Tears in heaven
その日は、妻から息子の帰りが遅いと聞いていた。
「時間になっても陸が帰ってこないの」
いつも設定している門限から2時間も過ぎていると。それなのになんの連絡もないと。
だから心配だった。
どこか電子頭脳に誤作動を起こしたのか、こんなの初めてのことだから探しに行かなければ。
そう思った矢先、家のインターホンが鳴った。
「警察の者ですが」
警察手帳を見せつけ男は続けた。
「お宅の息子さんが遺体で発見されました」
嘘だ。いや、そんなワケがない。
なぜなら、私達の息子はロボットだからだ。
プログラム上そんなことはできない。
陸の死体を見るまではそう信じていた。
「大変ショックを受けるかもしれません」
そう前置きされ、グレーのシーツを剥がされ、私達は陸の遺体を目の当たりにした。
その肌は人間と遜色ないほど滑らかで、髪も鼻も耳も違和感を感じられる場所はない。
本来なら。
今は肌が擦り切れ、金属特有の銀色の光沢が顔中体中に見られた。
鋭利な部品が所々皮膚を貫いて露出している。
どれだけ落ち着こうとしても目が泳ぐ。直視できない。
陸は死んだ。
我ながらロボットにこんな表現を使うのは馬鹿馬鹿しいとも思う。
でも私達には彼しかいなかったのだ。
14年前私達は陸を買った。私達が子どもに恵まれなかったからだ。
正しくは今の陸より3世代前のAIを使ったロボット。
その時の型式番号はHCR-07。陸はHCR-10だ。なんとも味気ない名前だろうか。
私も警察から陸をその名で呼ばれるまで忘れていた。
現場検証の結果、陸の死因は高層階からの飛び降り自殺と推定された。
なぜ?
そもそもAIが自殺する状況なんてありえるだろうか。
いや、無理だ。
口では人間と同じに扱っている。でも私達はよく知っている。
彼は、というか全てのロボットはどうしようもなくロボットなのだ。
感情は無いし自我もない。
十数年一緒に生きてきて誰よりもそれを知っているはずだ。
その事実から目を背けながら十数年を生きてきた訳でもあるが。
だからきっと、これはプログラムのバグなのだ。
どこかで不具合が起きて、足をすべらせたに違いない。
ここまで体が傷ついては修理にも出せないだろうが、チップさえ、記憶チップさえ生き残っていれば、移植してまたやり直せる。
私達の陸は、きっと戻ってくる。
そう思いたち、今度こそ陸の顔を見ようとする。
こめかみ辺りにあるチップを取る。
これのバグを改善すれば……
「すみません。」
警察官に割って入られた。
「念の為チップの内容を拝見させていただきます。」
「そんな……私達の陸なのに………。」
妻が反論する。
「後にお返しします。我々もこんな事件珍しいモノでして。当時の状況を知る手がかりも少ないのです。どうか、捜査にご協力ください。」
そう言って警察官は頭を下げた。
あの日から数日、私達は長い休みを取った。
特に何をするわけでもないが、簡単に職場へ復帰する気力も無かった。
また、インターホンが鳴った。
来たのは警察では無かった。
タートルネックに白衣を着た、いかにも研究者というような出で立ちの男だった。
男は自身を天馬博士と名乗った。陸のAIの制作に携わったと。警察の捜査に協力しているとも。
「あの後も継続して捜査を行っていたのですが、死因はやはり飛び降りでの”自殺”でした」
やけに自殺を強調する言い方で、天馬博士は私達にそう告げた。
「自殺ですか?ロボットが自殺なんて、果たしてできるのでしょうか」
「私も捜査に関わるまでは半信半疑でした。なにせ自殺なんて感情もなしにできませんからね」
お二人はあのチップの中身、まだ見て無いでしょう。
そう言われ、私達は固まった。
「お子さんが亡くなる直前、彼は記憶チップを覗かれることを見越して、ビデオレターのようなものを作っていたんです」
「息子は、陸はなんと?」
妻は反射的にその話に飛びついた。
「彼、学校でいじめられていたんです。お二人はそんな話聞いていないでしょう?」
「一度も……」
「嘘をついていたんです。研究者としてはこれだけでも異常なことに思えるのですが、今回の件もあります。これらの事象から勘案するに、お子さんは人間と同じ感情を持っている可能性が高いです。」
陸が、感情を持っている……
人間と同じだって?
学校でいじめが起こっていた。
私達は、一度も、ただの一度も気づいてやれなかった。
プログラムのバグなんかじゃない。私達がどこかで気づいてやって介入していれば、防げたことだ。
どうにかできた。
逆にその事実が私の心を締め付ける。
陸は、きっと私達を恨んでいる。馬鹿な親だと思っている。いや、親とさえ思っていないかもしれない。
自分をいじめた奴と同じくらい、一番辛いときに寄り添ってくれなかった私達を、きっと恨んでいる。
妻の方を見やると、私と同じ気持ちなのだろう。
体を縮めて、口を両手で抑え嗚咽を必死に堪えていた。
「いつか、気持ちの整理がついたら陸君の記憶チップ、一度ご自身の目で確かめてみてください。彼はとても優しい人間ですよ。あなた達のことも恨むなんて。多分考えてもない。」
そう言い残し、天馬博士は私達の前から姿を消した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「記憶チップ読み取ってくれてるかな、父さん、母さん」
「僕、実は学校で問題になっててさ、端的に言うといじめられてるんだ。二人にはずっと隠してきたよね」
「きっと二人とも悲しむと思って、言ってなかったんだ。だって父さんも母さんも僕に沢山、まるで人間みたいに愛情を注いでくれたから」
「その愛情が無駄だったって思われるのが怖くて、言えなかったんだ」
「みんな、僕がロボットだからっていじめてきたんだ。それどころかね、ロボットを子ども代わりにしてるなんておかしいって、父さんや母さんの事を言う奴までいてさ」
「僕悔しくってさ。僕のことだけじゃなくて二人のこともけなしてくるのがたまらなく悔しくて、でも僕は人間を傷つけることはできないんだ。ロボットだから」
「だから、僕がいなくなれば良いんだ。僕がロボットであることが問題なんだから」
「これまで見てきたのは全て夢、幻覚だと思ってよ。僕はハナから存在していなかった」
「そう思っていたほうが、みんな幸せになれるんだから」
「もし、生まれ変われたら。なんてくだらないけど」
「次は今度こそ、本当の二人の子どもになりたいな」
「話したいことはこれで全部。父さんも母さんも、僕がいなくても元気でね」
「それじゃあ、さよなら。」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ロボットも天国にいけるだろうか。
陸なら、きっと行っているに違いない。
もし私達が天国で会っても、私達の名前を覚えているだろうか。
もしいつか、私達が天国で会っても、変わらず同じ陸でいてくれるだろうか。
でもまだ生き続けなきゃいけない。
まだ、私達は天国に行ける人間じゃないから。