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告れアサヒ。

作者: 柴猫

 息苦しい。べったりと体に張り付く服と、内側から漏れる変な体温。


 ただ、いき苦しかった。どうしたら良かったのか分からない。どうにもならない、やるせなさが心に大きく影を落としていた。





「卒業生起立」


 だんだんと鮮明になる意識の中、聞き覚えのある声がしたのと同時に、肩をツンツンと突かれた。

 

「立って、立って」


 慌てて立ち上がった。


 見慣れた高校の体育館は、いつもの雰囲気とは違って、シーンと静まりかえっていた。

 卒業式で寝ていたことが信じられないのと恥ずかしさが相まって、顔が熱を帯びてソワっとした気持ちが、体を鳥肌のように伝わった。


 そして、前のステージに頭を下げてからクラスごとに順々に退場した。

 歩いている感覚は、妙になかったが赤いカーペットの上を隣の人に合わせて進んだ。


 体育館を出ると春と言わんばかりの、心地のいい温度が体を包みこむ。桜の花びらは、春風に乗せられながらゆっくりと流されていった。


 見慣れた廊下を歩き、もう入ることはないと思っていたクラスに向かう。


「朝陽、卒アルに一言書いて」


 友達にネームペンと卒アルを手渡された。なんて書けばいいのか、戸惑いながらも他の人の寄せ書きを真似てなんとなく書いた。


「ありがとう」


 そう言って次の人のところへ向かう友達の背中を見ながら、前はもっと上手く書けたのにと思った。


 朝のホームルームでもらった、自分のものにも書いてもらおうと思って卒アルを開いた。高校生活の写真が写っていた。ふと次のページには、片思いの人とのツーショットとがあったなと、思い出してページをめくった。

