第12話 美容の悪魔が囁くとき
「ベラドンナ」
私がそう言葉にすると…直接脳裏に浮かぶ。
それは、まるでスマホの画面を見ているような感覚で、例えばスレッドが何列も並んでいくように、形状、効用などたくさんの文字が浮かんで私の中にインストールされていく。
膨大すぎる情報量は、処理しきれなくて、頭がくらくらする。
「ち、違う、私が欲しいのここじゃなくて…」
…そう口に出すと、画面は切り替わり私が最も欲しい情報にたどり着く。
『ベラドンナ:別名美容の悪魔。目薬、香水、お香など―――』
(そう!これ…!!)
ここまで来た瞬間、バチン!と身体に何か電流のような物が走り…私はそのまま気を失ってしまった。
「…いいなあ、女の子」
応接室の一角、ぐっとウィスキーを飲み干しイルモンドがうなる。
それに同調するように、妻のデアヴィラもまた、ため息をついた。
「うーん…やっぱり本物の女の子の可愛さには敵わないわ」
そんな二人の会話を、レイドックは聞きながら首を傾げた。
「…なぜ、あの子たちは服装を入れ替えたり、女の子の格好をしているんだ?」
「この、堅物め。お前は相変わらず、はっきり言うな。…あの子たちなりの処世術、なんだそうだ」
「男児の双子ゆえ…か」
「…そうさ。僕らがいくらあの子たちを別々に見て、平等に育てたとしても…必ずその時は来る。ほかの傍系連中は二人の優劣をつけたがるし、どちらかを選びたがるからな」
「賢い子たちだな。…自分の未来に気が付いているのだろう」
レイドックの何処か他人事のような言葉に、婦人は苦笑した。
「…あなたのところはどうなの?その、ロザベーリ様とは」
そこまで言いかけて、婦人は言葉を止めた。
「……うまく、いっていないのね」
実際、夫の友人であり、自分達よりも格上のエイデン一家が来ているというのに、ロザベーリは体調不良を理由に一度も顔を見せておらず、婦人を避けているのは明らかだった。
「人間とは難しい。本音と建て前を使い分けることができるのは言葉だけだ」
「二人のことに口を出せないけれど…リッハシャルと夫人は?」
レイドックは静かに首を横に振る。
「…あの子は、とても賢い。ロザベーリに対しても、どこか一線をひいているし…気が付かなかったのは、俺の落ち度ではあるが、あの子はずっと日の当たらない北側の隅の部屋で、まともな侍女もつけず過ごしていたようだ」
「それは…今は?」
「今はもう、専任の侍女もつけているし、俺の部屋のすぐ近くにいるから。しかし…こう、小さな不信は積み重なりすぎると、全ての事柄が信じられなくなってしまうものだな」
(…本当にどうしてこうなってしまったのか)
「これからどうする気だ?…今のお前なら、《《あの家》》の後ろ盾など不要だし、今更義理立てする必要はないだろう?」
「あと半年で7年になる。…その時、シャルの意見も聞いて。その後は好きにさせてもらう」
「それを聞いて安心した。リッハシャルとはうまくいっているんだな」
「俺にとって、この世の全ての色は一度、失った。…それでも、あの子がいるなら)
少し前の自分なら考えもつかなかった一つの答え。
それが、今レイドックの中で変わりつつあるのだった。
「…あの話も、考えておいてくれよ?」
「……まだ、早いだろう」
「あら、私とイルモンドだって、出会いは6歳の頃でしたわよ?」
「悪い話じゃないと思うけどなあ……まあ、まだ時間はあるさ」
「のろけ話はうんざりだ」
そう言って、レイドックは席を立って手を振り、二人に背を向け退出したのだった。
しん、と静まり返った廊下を歩いていく。
「少し飲み過ぎたか…」
士官学校の同期でもあるイルモンド・エイデンとは付き合いは長い。レイドックにとっては、本音で話せる数少ない友人の一人でもある。
王家の直下であるエイデン侯爵家と、歴史が古い旧家であるルドヴィガ伯爵家は切っても切れない縁の間柄。年齢も同じで、幼少のころから学友の一人として過ごしており、兄弟のような感覚に近いのかもしれない。
自室に戻る最中、ふと足を止める。
(あの子は…食事をとっていないようだが、大丈夫だろうか)
「……」
少しだけ、と思いドアノブを回してみて…床の上で倒れているリッハシャルを見つけた。
「シャル?!」
脳裏にリアーネの最期の姿が思い起こされ、さっと青くなる。
「う…ううん」
「シャル…どうした?!一体これは」
「あえ…?おとーさま…」
「…どこか苦しいのか?」
「あ そうじゃなくて…えっと わ!」
ふわ、と抱き上げる。
思った以上に軽く、レイドックは戸惑った。
(こ、こんなに軽いのか)
少しでも力を入れたら壊れてしまいそうなくらい、弱々しい。
必死に記憶を手繰り、かつてリア―ネが言っていた子供の抱き方を思い出した。
「肘でこう…座らせて」
「お、おとうさま、私だいじょうぶです」
「…大丈夫なわけ、ないだろう」
「え?」
「お前が年齢相応に駄々をこねたり、わがままを言ったり…そう言う姿を見たことがない」
「それは…」
「……そう、させているのは他でもない、私だろう?」
ベッドに寝かしつけようとすると、小さな手がブラウスの裾を掴んだ。
「あの…ね、その」
