中編
「知ってるぞ、オマエ──」
一ツ玉さんが白い顔をニタアァと笑わせて、言う。
「軽音部で浮いてたんだろ? みんなに影で悪口言われてたんだろ?」
私は口をアウアウと動かすだけで、何も言えなかった。ミオ先輩だけは擁護してくれてたよって言い返したかったけど、一ツ玉さんの迫力に圧された。
「見返したいだろ?」
一ツ玉さんの顔がどんどんおおきくなってる気がした。
「あんな、くだらないやつらに、好き放題言われて悔しいだろ?」
「しょうがないもん……」
私はようやく、それだけ言えた。
「何がしょうがないんだ!」
後ろから赤鬼頭さんに怒鳴るように言われ、びくっとした。
「チキチキチキチキ……」
草田さんがカッターナイフの刃を長く伸ばし、笑っている。
「コロセ、コロセ、コロセウム」
「とりあえず、オマエにオレたちの音魂を聴いてもらおうか」
そう言って、一ツ玉さんがベースを持った。真っ白なボディーに血のような赤が滴っていた。
ドォンッ!
地獄から響くような力強い太鼓の音にびっくりして振り向くと、雷神のような威厳を身にまとった赤鬼頭さんが、恐ろしい形相をしてドラムセットに着いていた。
「キキキ……」
草田さんはキーボードの前に立つと、猫背でメロディーを弾きはじめた。不気味な、黒魔術みたいなメロディーだ。
「臨・兵・闘・者……!」
ワン・ツー・スリー・フォーみたいな赤鬼頭さんのカウントとともに、演奏が始まった。
圧倒された。
この世に対する怨みが120%凝縮されたような、ゴリゴリに重たいそのサウンドに、私は一歩も動けずに、魂消ていた。
そのうち自然に身体が動き出した。
でもそれは、ミオ先輩の音楽を前にしてノリノリになる動きとは違った。
私は自然と自分の身体を振り回していた。
拳を握りしめ、頭をぐるぐる回し、憎いものを踏みつけるように足を踏み鳴らし、口からは「あああああ!」と、自分の声ではないような声が自然に出ていた。
それはとても不快な音楽だった。でも、不思議としっくりと私に馴染んだ。
そんな私を見て、一ツ玉さんがニヤニヤと笑っていた。
演奏が終わるなり、一ツ玉さんが私に言った。
「どうだ? しっくりくるだろう?」
私はうなずくしかなかった。ハァハァと荒い息を吐きながら。
「では、オマエにギターボーカルをやってもらおう」
「いや……。待って!」
私はうろたえた。
「こんな凄いバンドで私なんかが……?」
「オマエしかいないと、オレは思うよ」
一ツ玉さんがニヤリと笑う。
「オマエは陰キャの中の陰キャだ。オレたちのバンドにぴったりだ」
「でも……私……」
正直な気持ちを口に出した。
「ミオ先輩みたいな音楽がやりたい……っ」
「たわけたことを言うなッ!」
赤鬼頭さんの横からの怒号に、飛び上がりかけた。
「大本美緒の音楽はキサマの音楽ではないッ! キサマはキサマの音楽をやるべきだろうがッ!」
「私の……音楽?」
「ゾンビになれ」
遠い世界で呟くように草田さんが笑った。
一ツ玉さんが諭すように言う。
「そうだ。オマエにあの陽キャだらけの軽音楽部は似合わん。薄暗くてじめじめとした、この地下室のほうが絶対に似合っている。自分に似合うことをやるんだ。……ほら」
エレキギターを渡された。
物凄く重たい、黒いレスポールだった。
「セッションしようぜ」
一ツ玉さんが言う。
「アドリブでいいから、好きにぶちかませ。コードはずっとAmとCの繰り返しな」
「よしッ! 臨・兵・闘・者……ッ!」
赤鬼頭さんのカウントでみんなが暗く重たく激しい音を鳴らしはじめた。
私もアワアワしながらギターを合わせた。