 やっぱり可愛い彼女、千穂は、にっこりと嬉しそうに白い歯を見せて笑い写っていた。


 その写真を過ぎていった三年間の思い出と一緒にまたとじ込み、窓辺に集まる友達の輪の中へと向かった。


 卒業だっていうのに、この変わらない友達との雰囲気に包まれながら、最後にいつものくだらない話をして、短いその時間を過ごす。

 ずっと続くと思っていた、この三年間がどこか音もなく溶けていくのを感じた。


 窓の外を見ると、二年生のクラスの名残惜しさを抱えながら、このクラスに向かった一年前の、春の景色が見慣れた窓の外はあった。


「ね、朝陽。千穂に書いてもらった?」


 おどけた悪童のような顔で友達の兼親、ことカネチーが言ってきた。


「もらいに行くわけないでしょ。相手、彼氏いるし」


 何回聞いてくるんだよ、と思いながらもこの会話を千穂に聞かれていないか心配になった。  

 それで、千穂のいる方を見ると楽しそうに友達と話していて、少し安心した。それと、ほんの少しちょっとだけ振り向いてほしくもあった。


「えー、けど最後だよ。もう会えないからラストに行って来いよ」


 欲望を叶えてようとする悪魔の囁きのように聞こえる気がした。ただ、どこか書いてもらいたい、書いてと千穂に言いたかった。


「いや、いいやー。なんか彼氏の雨宮と気まずくなりたくないし」


 適当にそれっぽいことを言った。誤魔化す言い訳を、言いたくはない言葉をなんとか並べた。


「そっか。後悔しないならいいんだけど」


 そんなことをしていると、担任の先生が教室に入って来た。


 最後のホームルーム。


 あっさりとした終わりだった。


 卒業の実感はない。


 それから、友達とまた会おうって、卒業式みたいに実感のない滲んだ言葉を交わして校舎を出た。


 だいぶ人も少なくなり、駐輪場には点々としか自転車が並んでいなかった。


 もうここには、自転車を停めに来ることは一生ないんだなと、遠い目をしながら懐かしさに浸った。


 足音がした。


 心のどこかで千穂だといいなと期待して、振り向いた。


「朝陽どこ行ってたんだよー、探したんだから最後に一緒に帰ろうぜ」


 カネチーだった。


「いいよ。そっか、カネチーとも一緒に帰るのこれで最後か」


 そんな上手くいかないか、静かに一人ひっそりと心の中で呟いてカネチーと並んで歩いた。

 校門近くはまだたくさんの卒業生がいた。


「あれ、朝陽じゃん。先生おまえのこと探してたよ。卒アルのカバーの箱忘れてるって」


 クラスの友達が近づいてきて、衝撃的なことを言ってきた。なわけないでしょと思いながらも、カバンを開けてみると、見事に裸の卒アルがあった。


「やっべ、カネチーちょい待ってて。受け取ってくる」


 自転車とカバンをその場に置いて急ぎ、クラスに戻った。


 人が点々としかいない校舎の中、教室に戻ると先生がいた。お前なーって袴を着た先生が卒アルのカバー手渡してくれた。先生に最後のさよならを言って教室を後にした。


 すると、女子トイレからハンカチで手を拭きながら出てくる千穂を見つけた。


 気がついたら名前を呼んでいた。


「千穂」


 振り向いた彼女は、泣いていたのか少し目が赤くなっていた。それから、はにかんだような笑顔で近寄ってきた。


「朝陽くんじゃん、まだ校舎に残ってたんだ」


 焦りと嬉しさが大渋滞を起こしていて、なかなか言葉が出てこなかった。


「カバー忘れてて、卒アルの」


 手に持つ卒アルのカバーを見せながら説明した。


「あーそういうことね」


 それからちょっとした沈黙があった。


「えっと、なんかもう卒業なんだって感じだよね」


 千穂が前髪を耳にかけながら話をつなぐ。


「全然実感ない」


 書いてもらおうか、どうしようかと悩んだ。今はチャンスだと分かっていても、どうしても踏み出せない。

 今ほど時間が止まってくれと思ったことがないほど、いくら考えても答えが出ない。それどころか、頭がクラクラするみたいに全然何も考えられない。


「それじゃあ、朝陽くんじゃあね」


 息を呑んだ。


「ちょ、ちょっと待って」


 噛んだ。けど、そんなことをどうでも良かった。


 ブレザーのポケットからカネチーから貸してもらって返しそびれていた、ネームペンを取り出す。


「これ、書いてほしい」


 卒アルのカバーとネームペンを千穂の前に出した。


「あ、書いてなかったけ。いいよ」


 カバーとネームペンを千穂が受け取って、可愛らしい丸い字でメッセージを書いてくれた。


「カバーに書くのか」


 千穂は、ポツリとそう言い面白かったのか、一人ツボって笑いながら書いてくれていた。


「これしか持ってないし」


「教室にいる時に言ってくれたら良かったのに」


 心臓がキュッと痛んだ。


「はい、できたよ」


 ありがとうと言って、カバーとネームペンを受け取った。六行くらい書いてくれていた。朝陽くんいつも面白くて……。


「これ、私のも書いてほしい」


 カバーに書かれたメッセージを読んでいると、千穂がカバーつきの卒アルを手渡してきた。受け取った卒アルをカバーから出そうとすると。


「私のも朝陽くんのみたいにカバーに書いて」


 お茶目っけな笑顔でそう言って、カバーのここにと指差した。


「オッケー、なんて書こうかな」


 ふざけてそう言ってみると。


「え、いっぱいあるでしょ。三年間一緒のクラスなんだからさ」


 上目遣いで怒っているよとアピールする、千穂を横目にカバーに書き始める。



三年間ありがとう。なんだかんだ楽しかったよ。大学でもがんばれ


 

 あたりさわりのない、文章の途中でペンが止まった。

 なんて書こうか、夢の中にいるんじゃないかってくらい、何も思いつかない。


 ただ、これだけは言っておこうと思った、ネームペンのキャップを閉じる。

 どうしても出てこない勇気が、どこからともなくフッと不思議と湧いてきた。


「もお、終わり?」


「いや、これは書かなくて直接伝えたくて」


 きょとんと首をかしげて、形のいい眉を寄せる千穂の目を見た。


 目を合わせるとその根拠もない勇気が、告白しようと思っていた勇気が、消えていってしまいそうになる。消えない前に、覚める前に。


「好きなんだ」


 目をぱちぱちと瞬きし、戸惑った表情をする千穂。


「雨宮が彼氏ってのは知ってるし、自分勝手なのは分かってる。だけど、どうしても伝えたかった」


 言い切った。


 それと同時に、言ってしまったと千穂の顔を見て後悔した。


「えっと……」


 千穂は、おろおろと前髪をいじりながら、困ったように笑った。


 そして、千穂が口を開いた。


「ーーーーーー」





 設定していたアラームの音で目が覚めた。


 あれ?夢だったのか。


 虚しいような寂しいような、やるせない喪失感が漠然と横たわっていた。


 時計をみると九時二十三分だった。


 そういえば、風邪で体調を崩してたんだっけな。さっきの卒業式の夢は、高熱の時によくみる疲れる悪夢だったのかと、歯切れの悪い余韻を一人で味わった。

 喉がかすかに痛いが、体から倦怠感は抜けていた。


 けれど、その夢のせいで疲れたのに加えて変に頭が重い。日が差し込み少し明るくなった、見慣れた部屋の天井をぼーっと眺めていた。


 寝返りをうつと机の上には、寝る前に見た出しっぱなしの真っ白なカバーのままの卒アルが目に入り、深くため息をついた。

 どうして書いてもらわなかったのだろう、後悔してもどうしようもないと分かっていても、クヨクヨしてしまう。


 これじゃあダメだと、起き上がりカーテンを開けた。


 眩しい光と共に、青い空に薄い雲がほのかに浮かんでいるのが見えた。

 窓を開けると、春の陽気な風が吹き込んできた。心地のいい春の温度が体を包みこみ、心が凪いでいくのを感じた。


 スマホを取り出して、カネチーにありがとうと、なんの脈絡もない連絡した。


 勇気なんてわかなくても、そんなものがなくたっていいと思い、雨宮とのトーク画面を開いた。


ごめん


 そう一言、短いメッセージを送った。


 そして、千穂と書かれたトーク画面を開いて、少しためらったが電話をかけた。


 日曜日の午前九時半、空は晴天でどこまでも青く澄み渡っていた。

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