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後編

 梅雨が終わり、夏が過ぎ、秋の文化祭がやって来た。


「……行くか」


 読んでいたドストエフスキー『悪霊』を閉じ、玉ちゃんが顔を上げた。私は一ツ玉さんのことを『玉ちゃん』と呼ぶようになっていた。


 「いよいよこの日がやって来たな」


 赤ちゃんが珍しく緊張した声で言った。私は赤鬼頭さんのことを『赤ちゃん』と呼ぶようになっていた。


「チキチキチキチキ……」


 ゾンビちゃんがカッターナイフを長く伸ばすと、そこらへんのものを切りつけはじめた。興奮しているしるしだ。


 私たちは予選を突破して、ステージに立てる四組のバンドの中に入っていた。赤ちゃんの暴力を使って不正をしたわけでもなく、正々堂々、実力でのし上がったのだった。

 当然のように、ミオ先輩の『つゆだく豚丼』も出場する。特別枠とかではなく、ちゃんと予選を突破しての出場だ。


「いいか? インコ」

 玉ちゃんが私に言い聞かせる。

「大本美緒をこのステージで見返してやれ。コケにされた怨みを音魂オトダマにして叩きつけるんだ」


 玉ちゃんはずっと勘違いをしている。

 私がこの日のために全力で頑張ってきたのは、ミオ先輩を見返すためじゃない。っていうか見返す理由もない。

 ただ、ほんとうの自分を解き放てるようになった私を、彼女に見てもらいたかった。彼女にもらった憧れを、彼女の音楽に押してもらった背中をきちんと猫背にして、自分らしい音楽を演る私を見てほしかったのだ。私が頑張ってきたのは、ただそれだけの理由だ。


 前のバンドが演奏を終え、「ありがとうございました!」というのが聞こえた。いいバンドだった。まっすぐな、力強い音を出していた。ただボーカルはイマイチだったかも。


 私たちは三組目。最後のトリにはもちろん『つゆだく豚丼』が控えている。


 赤ちゃんが椅子から立ち上がりながら、呻くように言った。

「『つゆだく豚丼』に勝つぞ! 陽キャどもに世界を支配されてたまるものかッ!」


 正直、最後から二番目のポジションを取れたのは赤ちゃんの怖い顔のおかげだったけど、今はそれは気にしないことにした。


 反対側の控室に、ミオ先輩がいるはずだ。

 舞台袖から見ていてくれるかな……。


「やばい! 緊張してきた!」


 私が言うと、ゾンビちゃんが見下すように「ケッ」と笑い、細すぎるその手を前に出してきた。


「なんだ? 円陣組みてーのか、ゾンビ?」

 玉ちゃんがバカにするように笑い、でも同じく手を前に出す。

「まぁ、いいかもな。たまには陽キャの物真似も……」

 言葉とは裏腹に緊張しているようで、その手が震えてる。


「よしッ! 今日の観客、一人残らず皆殺しにするぞッ!」

 赤ちゃんのごっつい手も震えていた。

「インコっ! キサマが音頭を取れ!」


「わ……、私が……?」

 オタオタしてしまった。


「ウム! キサマこそが我々陰キャの女王に相応しいのだからなッ! なぜ、世に『陽子』はありふれているのに、『陰子』はなかなかいないのか? 我はそこに差別意識を覚えるのだッ! 正々堂々と見せつけてくれ! この世で最もダメ人間な陰キャの音頭を!」


 私は三人の手の上に、自分の手を重ねると、目を瞑った。

 それを勢いよくカッ! と見開くと、震える声で言った。


「爽やかな秋に、じめじめとした重たい音をブッ放そう!」


「オーッ!」

「ヒヒヒ!」

「やるっきゃねーな……」

 三人バラバラな声が不協和音のように沸き起こった。




 ギターを持ってステージへ出た。

 目の前には500人を超える観客の海が、薄暗い中に広がっていた。

 以前の私なら「あわゎ……」とか声を漏らして、何もできなくなっていたところだろう。でも、今は違う。

 仲間がいる。夏にはライブハウスで経験も積んでいる。

 足が緊張にカタカタ震えるくらいで、この程度の緊張なら『いい感じ』だ。気合いが入る。


「3番、『人類絶滅計画』です。よろしくお願いします」


 声が震えたが、ちゃんと言えた。観客からくすくすと笑い声が起こった。


「それでは聴いてください。私たちのオリジナル曲です……。『地獄の自虐交響曲』」


「臨・兵・闘・者……ッ!」


 赤ちゃんの威厳あるカウントから曲が始まった。

 ずっしりと重たく、ねっとりと絡みつくような、鉄粉の混じった暴風雨のようなサウンドの中で、私は歌った。なりたかったミオ先輩のようなかわいくカッコよく、明るい歌ではなく、地の底から湧き上がる吐瀉物のような、暗すぎる歌を、地獄のカエルのように絶叫した。


 目玉をギョロリとひんむいて歌った。こんな自分を受け入れてくれない世界に対する恨みを! こんなダメな自分に対する呪いを! 正々堂々と!