赤鬼頭さんが命令する。
「歌えッ!」
「な……、何を?」
「叫べッ! 魂の叫びを聞かせてみろッ!」
「シネシネシネシネ!」
草田さんが手本を見せてくれた。
「鬱憤を叩きつけるんだ!」
一ツ玉さんが赤い口の中を見せつけて言う。
「陽キャどもの明るい世界が正しいなんてされてる、くだらない間違った世界に対する鬱憤が、オマエの中にも溜まりまくってるはずだ! そいつを吐き出すんだよ!」
「そ……っ、そんなもの、ないっ!」
ミオ先輩は私の憧れなんだ。
くだらない間違った世界なんかじゃない。
ただ、私が、ダメなだけで──
「悔しくなかったのか!?」
一ツ玉さんが私を煽る。
「さんざんバカにされて、悪口言われて、悔しくなかったのかよっ!?」
悔しくは……なかった。
悔しかったというよりは、悲しかった──
でも、ミオ先輩がかばってくれたから──
「大本美緒から離れろ! アイツは陽キャだ! オマエはアイツにはなれない! 陰キャは陰キャの集団の中にいるべきなんだ!」
その一ツ玉さんのことばを聞いて、ようやく胸から何かがこみ上げてきた。
私がこんな私であることを呪うような気持ち──自分をぶち壊したいような衝動のかたまりが──
それとともに、私の口から声が出はじめた。
とてもじっとりとした、呪文のような声が。
「声が小さいッ! もっと引きずり出せッ!」
赤鬼頭さんに叱られた。
叱られたのが悔しくて、私の声がおおきくなる。
「まだ小さいッ! 内に籠もっているキサマを解放しろッ!」
私がヒステリックに声を張り上げると、また叱られる。
「ヤケになるなッ! ただ表現すればいいだけだ! キサマの中に隠れているたくさんの想いを表に出せッ!」
私の声が、私の声じゃなくなった。
暗室に閉じ込められたキノコの絶叫のようなシャウトが、私の中から現れ、部屋の中を満たした。
初めて聞くような自分の声なのに、それは今まで表に出してもらえずにいた、ほんとうの私の声のように聞こえた。
「やったな」
演奏が終わると、赤鬼頭さんが、やり遂げた笑顔で言った。
「陰キャ女王の御降臨だ」
「最高だったよ、ゾンビ」
草田さんが細すぎる手でキャッキャと拍手をしてくれた。
無我夢中でギターをかき鳴らし、叫び続けた私は、ただ放心していた。
彼女たちの目に、演奏中の自分がどう映っていたのかは、わからなかった。
一ツ玉さんが私の背中をびしょっと叩き、言った。
「秋の文化祭で『校内対バンイベント』が行われる。それを目指して吐き出しまくれ」
「……練習しろってこと?」
「いや、練習は初期衝動を希薄にさせる。テクニックの上達は大事だが、それに気を囚われて怨念を薄くさせるな。怨念をキープするんだ」
赤鬼頭さんがその言葉を引き継いだ。
「ウム。甲本ヒロトも言っている。『ロック・ミュージシャンのピークは初めてロックに触れた時だ』とな。キサマのピークは今、初めて自分の中に眠る怨念を放出した瞬間だったのだ」
一ツ玉さんが言った。
「ちなみに……『つゆだく豚丼』も出るらしいぞ」
「えっ?」
「その対バンイベントだ。あいつらプロだけど、学園内のファンを一番大切にしてるからな」
ミオさんのバンドと……対バン──
想像したこともなかったことだった。
「大本美緒のバンドに勝って、見返してやろうぜ?」
一ツ玉さんはそう言うけど、私はべつの理由でやる気がふつふつと湧き上がっていた。
ミオ先輩と、同じステージに立てる!
ミオ先輩に、ほんとうの私を見てもらえる! それが楽しみだった。
もちろん、出場バンドの中に入れるかどうかは、予選で決まるのだったが……




