第32話 唯一無二の色
「できた…!」
最後の刺繍のカメリアを縫い付けると、マダム・ルーランが感極まったように発した。
その一言と共に、わっとその場にいた全員が歓声を上げた。
「素敵!!」
「美しいドレスですわね…!」
なんだかんだで、前日にドレスが運び込まれた時は、まだ未完成だった。
そこに手伝いがまた一人、また一人と増え…最終的には、私に係わるメイド達全員が、自分達の仕事以外にもこのドレスに時間を費やしてくれた。
「美しい色だな」
「はい!お父様の扇子もきっと似合います」
シュアンのドレスの完成は、まさにアリストクラッツ・フェアーの当日の朝の出来事だった。
ようやくほっと一息…もつかの間、ルルが私の肩をがしっとつかんだ。
「あ、大変お嬢様!準備をしないといけません」
「え?もう?まだ昼になったばかり…」
「遅いくらいですわ!」
「あ…は、は。ククナ、またあとでね」
「うん!」
そう言ってほっとしたようにほほ笑んだククナはそのままばたりと倒れてしまった。
「あ?!」
「大丈夫です。お嬢様…よく眠っていらっしゃいますわ」
「ククナ…ミナル、ありがとう!マダム・ルーランも…無理を言ってごめんなさい。本当はもっと時間をかけて造るものなんでしょう?」
「いいえ。私たちデザイナーは、いつでもお客様のご要望にお応えするのが仕事ですもの。さ、早く準備をなさって…私達に完成の実感を味あわせてくださいな」
「…はい!」
「では、お嬢様!早速…」
「いや、入浴は一人がいい」
「はぁい…」
(やっぱり…お風呂はできれば一人がいいなあ…)
今日の朝刊で、エストランテ学院の不正が記事になっていた。…セフィール・ヴァラモが声明を出して、「一学年の教官による不正な金銭のやり取りが公になり、しかも、勝手に才能を投資に変えるビジネスを作っていた」と、あくまでヴァラモ側は被害を受けた立場であると公言したらしい。朝早く、それでもアリストクラッツ・フェアーは予定通り開かれると使者の人がわざわざ報告に来る辺り、ヴァラモもただ傍観するだけでは済まなかったのかもしれない。
つまり…本当にクロノ先輩は、ヴァラモにあの書類を渡してくれた、ってそう言うことだろう。
うーん…あの人何者??
(あの闇市場…ヴァラモは無関係だったのかな)
お父様にも、ちゃんと一から説明した。
…クロノ先輩の部分は少し端折ってるけど、おおよそは間違ったことは言っていない…から、多分大丈夫。うん。
ばしゃん、とお湯の水を指ではねる。
今回の事件で、よくわかった。ヴァラモ公爵家は大貴族で、権力もあるし、その影響力は絶大だ。今や一部の貴族を除いて、どの家門もその恩恵を受けている。
彼らが時代を作り、王の替わりにこの国を動かしていると言っても過言ではないのかも知れない。
だからこそ、私は絶対に彼らに与することはしない。どこまでできるかわからないけど…彼ら自体がこのアズレアに根強い『格差』をもたらしてるなら。
「決めた。私は…大人になっても、私だけの道を行く…!」
このシュアンという色は、赤よりも深く、朱色よりも明るい。
光の加減で色が少しだけ変わる性質を利用したのが、肩から腰、ドレスのまで全体にちりばめられたこの黄金の弦のラインと、カメリアの花の造形。
広がるシフォンとシュアンの生地は様々な方向から見ても違う色に見え、後ろにかけて眺めに作ったトレーンはまるで蝶の羽根のようにひらひら風を受けて舞い、とても綺麗。
「苦しいところはありませんか?」
「ええ。大丈夫よ、マダム!でも、こんな素敵な生地…よくすぐに用意できたね」
私は、アズレアにある一流デザイナーが務めるブティックをいくら探しても、絶対にこのドレスよりも美しいものはないと断言できる!
「…実を言うと、リア―ネ様がお元気でいらしたころ、生まれてくる娘のために、と特別に取り寄せた色だったんです。」
「…お母さまが?」
「この色は、唯一無二の色です。赤にも染まらない、何色にも染まらない、特別な色…このパーティーに最もふさわしい色ですわ」
「唯一無二の色…」
そして、まだ少し眠そうな表情のククナはサイドテイルで止めた私の髪に、ドレスと同じカメリアの髪飾りをつけてくれた。
「これも、カメリアなのね…もしかして、ククナが刺繍してくれたの?」
「うん!」
「ありがと」
「…さあ、完成です。下にはもう、エイデン家の御子息様がいらっしゃってますよ」
(そう。私は、リッハシャル=ルドヴィガ…)
そして私は鏡の中に映った自分に笑って見せる。
「行ってきます」
階段を降りた先で待っていたのは、エイデン家のカラーともいえる、青緑のジャケットを着たケディとフォーレだった。
(ケディはリボンタイで、フォーレはネクタイ…なんからしいっていうかなんて言うか)
「ケディ、フォーレ!」
「!」
「え…あ」
二人同時に顔を見上げ…石像みたいに固まってしまった。
「?」
「!!ごほん!…シャ、シャル。すげえ綺麗…な?!フォーレ!」
「!あ、う、うん。…素敵なドレスだ…」
そして、フォーレは私の足を見て、みるみる顔が赤くなる。
「あ、足」
「ん?あー…ふふ。ちゃんとシームレスストッキングもはいてるし、ガーターベルトで止めてるよ?」
「見、見せるな!!全く」
「目のやり場に困る…」
うーん…この子たちにはまだ早かったかな?