 客席を見ると、耳を塞いでいる人がいる。あからさまに不快そうな顔をしている男子もいる。中には拳を振り上げ、頭を振り回して陶酔してくれているひともいるが、それは少数のマニアだった。


 でも、チラリと横を見ると、舞台袖からミオ先輩が見てくれていた。その表情はわからなかったが……


『うまくやろうなんて思うな、ただ、ほんとうのキサマを引きずり出し、自信をもって観衆に見せつけろッ!』


 赤ちゃんに言われたことが頭に甦った。

 

 私はミオ先輩に押してもらった背中の勢いそのままに、歌った。


 見ろ! これが私だ!


 私は、私だ!




 2曲を演り終えると、ミオ先輩が、袖からステージに駆け出してきた。

 感動しているような笑顔だった。


「すごいよ、インコちゃん!」

 がしっ! と、手を握られた。

「誰が何と言おうと──あたし、好き! 感動したよ! すごかった!」


 観客席からもおおきな拍手が沸き起こった。演り終わってみれば、意外に好評だったみたいだ。


 でも、私には、ミオ先輩がそう言ってくれただけで天国に昇るような気持ちだった。


「話したいことあるけど、今からステージだから、後でね!」


 優しい笑顔のミオ先輩にそう言われ、私たちは袖に引き上げた。


 休憩することなく、私はすぐに観客席に紛れ込んだ。


 舞台袖から見てもいいだろうけど、やっぱりミオ先輩のステージは観客席で見たい!


 ムキムキマッチョな男子3人を引き連れて、白いテレキャスターを抱えて、スポットライトに照らされたミオ先輩がステージ中央に立っていた。


「いえーい! みんなぁー! 『つゆだく豚丼』だよー!」


 手を高く挙げて、ミオ先輩がマイクに向かってそう言うと、観客席が爆発したみたいに跳ね上がる。

 私も恥もなんにも忘れて飛び跳ねた。大声を出した。


「じゃ、早速行くぜいっ! 聴いてくれ、新曲だぞ! 『美貌の全力少年』!」


 激しいながらも軽快な曲に乗って、ミオ先輩が歌った。

 みんなを勇気づける、みんなのための歌を。


 ミオ先輩の明るい歌声を聴いていると、陰キャだの陽キャだの、そんなことはどうでもよくなってくる。ただ、みんなを幸せにしてくれる。


 音楽大好き!

 みんな大好き!

 生まれて来れて嬉しい!

 そんな喜びを、みんなの中から引っ張り出して、みんなを幸せにしてくれる。


『あ! 今、音外した!』


 そんな失敗も吹き飛ばすように、明るくミオ先輩は歌う。


 そんな失敗さえ、かわいかった。カッコよかった。


 私はあんなふうにはなれない。


 でも、よかった。なれないからこそ、憧れることができるんだ。


 私も、ミオ先輩が、大好き!




