話しかけた。
「ミネット様! 勝手に一般の飛行船に乗られては困ります! 我々と一緒に、プライベート船で魔法島へ向かう予定だったのに!」
「しかも! なんか事件があったそうじゃないですか! ああ、ご無事でよかった!」
ミネットは悪びれずに彼らに告げる。
「だって、他の皆みたいに、自分で試験会場に行ってみたかったんだもの」
「あなた様の立場をお考えください! ここからは、我々が魔法馬車で試験会場までお送りしますからね! ほら、乗ってください」
彼のいうとおり、飛行船の駅の手前には、大きくて豪奢な馬車が一台用意されている。
白い外観に金の装飾が施された、美しくて派手な馬車だ。
馬車を引くのは、魔法生物の走クジャクだった。美しい羽根に丈夫な足を持つ、運搬作業で活躍する生き物である。
「えー……。友達だって、できたのに。リロも乗っていい?」
ごねるミネットに向け、執事がぴしゃりと告げる。
「駄目です!」
その言葉を機に、残りの執事たちが、抵抗するミネットを強引に馬車の中へ押し込もうとし始めた。
ミネットは「リロと行く!」と、抵抗しているが、多勢に無勢だった。
「リロさんでしたっけ。ミネット様をありがとうございます。こちらをどうぞ。それでは、我々はこれで……」
まくし立てるように告げると、執事たちはミネットを馬車に乗せ、自らも乗り込んでしまった。
馬車はすぐに動き出し、魔法学校のある方向へ去って行く。
リロは唖然として、馬車を見送った。
(結局、ミネットって、何者だったんだろう)
執事に渡されたのは、金色のカードだった。でも、何に使うのかわからない。
(せっかく、仲良くなれたのになあ)
試験会場でまた、ミネットに会えるといいなと思いながら、リロは駅から学校へ向かう魔法列車に乗り込んだ。
一般の受験生はほとんど、この魔法列車を利用するのだ。