「シャル?」
そっと頭を撫でると、青色の瞳からぽろぽろと涙がこぼれた。
「お母さま…どうして」
「え?」
「…~っ…しんじゃっ…の?」
「リッハシャル…」
「うえぇっ…うわぁん…っ」
「……うん、そうだな」
(ずっと…我慢していたんだな)
小さな身体を抱きしめていると、呼吸が落ち着き、やがて……ゆっくりと眠りについた。
「…シャルは、君によく似てる」
黒く真っ直ぐな髪は、この国では珍しい。
青い瞳は自分譲りではあるもの、リッハシャルを見る度、かつてのリア―ネを見ているようで、とても苦しく感じたこともあった。
冷たくなったリア―ネが眠る棺の前で触れたリッハシャルの手は、とても冷たくて…でも、しっかりと自分の手を握り返した。
(つないだ手は…こんなにも暖かい)
「…リア―ネ。…俺は必ず、この子を守る。それがたとえ――」
耐えがたい理不尽の中にさらされようとも。
その覚悟が、レイドックの胸に宿った。
パラパラパラ…
(あ、本のページがめくれる音。これは…多分、夢だ)
それは、小さな子供が見るような絵本で、小さな女の子とお母さんが一緒に甘いケーキを食べているお話し。その子供のところを、いとおしそうにそっと指でなぞる。
――コンコン。
「…いいかしら?」
「ええ。どうぞ」
パタン。
閉じた本を横に置き、傍にあった小さな瓶を手に取った。
「リア―ネ。あなたは、本当に美しいわね」
「!」
その声が聞こえた瞬間、《《私》》は小さな瓶を窓辺に置いた。
――彼女の目に留まるように。
(…この人は、苦手)
それは、まるで誰かの身体を通して世界を見ているような、そんな感覚だった。
身体が勝手に動く、勝手に話す…そこに、私の意志はまるでない。
「あなたほどではありませんわ、ロザベーリ」
「…そう?」
そう言って、冷めた瞳でこちらをほほ笑む。
――ぞっとするほど、冷たい表情。
「ねえどう?試してみた?…ほら、瞳が大きくなる薬。あなたの瞳は細く切れ長で、いつも劣等感を抱いていたじゃない」
「すぐに効果が出るわけではないのね」
「勿論。でも、毎日摂取しないとだめよ?…彼が望んでいるんだもの」
(劣等感…?リア―ネ…お母さまが、一体何に?)
「今日はね、気持ちが落ち着くように、この紫色の香も用意したの。…あなたの故郷から取り寄せたのよ」
ふわりと薫る甘い香りは、なんだか眠気を誘う。
「私の…故郷?」
「そうよ。彼はもっともっと…あなたに美しくなってほしいって、そう言っていたわ」
「もっと…美しく」
なんだか、良くない感じ。
ダメよ、リア―ネ。…そう言いたいのに、言葉が出ない。
(ロザベーリは…リア―ネを、どう思っていたの?)
憎んでいた?…違う、そうじゃない。
きっと、ロザベーリは―――!
ギュッと目をつぶると…私の意志は戻った。
「あ…れ?」
ふかふかのベッド。
…カーテンから差し込む光。
「朝…?昨日」
そうだ、初めてのスキルを使って…そのまま気を失ったんだ。
でも、今はちゃんとベッドに横になっていて、意識もはっきりしている。
「おはようございます。お嬢様」
「ルル…?」
「先ほどまで、旦那様も一緒にいらっしゃったんですよ」
「お父様…?あ」
(…思い出した)
なんかこう、状況に呑まれたっていうの?内側から気持ちが沸き起こって、目から水が出たっていうか。
そして…子供みたいに泣きじゃくってしまっ……ああ、顔から火が出そうーーー。
「…お、お父様は」
「お仕事に戻られました。ご朝食は、お嬢様の無理のない程度で、とのことでしたわ」
「だ、だいじょうぶ。起きるよ!」
ぱっと起き上がろうとすると、ふにゃ、と力を失ってしまう。
(う、動けない…こ、ここまで消耗するの?!あのスキルって)
一度深呼吸をして、ゆっくりと動く。
「だ、大丈夫!」
そして…窓辺にある小瓶を見て、言葉を失った。
(あの瓶…夢の中で)
美しくなるための薬、とロザベーリがリア―ネにあげていたものに間違いはない。
スキルを使ったときに得た情報に『美容効果』と『香水』と書いてあった。そして、『幻覚症状』の中毒作用も。
それはつまり。
(ロザベーリは…最初から、リア―ネを殺すつもりだった?)
「あ、あのルル…」
「はい?何でしょう、お嬢様」
「お母さまって…なくなるとき、どんな様子だった?」
「え…」
5歳の子供がこんなこと言うの、おかしいと思うかな。でも…確認しないといけない。
お母さまはどうして…なくなる直前、娘であるリッハシャルと会えないまま亡くなったのか。リッハシャルに残された記憶をいくら辿っても、リア―ネと一緒にいる記憶が何処にもない。
最初は、そもそも娘に愛情がない、とか…そんな理由を想像していたんだけど。
もし、人の目に触れられないくらい、おかしくなっていたのだとしたら。
「…夢を、ずっとご覧になっているようでした」
「夢…?」
「……心が、どこか遠くに行ってしまっていたのでしょう。ごめんなさい、お嬢様。私からそれ以上は」
ルルは、相当やんわり濁したのだろう。
でも…ベラドンナの効用と、「毒を盛られた」という言葉から推測できる。
―――きっと、既に気が触れて正気ではなかったのだろう、と。




