わたしはげんきですか
夜の各駅停車が滑り込んできて、ドアが開いたときよりも、コンビニの自動ドアが開いたときよりも、水風呂に入ったときよりも、と例を挙げればきりがないのだけれど、とにかくそれよりも、目の前の少女は何か、冷たい風のようなオーラをまとっていた。
にたっと笑っているのを見ると、どんな男でもうえっ。そう言ってひるむだろう。村の青年の藤助もその一人だった。
「ねえ、フジスケ」とその少女は首をかしげるようにして笑う。
「トー、トースケだ。なんで俺の名前が分かった」
「さあね。目を見ればわかるよ」
少女の目は青い瞳だった。何か祈りをささげているのか、不安で揺れてはいたけれど。
「私は類経っていうんだ」
少女は、ニンゲンらしくふわりと笑う。それを見て、藤助は安堵した。今まで足に絡みついていたあの冷たいオーラは、どこへ飛んでいったのか、小さい少女と、藤助が会話をしている、ただそれだけなのだ。
「じゃあね、ばいばい。またいつか会いましょう」
そう言って彼女――類経はどこかへ飛び立っていった。
彼女にはまだ会っていない。そう、二度と。
たった30年だけの人生だった。
ろくなことがなかったなあ、と思い返す。
窓を見つめて藤助はため息をついた。
病床にふせている。間もなく悪魔がやってくるだろう。
藤助はふと思った。もし彼女が現れたならば、と。
いまの俺にとって、彼女はフローレンス・ナイチンゲールのように輝いてくれるだろう、と。
冷たい風が吹き込んできた。出会った時のような。
ぶわっとその風は皮膚に紛れ込む。脳内を操縦でもしているようだ。
覚めた気分でそれを見る。
高校生時代。彼女に振られた。それ以来彼は、類経のことばかりを考えるようになった。あの可愛らしい、ふわりと笑う少女を。
大学生時代。特に打ち込むこともない。
そして今。悪性腫瘍。もう治る見込みがない。がんも末期だった。
なんてことはない、たった一分、いや三十秒だけの対話だった。
でも。
たったそれだけの時間で、彼女——類経は、藤助の記憶に残ってしまった。
何かのウイルスの後遺症みたいに、腕にからみついてくる。
【またいつか、会いましょう】
いつかって、いつだ。
聞けばよかったな。いや、でもそれは彼女が許さないだろう。
ぷいっと、そっぽを向いて……
そう、今みたいに。
あぁ……
もう意識はもうろうとしてきている。
夢の中で、輪郭はすべてぼやけている。
三途の川へ、舟でわたる。一度に客を二人乗せるというその船には、先客があった。
「なあ、お兄ちゃん」
船長は、前を見たままいった。
「乗りなよ。この船には本当に大切な人がのっている。その少女はあんたがそんなにも自分のことを思ってくれて、嬉しいってさ」
彼女は、ぷいっとそっぽを向いてなんかいなかったのだ。藤助に満面の笑みがよみがえってくる。十何年ぶりだろうか。
考えなくてもよかった。この世に考えなければいけないことなどない。生きること、以外はね。
あたり一面ピンクと黄色の野原。春のあたたかい風が吹き抜けていく。