 対バンイベントが終わって、人気投票が行われた。

 優勝はもちろん、ブッチギリで『つゆだく豚丼』だった。当たり前だ。

 私たちの『人類絶滅計画』は3位だった。

 みんな噛んだ唇から血を流して悔しがるかと思ったら、意外にスッキリした顔をしていた。

 私も満足だった。

 ニコニコ笑った。






「おつかれさまでしたーっ!」


 ミオ先輩がそう言って、コーラを前に差し出した。


「あ……。へへ……、お疲れッス」

 玉ちゃんがミネラルウォーターで乾杯する。


「チャララッ……」

 ゾンビちゃんはカッターナイフの刃をしまうと、トマトジュースを前に出す。


「はい。お疲れ様でしたぁっ」

 赤ちゃんが女の子になって、ジンジャーエールを前に掲げた。


「お疲れ様でした」

 私もコーラを前に差し出し、みんなと乾杯した。


 ミオ先輩に誘われて、私たち四人は2年C組のやっているメイド喫茶で合同打ち上げをやっていた。とはいえ『つゆだく豚丼』からは先輩一人だけで、五人での打ち上げだ。


「みんなの演奏、すごくよかったよー!」

 素直な笑顔でミオ先輩が言う。

「あたし、デスメタルにはあんま興味なかったんだけど、初めて級に感動しちゃった!」


「エヘヘ……。恐縮ッス」

「キレイ……。目玉が、キレイ……」

「ありがとうございます!」


 なんだ、三人ともミオ先輩のファンだったんじゃないか。


「ところで……インコちゃんっ!」

 突然、手を両手で握られた。

「『つゆだく豚丼』に入ってくれない?」


「「「「ええええっ!?」」」」

 みんな揃って驚いた声が出た。


「リードギターのごりら太郎くんが、辞めちゃうの。ボディービルダーに専念したいんだって」


 うん。


 正直、『つゆだく豚丼』は、リードギターがイマイチだと思ってた。

 見た目はごっついのに、ギターの音が繊細なぐらいに細く、勇気をくれるあのバンドの中では弱いと思っていたのだ。マッチョなひとは意外と繊細だと聞くが、やはりそうなのだろうか。


 でも……


 明るくポジティブな『つゆだく豚丼』に、私のキャラは合わないだろう──


 そんな私の自虐を吹っ飛ばすように、ミオ先輩が言った。かわいい目をキラキラさせながら──


「今日のステージ見て、思ったのっ! ウチのバンドに足りなかったのはこの音だ! って」


「でも……。あわゎ……、私なんか……」


「そんなんじゃなかったよ?」

 ミオ先輩の目が、まっすぐ私を見つめた。

「さっきのステージでのインコちゃんは。すごく堂々としてた! あの重たい音を、あたしのバンドにちょうだい!」


「お、重たすぎると思うんですけど……」


「いいのっ! あたしが気に入ったんだから」

 自信たっぷりな笑顔でうなずかれてしまった。

「男女二人ずつのバンドにしたいしさ……。コーラスもやってよ! インコちゃんがメインボーカルの曲もあたし、書くからさ……あっ?」


 呆然と私たちを見つめている三人に気づき、先輩が言葉を止めた。

 そして照れ笑いをすると、ぺこりと頭を下げて、みんなに謝る。


「……ごめんなさい。これ、引き抜きだよね?」


 みんなが顔の前で手を振った。

「いえいえいえいえ!」

「シャギャ……! ウシャシャシャシャ!」

「是非! インコを入れてやってください!」


 私は泣きそうになった。

 みんなに助けを求める勢いで、聞いた。


「陰キャは陰キャの集団の中にしか似合わないんじゃなかったの!?」


 玉ちゃんが言った。

「いや! 光り輝く大本美緒の相棒が、どんより重たいオマエっての、オレは面白いと思うな!」


 赤ちゃんが言った。

「プロになれるんだぞ? キサマ、シャキッとせんか!」


 ゾンビちゃんは何も言わずにカッターナイフの刃をおおきく出すと、悔しそうに目の前のコースターを切り刻みはじめた。


「そうだよ。色んなキャラがいていいの」

 ミオ先輩が、手を広げて、私をハグした。

「色んなひとがいるから、この世は面白いの。それぞれにまっすぐに、自分を認めたら、そこからさらにまっすぐに伸びていけばいいの」


「私がまっすぐに伸びても、すごく屈折した伸び方になると思うんですけど……」


「それでいいじゃない」

 先輩が私の目を覗き込んで、笑った。

「面白い伸び方、してよ! あたしには真似できないから、それ」



 私は陰キャの集まりを、卒業した。


 陰キャ仲間から祝福の拍手で見送られて、夢だったミオ先輩の隣でロックをやる。


 4,000人を既に超えている『つゆだく豚丼』のフォロワーが、私が加入したことでどう動くか、今のところはわからない。


「きっと新しいファン層も開拓できて、伸びるよ」と先輩は言うけど、どうなるかわからない。


 でも、これだけは言える。


 私は、私に産まれて、よかった!


 そして、みんなに『ありがとう』を!



 重たすぎるキャラのまま、この世界を突っ走ってやる!






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― 新着の感想 ―
∀・)愛おしいね。こういうインコちゃんみたいな女の子も陰キャの集まりも大好き。だけどそこで終わらないのがまたイイ。すごくロックだ。 ∀・)色んな人と出会って色んな人を知る。そのなかで色んな自分を知る…
このまま地獄に行くんじゃないかと思っていたら‥‥ なんとも爽やかなハッピーエンドに。 バンドのメンバーも、やっさしー。。(^^) でも‥‥ちょっと気になる残された人たち‥‥のその後。。。
読ませていただきました。 良かった〜。 デスメタル?ふと、「デトロイトメタルシティ」を思いだしました(笑)。 否っ。 素敵な青春モノですな〜。 はじめ、じめじめ、のちスッキリ晴れ晴れ! なんか、梅雨…
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