でも、反応は上々だ。
(これなら…みんな注目するはず)
私が見せたいのは、このドレス。
キアルーンというみんなが格下だと決めつけている、異国のデザイナーが作ったもので、この素晴らしい刺繍はいつも誰かに何かを言われることを怯えていたククナが作ったものだって。
「一応…シャルも知ってると思うけど。暗黙の了承で、ヴァラモのアリストクラッツでは、深紅はNGだ」
「うん。大丈夫よ、フォーレこれはこの国にはない【特別な赤】だから」
「気合、入ってるな。シャル!」
「そうよ、ケディ。ちゃんとエスコートしてね?二人とも!」
そうして…私にとってはセミデビュタントとなる、非公式の夜会が始まったのだ。
**
ヴァラモ家は、中心部にもいくつかのタウンハウスを持っている。
首都の一南側の高台に当たるファスト・タウンは、見晴らしも良く、貴族の邸が集中する場所だが、その中の一等地に当たる【オステリア・ハウス】は最も豪華で最も華やかなヴァラモのタウンハウスとなっている。
続々とやってくる馬車を見下ろし、セフィールはため息をつく。
「お兄様、大丈夫?あまり顔色が良くないわ」
「ああ…ルビィ。うん、今日も美しいね」
「ええ…」
ルビエルはそう言うと、一度不服そうにセフィールの目をじっと見つめ、くるりと回転する。
ふわり、と赤い深紅の薔薇模様が揺れ、赤い髪に挿し込まれた真珠の髪飾りが煌めく。
「…エストランテの事、お伺いしましたわ。お兄様…さすがです!不正の証拠を見つけてしまうんですもの!」
「うん…これで、兄弟の中の序列も上がるだろう」
(それにしても、浮かないお顔…この間から、なんだか様子がおかしいわ)
「そろそろ行こうか。我々は招待客を迎えないと」
「わかっていますけど…あ、お兄様ってば」
すたすたと先を歩く兄の背中を追いかけた。
しかし、途中ぴたりと足が止まり、手袋を整える指先が不自然にぴたりと止まった。
「お兄様…?手袋が」
完璧だった所作が、まるで取りつかれたようにぎこちなくなり、何かに吸い寄せられるように半歩、身体が傾いた。
(え?…何、その反応)
誰に対しても、傲慢で冷ややかに見つめるはずの瞳は、ただ一点だけを凝視していた。
時が停まったように息を凝らして、魅せられたように恍惚と見入っている。口がわずかにひらき、ひゅっと息を漏らした。やっと発せられた言葉に、ルビエルは首を傾けた。
「……君は」
(彼を…こんなふうにさせているの誰?)
「こんばんは。…招待誠にありがとうございます」
カツン、とヒールの音が鳴り、セフィールは我に返ったようにはっと目を見開いた。
「リッハシャル‘=ルドヴィガ…」
さらりと黒い髪が揺れる。
どこか挑戦的にほほ笑むその表情に、まるで宝物を見つけたように彼女の名前を呟く兄の姿に、ルビエルは心がひりついた。
(お兄様らしくない…なんなのよ、これ…それに。誰も私を見ていない…!)
どうしても、その美しい色とデザインと…青い瞳は、ルビエルの目さえとらえて離さない。
「あの子…ドレスの色」
「あれが噂の…ルドヴィガ家の?」
今は、その場にいる誰もが、異国の娘と言われた彼女しか見ていない。
ドクンドクンと早鐘をうつ胸を抑えるように、震える指先でスカートのすそを持つ。
(私は…ルビエル=ヴァラモ。ヴァラモの花よ…っ)
「よ…うこそ、リッハシャルさん。…入学式以来ですわね」
「はい。お招きありがとうございます」
「そのドレス…とても美しい色ですわね」
「…ルビエル様こそ、輝くような深紅の赤いドレス。まさに今咲き誇る薔薇のようでとてもお美しくていらっしゃいます。これからアズレア王国にどのような実をもたらすのでしょう」
「…我がアリストクラッツ・フェアーに深紅の色のドレスを着てくる方はそういらっしゃいないので、とても新鮮ですわ。でも、初めてですもの、ご存じないのでは仕方ありませんわよね」
まるで不快、と言わんばかりに、ルビエルは洋扇を閉じ、左耳に当てる。
それを受け、リッハシャルは洋扇を閉じて、右頬に先端をあてた。
「ええ、存じていますわ。ですがこの色は、赤ではなく遠い異国の地では、祝時の色とされるシュアンという色でございます」
「異国…?」
(まるで、血のような赤…でも)
「亡き母の愛した色であり、父と母を結んだ色であり…私にとっては唯一無二の、何色にも染まらない赤ではない別の、最も美しい色だと思っています」
「…そ」
「ルビエル」
「…!」
ルビエルは何かを言おうとするのを遮り、セフィールが一歩前に出た。
「失礼。私の妹が…無作法を。ここは僕に免じて赦していただけないだろうか」
そのまま軽やかに手を取り、視線を外さず口づける。
その瞬間、周囲がざわついた。
「―――いいでしょう。あなたのパフォーマンスに免じて」
「リッハシャル=ルドヴィガ、今日のあなたは誰よりも美しい」
「…手を」
退こうとするその手首を親指でそっと押さえつけようとするが…大きな掌が、その手を攫う。
思わず、セフィールの瞳にじわりと怒りがにじんだ。
「無礼な」
「無礼はどちらでしょう。度が過ぎたパフォーマンスは…家門の品位を損なうのでは?」
「ケディック=エイデン…いや、エイデン小公子と言うべきでしょうか」
「我々は二人で一人です。」
「フォーレスト=エイデン…」




