18:拾われ少女は帝都を目指す2
翌日、リロは元気よく家を出発した。
お気に入りの雪豹のフード付きの上着に、黒いワンピース、蛍絹木の樹皮を加工して作った丈夫な靴。そして、収納拡張魔法の施された沼白鮫の皮の鞄。
「お父さん、お母さん。行ってきます!」
店の前で見送ってくれる両親に向かって、元気よく手を振る。
「行ってらっしゃい、気をつけてね。リロなら試験も大丈夫よ」
カミラが笑顔で抱きしめてくれた。
「うん」
「悪い人に攫われそうになったら、粉砕の魔法を使うんだぞ」
「……いや、それはちょっと……」
交代でサムもリロを抱きしめてくれる。
普段はおっとりしている父だが、こういうときだけ発言が過激だ。
リロはきびすを返し、手を振りながら、カドの町に流れる川のほうへ向かった。
近所にアヴァレラ魔法学校を受ける子は少ないようなので、川クジラは確実に確保できそうだ。
リロは川へは何度か来たことがある。
近隣にあるほかの町に出かける際にも、川クジラに乗ることがあるので。
ただ、帝都まで行くのは初めてだった。
工房がある通りを抜け、市場がある中心部を通り過ぎ、しばらく進むと川がある。
川の周りにもまた、店が並んでいる。
カドの町で手に入りにくいものなどは、ここに集まることが多い。他の町の商人などが、川を使って荷を運んでくるのだ。
整えられた川縁の桟橋を進んでいくと、やがて川クジラの乗り場が見えてきた。
もちろん、川クジラたちが商売をしているわけではない。
だが、乗り降りしやすいよう、地元の人々が桟橋や乗降用の台を工夫して設けている。
(獣人は、川クジラに目的地まで連れて行ってもらうわけだけれど。川クジラとしては、遊びの延長なのよね)
川をゆったりと行ったり来たりするのが、彼らの習性。
だから、誰かを乗せて運ぶことは、特に苦でもなく、むしろ自然な行動のようだった。
乗り場には、すでに数人の獣人たちが順番を待って並んでいた。
一人ずつ、川クジラの背中に乗り込み、ゆったりとした水の流れに乗って、上流や下流の町へと運ばれていく。
しばらく待つと、いよいよリロの番が来た。
(川クジラには普通に話しかけても通じるけど、魔法海獣語を使ったほうが確実よね)
クリストファーにもらった、あの分厚い本には、簡単な魔法海獣語についても書かれていた。
今回は、少し遠い帝都まで行かなければならないため、リロは魔法海獣語を話してみる。
「オァ、オァ、キュピ、カゥー(帝都まで運んでもらえませんか)」
ちょっとたどたどしい発音だったかもしれないけれど、言葉が届いた瞬間……。
「ラァ! キウ!(いいよ、乗って)」
元気な返事とともに、一頭の川クジラが勢いよく近づいてきた。
他の川クジラたちに比べれば、ひとまわり小さいが、まるで「我こそは!」と言わんばかりの自信満々な雰囲気だ。リロは思わず、くすりと笑った。
体長は、リロ三人分ほどだろうか。小柄とはいえ、十分に大きく、滑らかな白い体が水の上に美しく映えている。
リロは桟橋からそっと身を乗り出し、川クジラのつるりとした背中に手を添えた。
すると、川クジラの噴気孔から透明な風船のようなものが出てくる。
それは、まるで繭のように、そっとリロを川クジラの背に固定した。
この透明な膜は、川クジラが使う魔法によるもので、乗っている者が濡れたり、落ちたりしないよう、やさしく守ってくれるのだ。内側は驚くほど快適で、空気も澄んでいて、川の上に浮かぶ部屋に入ったような気分だ。
膜の広さはリロ二人分ほどあり、姿勢を変える余裕もある。
横向きになって水面を眺めることも、寝転んで空を見上げることもできそうだ。
「ア゛、グェ、グェ(二日で、着く)」
川クジラがそう答えると、リロはにっこり笑って、魔法海獣語でお礼を返した。
「ティー!(ありがとう)」
簡単なやりとりを終えると、川クジラはすいーっと、水面を滑るように泳ぎ始めた。大きな体が、力強く川を進んでいく。
ときどき潜ることもあったが、魔法の膜がしっかりとリロを守ってくれていた。水に濡れることもなく、揺れもほとんど感じない。
リロはその中で、主に試験に向けての復習をした。
浮上しているときは、膜越しに川の両岸の風景を楽しむこともできる。
木々の合間にちらちらと見える家々や、隣を通る渡し舟、遠くに聳える塔のような建物……すべてが新鮮で、胸が高鳴った。時折、川クジラとの会話を楽しんだりもする。
夜になれば、膜の内側はふんわりと光り、星空を見上げながら、リロは安心して眠りについた。
そうしているうちに二日が過ぎ、川クジラは予定通り、帝都の降り場に滑るように到着する。
周囲には立派な木製の桟橋が組まれ、人々が行き交っていた。
リロを包んでいた膜が消えたので、そっと川クジラから下り、降り場に足を踏み出す。
まったく揺れない地面は二日ぶりなので、なんだか変な感じがした。
「オ゛ゥ、ティー(ありがとう、助かったよ)」
振り返り、川クジラにお礼を言う。
川クジラは満足そうに小さく鼻を鳴らすと、尾ひれで水をかき、岸から離れていった。リロは手を振る。だが、そのとき……。
「クワクワ、ファー!(遠くまで来られて、楽しい!)」
川クジラは帝都の川を満喫するように、くるくると回り、ジャンプした。
バシャーンと、豪快な水しぶきが舞う。
「うわぁっ!」
リロは咄嗟に回避し、なんとか濡れずに済んだ。
好奇心旺盛な川クジラは、嬉しそうに、まだ見ぬ川の向こうを目指して、跳ねるように泳いでいってしまう。
去って行く川クジラに手を振ったリロは、その姿が見えなくなると、降り場から帝都の街へ向かった。
□<魔法海獣語講座(初心者編)>
・オァ→運ぶ(繰り返すと丁寧な言い方になる)
・キュピ→~まで
・カゥー→帝都
・ラァ→乗る
・キウ→はい、いいよ
・ア゛→着く
・グェ→日数(グェが二回で二日)
・ティー→ありがとう




